kazesan3風の吹くままカメラマンの心の旅日記

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人の罪を問うということ



福島原発告訴団、などというぶっそうな名前の団長をされている、なんとも穏やかな武藤類子さんのお話を聴いてきました。レベル7という今だかって日本が経験したことのない福島原発事故の責任がなにひとつ問われていないことが、ずっと不思議でしょうがありませんでした(食中毒を出した焼き肉チェーンの社長はあんなにまで責められているのに…)。

「福島の人はもう疲れているんです」と言われた武藤さんでしたが、とても力のある告訴の声明文を静かに読まれたとき思わず目頭が熱くなりました。

「今日、私たち1324人の福島県民は、福島地方検察庁に『福島原発事故の責任を問う』告訴を行いました。事故により、日常を奪われ、人権を踏みにじられた者たちが力をひとつに合わせ、怒りの声を上げました。告訴へと一歩を踏み出すことはとても勇気のいることでした。人の罪を問うことは、私たち自身の生き方を問うことでもありました。しかし、この意味は深いと思うのです。この国に生きるひとりひとりが大切にされず、だれかの犠牲を強いる社会を問うこと。事故により分断され、引き裂かれた私たちが再びつながり、そして輪を広げること。傷つき、絶望の中にある被害者が力と尊厳を取り戻すこと。それが、子どもたち、若い人々への責任を果たすことだと思うのです。声を出せない人々や生き物たちと共に在りながら、世界を変えるのは私たちひとりひとり。決してバラバラにされず、つながりあうことを力とし、怯むことなくこの事故の責任を問い続けていきます」。

人の罪を問うことは、己の生き方を問うことでもある。なんと重い言葉でしょうか。自らを律することなしに他を責めることなどできないと言っているのです。

告訴団に加わるには、できれば陳述書を添えて欲しいとのことでした。今の思いを書くだけでもいいそうです。単なる事務手続きだけを済ませて告訴団を応援することもできますが、第二次の告訴までまだいくらか時間的なゆとりがあるので、その陳述書とやらを前にして、己を見つめてみたい気がします。

会場からの帰り道、片町のスクランブルには大勢の酔客がたむろしていました。若い頃、毎晩のようにふらついていたものです。この世は、ほんとうに不可思議なものですね。小さな島国の小さな田舎町だというのに、いろんな人が大して周りを気にもせず、すれ違っているんですね。



武藤類子さんのお話 福島の女たちの想い


























| 12:38 | 日々のカケラ | comments(0) | trackbacks(0) | posted by マスノマサヒロ |
千蛇ヶ池






 山頂への道から外れハイマツ林などが広がる中腹を西に辿ると、やがて目の前にぼんやりと浮かび上がるのが千蛇ヶ池の雪渓だ。まだ夜明けまではしばらく時間がある。薄暗い静寂に包まれ、その白の前で立ち止まる。真夏でも十メートルほども積もっているという白山で唯一の多年性雪渓だから、この黒々とした雪は何万何千年の昔から消えずに此処にあるのだろうか。雪の下には、白山を開いたと伝わる泰澄が閉じ込めた千匹のおろちが棲んでいるそうな。なんとも怪しげな雰囲気を感じるのはその伝説のせいか。毎度毎度立ち止まってしまうのは、単純に万年雪への憧れでもあるんだろうか。

 この生を生きている時間など、泰山に比べれば閃光ほどに過ぎない。永遠という言葉は知っていても、その意味を本当には感じることができない人間だから、万年雪に触れると、永遠をいくらかでも身近にたぐり寄せた気分になる。押し潰された雪は氷のように冷たい。下手をすると手のひらなど簡単に切れてしまいそうだ。静かに目を閉じ、おろちの気配を感じてみた。生命とは、いったいなんだろうか。騒々しい世の中にいると考えもしないことを、何故か此処では強く深く感じてみたくなる。

 ふるさとに白山があることを、登りはじめる前と今とでは随分と違って感じている。これを巷でブームになっている山登りだと思ったことはない。登拝という言葉を知って以来それを使っているけれど、拝むというほどのこともしていない。なにか特別の目的を持って登りたくはないようだ。むしろ日常にも欠かせない、特別な一場面とでも思っている。その時、他では感じられない特別な思いが蘇ってくる。ただそれを、まだ言葉にも絵にも出来ていない。永遠のような存在を相手に、この時間はあまりに短い。



































| 11:30 | 白山 | comments(0) | trackbacks(0) | posted by マスノマサヒロ |
翠ヶ池の淵で






翠ヶ池の淵に佇んでいる時間が好きだ。標高が2,600 mほどもあるから実際にはそうちょくちょくと出かけるわけには行かない。年に一度か二度程度。だから、なおさらだろうか。その時を深く意識することができる。佇む時間帯などいつでも構わない。夜明け前に赤く染まる空は誰もが絶賛している。ガスで霞んでほとんど対岸が見えない時などは、見えないからこそ気になるものを感じて離れられない。暑い日差しを避け岩陰に隠れて座るなら、いつもそのまま眠り込んでしまう。どうやら此処は特別な場所のようだ。そのことばかりは、佇む度に感じている。

 白山は活動の度合いが低いとは言え、れっきとした活火山。もっとも近いところで1659年に噴火している。翠ヶ池を火口湖とする辺りも含めた新白山火山は、およそ3万年から4万年前に形成された。その北側の古白山火山に当たる地獄谷付近は浸食されているものの、荒れ狂った痕跡を残す岩肌が見える。何十、何百万年という歳月を白山は活きている。

 翠ヶ池が好きだなどというちっぽけな人間のことなど、おかまいなしだ。そんな人間が白山に抱かれているという感覚を持ったところで、さしたることもない。あまりに壮大な時間が、流れているとも知れず緩やかに流れている。人間にはなにひとつ感知できないリズムがあるのだろう。遠い過去から遠い未来へと、捕らえ所のない流れ。まるで止まっているかのように流れるその風景の中で、此処にあることのなにかしら不思議な感覚をただ味わうことしかできない。確かに生きている。息をしている。鼓動がある。だがそれらすべての脈打つ動きが、小賢しい。だから眠るしかないのだろう、この特別な場所。







































| 15:52 | 白山 | comments(0) | trackbacks(0) | posted by マスノマサヒロ |
ますやんの悪童日記(7)自由とは(能登島編)





福島第一原発事故が起こり、この先も何十何百年と放射能汚染に悩まされながら、日本人は生きて行かなければならなくなりました。そんな中でも自由はあるでしょうか。自由の側面のひとつが自分の生き方を決めることだとしたら、世界がどんな状況だろうが、いつも自由だということになりそうです。このキャンプに参加した子どもたちに伝えたかったことは何かと問われるなら、ぼくは即座に答えます。「自由を謳歌しよう!」。

余りあるほどの自由を思うがままに生きようとするのは、かなり骨の折れる仕事です。反対に束縛されていると思うと、それもまた自由ではない自分ばかりを見ることになりそうです。自由ほど扱いにくいものはありません。大体は、自分で自分を規制しているんですから。

FKキッズ交流キャンプ2012は、自由な時間がいっぱい詰まっていました。お話会、お絵描き、ツリークライミング、水族館見物などプログラムもそれなりに組まれていましたが、あくまでも子どもたちが思いのままに過ごせるキャンプにしました。眠りたいときは眠っていればいいし、もしかすると喧嘩さえもしたければそうすればよかったんです。でもそれらすべての自由は、キャンプの雰囲気が仲良しであることが大前提だったようです。その思惑は大きく外れてしまいました(とその時は思ってしまいました)。実行委員会のメンバーも協力スタッフも、子どもたちの逆襲に(笑)慌てふためいてしまったのです。

問題はいつもひとりの子から始まりました。今から思うと、誰もがみんななんであんなに動揺したんでしょうか。たったひとりに子のために、みんな自由を自ら放棄してしまったかのようでした。あいつがこうだから、おれはこうなった。あの子が荒れるから、私も同じように荒れた。その様子を静かに見守っていたスタッフも、もしかするといたかも知れません。ただぼくにはそれに気づくゆとりが残念ながらありませんでした。代表が自由じゃない自由なキャンプなんて、まったくお恥ずかしいかぎりです。

ある女性スタッフと話し込んだ夜、ようやくぼくは目覚めることができました。「手のつけられなかったわたしの息子が心の病気だったんだと診断されたときは、正直、ホッとしたのよ。病気なんだから、仕方なかった、そう思えてね。あの子もね、もしかすると病気かもしれない...」。ぼくはハッとしました。外側の見える姿でしか判断していない偏狭な目で子どもたちを見ている自分がとてもちっぽけに思えました。なんてこった。福島の子どもたちの笑顔と元気を応援し、さらには石川の子どもたちと友達になってもらいたい、なんてかっこのいいことばかり唱えながら、その中味たるやなんてことありませんでした。

目が覚めたその夜以降も、キャンプの間中葛藤が続き、あわよくば問題児に退場してもらいたいと思うことが何度となくありました。毎晩のミーティングがそうすることを思い留めてくれたようです。誰もが煙たがる子を排除していたなら、邪魔者は消せばいいのだと、ほかの子どもたちに教えてしまうことになったかも知れません。そして問題児は他でもない自分の中にもいることを、ついに知らないままで終わっていたかもしれません。自由を大きなテーマに掲げながら、いい形で終われたとは決して言えません。それぞれが有耶無耶を残したまま、つまりは宿題を抱えたまま家路についたかもしれません。ただこれから先の日々で、本当の自由とはなんだろうかと、考える自由意志だけは保障されています。ほとんどがまだ幼い子どもたちでしたが、もう少し後になってこの日記を読んでくれる日が来るかもしれません。その時のためにもここに書き残しておきます。

おい、みんな。怒鳴ることが多かったますやんだけど、思いっきりみんなと遊べたし、今思うと幸せなキャンプだった。ありがとう。でもありがとうついでに言っておくぞ。あの子が居てくれたおかげで、みんな真剣に腹を立てたし、みんなで戦争ってなんで終わらないんだって考えることもできた。いいかい、これからも諦めないで考え抜くんだ。よく考えれば、今日よりは明日へと、一歩ずつでも前に進めるかも知れない。みんなの周りを見てごらんよ。簡単にいっぺんに解決する問題なんて少ないだろ。だからゆっくりと丁寧に話し合って考えよう。みんなとそんなキャンプが出来て、ますやんはとってもうれしかった。またいつか会おうぜ!





ますやんの悪童日記(7)













































| 14:43 | ひかりっ子 | comments(0) | trackbacks(0) | posted by マスノマサヒロ |
ますやんの悪童日記(6)自由とは(医王の里編)





キャンプに関わったスタッフの間では今、これからの展開を踏まえた感想や反省点を盛んにやりとりしています。その中にひとつ、ぼくにはとっても興味深い指摘がありました。「交流という割にはただ漫然と遊んでいる印象を受けました。もっと魅力的なプログラムを通して学び合えるもの、達成感のあるものを準備した方がいいのでは」というものです。まさに今回のキャンプはその逆を行っているものでした。

学びとは、用意されたものでしょうか。達成感とは、だれが達成して感じることなんでしょうか。多分ですが、その道の達人をお迎えしてのプロフェッショナルなプログラムが目白押しのキャンプなら、それなりに実りあるものになると思いますが、それでも参加する子どもたち全員にそれが合うとは限りません。学びも達成感も充実感も、そんな類いのものは本来は自由に生きた人生の中にこそあるのではと、この年になって思うようになりました。誰かからプレゼントしてもらうものではないのです。

では自由とは、いったいどんな状態を指して言うのでしょうか。なにもかもプロや公的な専門機関に委ねて暮らしている日本の現代社会で、果たして自由なんてあるんでしょうか。病気でもないのに病院でお産をし、より良い人生をと相変わらず学歴を重要視し、就職に失敗したからといって死を選ぶ。働くことは食べて生きていくためでもあり、何かを達成することかも知れませんが、果たしてそれだけでしょうか。老いて病んで、他人に自らの命を委ね、お棺に入るのも専門業者にお任せ...。それであなたは、自由ですか?

というような話を、本来はこのキャンプに参加した子どもたちと話し合ってみたかったんですが、そんなうざい話は見向きもされないのがおちです。だから、まずは弄ぶほどの自由を保障しようと企てたわけです。何事も経験しなければ。全くの自由などというものは、ぼくたちにもよくわかりませんが、少なくとも何をしていいのかも分からない現代の子どもたちにとって、自由に使える時間を体験することはとても貴重だと思います。

旨い具合に、17日間の全日程を参加した郡山のユースケはとても活発な子でした。地元石川のリョースケ、タイチとまるで三人兄弟のようにして毎日適当に(笑)過ごしていました。スタッフから持ち込まれたトランプさえ必要なかったかもしれません。遊びさえ用意されていない環境で、みんな思い思いに遊んでいました。遊びって、新たに生まれるもののようです。この創造性こそ、自由がもたらすものではないでしょうか。なんでもかんでも用意され、してもらうことが当たり前の世の中になってしまいました。用意する側の気持ちなどちっとも考えない、自分勝手な人間がそこここにいるような気がしてなりません。そんなことを、遊んではめを外して叱られて、少しでも体験できたのであれば、このキャンプは大成功です。

たとえ単なる漫然とした遊びでも、それをするためには学ばなければならないこともあります。そのとき初めて自分から学ぼうとしませんか? どんな簡単なことでも自分の力で出来たなら、そのとき達成感という喜びを感じるかもしれません。押しつけは、学校や社会だけで沢山です。もしもFKキッズ交流キャンプが今後も続くなら、実行委員会で話し合ったこの総意だけは変わらずに残っていてほしいものです。

地元から参加した中にひとり、病的なまでに我がままな子がいました。そこから子どもたちに広がる影響はとても大きなものでした。なんであいつだけが、という感じて当たり前の言い分が何度も返ってきました。要するに、子どもたちのそれぞれの我がままが湧き返るキャンプになってしまったのです。

スタッフ全員、子どもたちと過ごす専門家では決してありません。知識も経験も乏しい中で、だから真剣に向き合わざるを得ませんでした。おそらく、参加した子どもたちもみんな、真剣になり始めたんだと思います。思い出すと真剣に遊び、真剣に怠け、真剣に喧嘩していたような気がします。

最も我がままだったそのひとりの子に向き合うのは、真剣になればなるほどとても疲れました。言ってわかるならまだよし、何度でも言いますが、言っても言ってもわからない子もいるんです。だからと言って、参加者の誰にも自由を保障するという大前提を崩す訳には行きません。スタッフの葛藤は、ほぼ毎日のように繰り返されました。少なくとも、「家に帰る」と自ら言わない限り、その子の居場所を取り上げては行けないことを申し合わせました。

そして今キャンプを終えて感じることの中に、その子の存在の大きさがあります。我がままな子がひとり居てくれたおかげで、全員一度ならず、とっても我がままな自分になれたような気がします。自由とは、我がままな一面があり、その我がままを越えたところにあるのかもしれません。ひとつひとつを選び取り、また新しく産み出しながら明日を生きて行く力は、自由のいろんな側面を経験してこそ獲得することができるのでは、などと、またキャンプの日々を思い出しています。



ますやんの悪童日記(6)


































| 13:40 | ひかりっ子 | comments(0) | trackbacks(0) | posted by マスノマサヒロ |
ますやんの悪童日記(5)たき火





火おもちゃしてると寝小便するぞ、と子どもの頃よく言われたもんですが、それほどまでに火は子どもにとっても魅力的だということでしょうか。能登島では直火が可能だったので、子どもたちは暇さえあればたき火をしては、釣った小魚やサザエを焼いていました。この写真などは夜明けの時間帯です。美しい海に気づくこともなく、または気づいていてもなんてこともないのか、とにかくサザエに集中していたふたりです。まるで海の男に見えますね(笑)。


ますやんの悪童日記(5)






































| 13:35 | ひかりっ子 | comments(0) | trackbacks(0) | posted by マスノマサヒロ |
ますやんの悪童日記(4)いわきから来た少女たち





はじめは3週間ぶっ続けのキャンプとして告知しましたが、あまりに長期だったせいか福島からの参加申し込みはさっぱりありませんでした。もちろん放射能から少しでも長く離れてもらおうとの思いからでしたが、参加者がいなくてはお話になりません。福島の実情を知らないで勝手な善意を押し付けていたとしたら、いったいなんのための保養プログラムでしょうか。一度は開催を諦めかけたその時、ユースケから申し込みがあり、それではと参加の条件を大幅に緩めました。最後にはいつでもどうぞという具合で、そんなこんなでいわき市からも4人の女の子たちを迎えることができました。ハルちゃん、ワーちゃん、ナナちゃん、ナリの面々です。参加日数は、医王の里での8月2日から6日までの5日間ばかり。でも不思議なもんですね。友達なんてふれあう長さで決まるわけじゃないことぐらい、この年になるとよくわかりますが、この四人組との出会いでもそのことがはっきりとわかりました。それぞれの思い出をしっかり作って行ってくれたことも後になって知り、このジジイにとっても忘れられない子たちになりました。

ある日、気になってたことを4人に聞いてみました。「ユースケってとってもにぎやかなんだけど、福島の男の子ってみんなあんな感じ?」半ば冗談のつもりでしたが、返ってきた言葉は意外や意外、「そうよ、みんなあんな感じ」でした。あぜん...。「だったらあんまり好みの男の子っていないんじゃない?」「そうでもないよ、いるよ」(失礼しました)。で、そのユースケと来たら普段は言いたい放題のやり放題なのに、4人組の前では妙にかしこまってたりして、なんだかこのジジイに似て憎めないやつ(爆)。

ところでいわき市とかユースケの郡山、それにあかりの福島市っていったいどんなところなんでしょうか。遠い所からよくぞやって来てくれたものです。今度はこちらから訪ねてみたい気がします。



ますやんの悪童日記(4)

































| 13:31 | ひかりっ子 | comments(0) | trackbacks(0) | posted by マスノマサヒロ |
ますやんの悪童日記(3)少年と海






海は広いな、大きいなあ、行ってみたいな、よその国...なんてときどき口ずさんでしまうのは、遠い水平線の向こうにどんな国があるのか知りたいと思った子どものころを思い出すからでしょうか。海が目の前に広がる能登島の勝尾崎キャンプ場でも、ときどきひとりになると歌いました。そんな海で遊ぶ子らの姿は、本当にまぶしいばかり。中でも男の子と海は、とっても絵になりました。ちょっぴり内気なタイチが銛を手にしてひとり海に出てゆくのを発見したとき、なんだかうれしくてジーンと来ました。一回ぐらい言っただけでは決して動かない腰の重いリョースケなのに、軽快に磯を動き回る姿なら何度も見かけました。子どもたちが見つめた水平線の向こうには、どんな世界が広がっていたんでしょうか。そうですよね、男子ばかりではありませんでした。中2のサクラは笑顔が素敵なとっても優しい女の子でしたが、海へのダイビングだけは男も真っ青になる豪快さ。楽しい!を連発しながら、いろんなポーズに挑戦していました。煽られてこのジジイまでシンクロダイブ(笑)。いくつになっても海に来るとまさに裸ん坊になれますね。


ますやんの悪童日記(3)






































| 13:24 | ひかりっ子 | comments(0) | trackbacks(0) | posted by マスノマサヒロ |
ますやんの悪童日記(2)子どもたちと青年と





キャンプ生活は初めてという子どもたちが大半だったようですが、四六時中いっしょに過ごしてくれる青年たち(なぜか自然体験活動の分野ではリーダーと呼んでいます)の存在はだからとても大きなものでした。遊んでくれるちょっと年上のお姉さんお兄さんというだけでなく、毎晩遅くまで話し合ったミーティングの話題は子どもたちの様子が中心で、リーダーからの報告や思いは欠かせない貴重な情報になりました。

そう言えば、子どものころ近所に大好きなお兄ちゃんと大っ嫌いなお兄ちゃんがいました。子どもながらにそれを嗅ぎ分けることができたんです。大好きな方は遊んでくれたというより、いろんなことを教えてくれました。もちろん遊びのことばかりですが、お兄ちゃんみたいに早く大きくなりたいなあと思ったのをよく覚えています。大っ嫌いな方は単純に意地悪で、後に少年院にも入った恐いあんちゃんでしたが、なぜか幼心にも対抗意識が芽生えていました。こっちも負けずに意地悪したりして(すぐに逃げるんですが、笑)。とにかく、どんな人でもちょっと年上の青年の影響力たるや、絶大なものがありそうです。

キャンプの間中、子どもたちといっしょにいようという強者は結局はだれもいませんでした。だれもがみんな忙しい世の中の一員ですから仕方ないことです。でも、何度でも会う、ということなら可能性はありそうですね。実際このキャンプを終えて、もう一度やれるかというと、すぐにもちろんとは言えないほど大変でしたが、だれが開催するというより、とにかくだれかが開催すればいいのではと思ったりもします。子どもたちと青年のために、やっぱりジジイが声を上げるしかないのかなあ(苦笑)。



ますやんの悪童日記(2)



































| 13:18 | ひかりっ子 | comments(0) | trackbacks(0) | posted by マスノマサヒロ |
ますやんの悪童日記(1)能登島へ移動




今年初めての「ふくしま・かなざわキッズ交流キャンプ」をまとめる日記になんでわざわざ「悪童」なんてタイトルを付ける気になったんでしょうか。参加した子どもたちが悪童というわけでは決してありませんが、とても相応しい気がしています。たぶん、何回かに分けてこれを書こうとしているぼく自身がかつては悪ガキで、だからこそ書きながら、共に過ごした子どもたちの心の中に今からでも少しずつ近づいて行きたいと思っているようです。悪童とは、ぼく自身のことです。

二つ目のキャンプ会場となった能登島は七尾湾に静かに浮かんでいます。と言いたいところですが、実際には着いたその日(8月7日)は海からの風が強く、夜半には寒いくらいの気候でした。テントを張り終え、さっそく海に飛び出した子どもたちは体が揺れる波に翻弄されながら、岩に体をぶつけたりしながらきっと軽い怪我もしたことでしょうか。ここから始まる一週間の野外生活がどんなものになるのか、ゆっくり想像するゆとりもありませんでしたが、なんとなく先が思い遣られるなあと思ったものでした。キャンプそのものは、たぶん成功したんだと思います。毎日のように喧嘩して、そうかと思えばなんとなくまた遊び出し、ちょっとよそ見をしていたらまた喧嘩...。ほんとに勝手気ままな子が多くて、今どきの子ってこんなもんなんでしょうかと、手を焼かれっ放しのこのジジイは思ったのでした(苦笑)。

このキャンプの目的はふたつです。ひとつは福島の子どもたちの元気と笑顔を応援すること、あとひとつは地元石川の子どもたちと未来まで続くような友達になってもらうチャンスにすること。結論から言うと、きっと叶ったことと思います。たかだか17日間のキャンプでしたが、参加人数が予定よりうんと少なかったおかげで、毎日同じ顔ぶれで、同じ場所で、おんなじような生活をしたんですから、交流の深まらないはずがありません。最後の夜、みんなで輪になってひと言ずつ感想を言い合いました。郡山から参加したユースケの言葉が忘れられません。「ぼくは一人っ子なので、リョースケとしょっちゅう喧嘩できてうれしかったです。明日っから、さびしい...」。事あるごとに大声で歌い、目の前の海や森を飛び回り、いっぱい食べて、喧嘩して、きっとぐっすりと眠り、すごい夏休みだったことと思います。宿題、大丈夫かなあ...いまごろ鉢巻きしてがんばってるかな(苦笑)




ますやんの悪童日記(1)



























| 13:13 | ひかりっ子 | comments(0) | trackbacks(0) | posted by マスノマサヒロ |
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