kazesan3風の吹くままカメラマンの心の旅日記

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絶望の果てに





 フォトジャーナリストという仕事への興味もあって、森住卓さんの講演会、というより報告会に出かけた。森住さんは世界各地に広がっている核汚染地域を取材撮影している。「核にこんなに長く関わるとは思わなかった」との言葉で報告会は始まった。もう十数年も続けておられるそうだ。この問題を探ろうとすれば深入りするばかりで、おそらく何かが解決するまで抜けられなくなるんだろうと、会場の雰囲気からひとり外れて感じていた。

 機会があれば現地で知った数々の事実を知ってもらいたいという思いに駆られるのか、二時間ほどの枠の中で森住さんが取り上げた現地はカザフスタン、チェルノブイリ、福島、マーシャル諸島などで、「イラクのことも知ってもらいたいんですが」とそれが今もっとも気になる風でもあったが、かなわなかった。

 旧ソ連を構成していたカザフスタン共和国はモンゴルの西に位置し、「ステップ特有の乾燥した台地が広がっている」と氏のホームページに紹介されている。その地で1963年以降、343回の地下核実験が行われ、その度に風下の村を放射能に汚染された風が流れて行った。世代を越えて奇形児を生み出す被ばくの恐ろしさ。どのページを見ても動悸が高鳴る。報告会の質疑応答では笑い声さえ飛び交っていたが、森住さんは日本の会場でもっとも悲惨な状況を見せるつもりはなかったのかも知れない。

 森住さんが最後にぽつりとこぼしたひと言を忘れることはないだろう。「わたしの話はいつも絶望で終わってしまう」。世界の状況を知れば、やがて絶望に行き着くしかないんだろうか。数日前に『生き残った日本人へ 高村薫 復興を問う』というNHKの番組を見た。そこでも作家は苦悩の表情を浮かべ「絶望」という言葉を吐いた。

 日本だけでなく、世界は絶望なんだろうか。森住さんは、DNAにまで影響を及ぼす核の被害を指して「人間は神の領域に踏み込んでしまったようだ」と言った。その報告を聞きながら、核開発を競っている国々が付近の住民を人体実験の材料にしてきた横暴に愕然とし、日本の指導者と言われる人たちの無力と無策にもまた憤り、肩を落としてしまう。人間は本当に、そうしては行けないものに手を出してしまったようだ。そのことに無関心だったことが今頃になって悔やまれる。

 絶望だとして、絶望の果てにあるものはなんだろうか。何もかもすべて無くなってしまうんだろうか。番組の最後に、一縷の望みを託したかのように作家は言った。「個人の命はどこかで必ず終わりがくるが、生命全体ではどうということはない」と。そしてテロップが映し出された。

 「生き残った日本人は、どのような未来を選ぶのか。『失う』理性と覚悟はあるか」。

 失う理性と覚悟、という言葉を噛み締めてみると、コトンと音を立てて腑に落ちたものを感じる。感情や思いの丈をぶつけていても、もうどうしようもない所まで今の人類は来てしまったのだ。元に戻すことなど決してできない。たとえば日本なら、どこもかしこも高齢化が進み、若者は離れ、今の世代で終わろうとする一次産業が何割も占めていることだろう。震災前のその状態に戻すことが復興であるはずがない。復興には、これまであった大切な何かを失う覚悟が必要になるんだろう。それを理性で考え判断しなければならない。被災した東日本の未来の姿を考えるとは日本の未来を考えるということだと、作家は言った。

 世界中の放射能にまみれた地を歩き回ってきたフォトジャーナリストの被ばくというものが気になった。時間があれば聞いてみたかったが、森住さんはすでに覚悟しているのかも知れない。自分の大切なものを失うことさえ。
































| 19:12 | 日々のカケラ | comments(0) | trackbacks(0) | posted by マスノマサヒロ |
尊厳




 図書館で出合った『20年間の水曜日』という本を読んだ。今日までの二十年の間、毎週水曜日の十二時にソウルの日本大使館前に人が集まりデモが行われている。その方々の話だった。デモに集まるのは、日本軍「慰安婦」のハルモニたちと彼らを支援する人びとだった。

 日本軍「慰安婦」と聞いて、すぐに理解できる日本人はいったいどれほどいるだろう。ぼくは恥ずかしながら言葉を知っている程度だった。慰安婦。言葉面からは、慰め癒してくれる女性を連想してしまうけれど、その前に日本軍が付いているように、戦争に駆り出された若い女性たち、しかも強制的に、中には十代前半の幼い少女までいたのだ。戦場の日本の兵隊たちの性欲を満たすために、騙され、連れ去られたのだ。性の奴隷だったのだ。

 日本の敗戦は、その占領下にあったアジアの国々の解放だったが、解放後四十年もの間、日本軍「慰安婦」を強いられた女性たちは沈黙を守るしかない状況に置かれていた。今、八十を越えたそのハルモニたちが自らの忌々しい過去を公にし、すべての人間に与えられているはずの尊厳の回復を求め続けている。そして日本という国は、まるで関与していなかったかのように、補償はもちろん、謝罪の言葉さえ返していない。

 この本を読み終え二日ほど経った。いまここで何を書こうとしているのか、まったくわからない。なにひとつまとまる気配を感じない。ただ、読みっ放しで終わらせてはいけない、という気持ちがあるばかり。

 人間の尊厳、などと、簡単に言葉にしてしまったけれど、本書のどこにもそのひと言はなかったような気がする。たぶんぼくには、尊厳の意味などわかっていない。使う資質を持ち合わせていないのだ。でも、と言いたくなるほどに、人間にとってもっとも大切なものをハルモニたちは奪われたのではなかったのかと、思わずにいられない。

 世界には、男と女しかいない。体力的な力の差は確かにあるだろう。それが強い弱いということなのか、弱い女性がなぜ虐げられなければならないのか。男である自分の中を探ってみる。もしも戦場にあって、慰安婦の館の前にできた兵隊のその列に、お前は加わるのか。たとえば暗がりで襲われている女性を見つけ、お前は助けることができるのか。

 もしかすると、人間の尊厳とは、自らの意思で守るものなのかも知れない。尊厳を捨てて、列に加わる。見て見ぬ振りをして、尊厳を捨てる。だが幼い少女たちは、そのときどうすればよかったというのか。まるで道具でも扱うようにして、男たちに簡単に剥ぎ取られてしまったのだ。

 ハルモニたちは、「二度と同じことが起こってはならない」との思いから、経験を公にし、毎週デモに加わり、声をあげ続けた。海外に出向き勇気を持って体験を話した。デモに加わった日本の若者をあたたかく迎えた。そこにあるものにこそ、尊厳という言葉が似合わないだろうか。

 日本軍「慰安婦」と同じようなことが、今も戦場で女性たちの身に起こっていることを、世界の男たちはどう考えるのか。遠い国の出来事を、言葉では悲しみながら、他人事で終わらせるのか。

 なにひとつまとまる気配はないけれど、これは自分自身の問題でもあるだろう。

































| 19:37 | 日々のカケラ | comments(0) | trackbacks(0) | posted by マスノマサヒロ |
木のように
 





 気になる木を見かけると、ついつい撮って、気がつけば木ばかり撮っている。山でも町でも、巨木でもそこら辺りの植木でも、なんでこんなに木が気になるんだろう、などと木のように立ちながら考えた。

 站とう功は、樹林気功で立つといっそう気持ちがいい。その場でただただ立ち続ける。胸の前で気の玉を抱くように両腕を掲げていると肩へとかかる重みに耐えられなくなり、ついもうやめようかと思うものだが、実はその先にこそ站とう功の深い味わいが待っている。十年以上も前の練功にはまっていたころ、そのあまりの気持ちよさに酔いしれたものだ。復活したばかりの今はまだその辺りまで辿り着けないけれど、今また木のように立ってみて、その気持ちがいくらかわかる気がしてきた。木にも気持ちなどあるとして。

 何百何千年とじっと動かないでその場に立ち続ける木。身も心も動き回る人間に木の気持ちがわかるはずもないだろうが、しばらくでも立ち続けると、しばしばずっとそのままでもいいような気になる。小鳥のさえずり、雪が融けて落ちる音、肌を刺す冷気、そよぐ風など、里山の静寂に包まれて感じているわずかばかりの刺激があれば、立っていることの味わいに十分な魅力が生まれる。足下の地中へと根を広げているのかと、錯覚すら覚える。木は、立ち続けることで、そうでしか感じることのできない世界を、きっと味わっているのだ。木のように立つことを覚えると、だから木の何かがいつも気になるのかも知れない。

 樹林気功には木と気を交換する楽しみもある。見えない気だからイメージでその気になっているに過ぎないとも言えそうだが、その気になる、その気こそ気功が扱うものだ。細やかに脈々と流れる気をやりとりする時、人に木の気持ちが伝わるのか、だから共に立ち続けたい気持ちになるのか。もの言わぬ木が、とても気になる。

 木が存在し、空気の要素を交換しなければ、動く物たちの影も形もないのだろう。世界の営みとは、まったく畏れ多くて、気になるばかりだ。

































| 14:21 | 日々のカケラ | comments(0) | trackbacks(0) | posted by マスノマサヒロ |
「宝塚ブスの25ヶ条」





 「宝塚ブスの25ヶ条」なるものをネット上で取り上げ、これはいい参考になる、深い言葉だ、などと大勢の方が双手をあげて賛同していた。コピーして壁に貼っておこう、というコメントまであった。まったく世の中ってなんでこんなに単純なんだろう。よく考えもしないまま、ちょっといいと思えばなんでもかんでも真似をして、それが右へ倣えの日本の庶民であることに気づかないでいる。あなおそろしや。

 などと書いて、はたして自分は考えているのか、という問いにいつもぶつかる。この頃、考えるとは具体的にどうすることなのか、よくわからなくなっている。単純に自分の歩く方向を自分で見つけるという程度ならいくらか実践しているけれど、考えるとは、どうやらそんなに単純なものでもなさそうだ。

 たとえばこの「ブスの25ヶ条」は、自分自身が商品であり作品でもあるタカラジェンヌたちの歩き方だろうに、一般庶民がそのまま歩いてどうする? とは考えないんだろうか。

 ぼくは、笑顔は乏しいけれど、腹から笑うことはたまにある。お礼を言葉ですぐに返さないこともしばしばあるが、気持ちを温め形を整えて後でお返ししたりはする。美味しいと感じれば素直にそう言うけれど、そうでないなら絶対言わない。精気なんてあったりなかったりだろうが、大体精気なんてものがどういうものかよくわからない。自信?まったくない。持とうとして持てるなら、たまには持ってもみたいけれど。愚痴は女房にだけはよくこぼす。希望や信念など必要だとも思わない...などなど、ようするにタカラジェンヌには決してなれないぼくは、愚かな自分であることを通して自分を高めていくしか道はない、と思うしかない。だれかの真似して表面ばかり調えようとしても、化けの皮など簡単に剥がれてしまうだろう。それでまた自分が疎ましくなるのが関の山だ。

 どちらか一方であることを、人は本当に良しとしているんだろうか。それって上から目線?なんて指摘する輩がいるが、人間関係が上からも下からも見えてしまうのは当たり前のことだろう。横一線であると思うことの方が気持ち悪い。謙虚になったり傲慢になったりしながら、いつしか自分が調って行く。五十を過ぎると、人ってそんなもんなんじゃないのかと思えてきた。

 最後の25条目が面白い。「存在自体が周囲を暗くする」か。まさにこれが今のぼくだろうか。暗い闇に惹かれるんだから、致し方ない。闇はでも、人間として感じている表層に過ぎないのかもしれない。闇を避けた眩いばかりの楽天的な表層からでは決して届かない、人間の奥深くにある広大な領域へと、闇こそが導いてくれるだろう。人間は、暗くていいのだ。闇の安らぎを知る人になればいい。とても人間らしい、とさえ思う。
 
































| 08:10 | 日々のカケラ | comments(0) | trackbacks(0) | posted by マスノマサヒロ |
kazesan calendar からのご報告
 





 今年作った kazesan calendar の売り上げの半分を「福島の子どもを守ろうプログラム」に寄付しますとお知らせしたところ、12人の方から31セットご購入いただきました。今日、裏の郵便局から20,000円を振り込んできました。貧乏カメラマンがひとりでいくら足掻いたところで雀の涙ほどの寄付しかできませんが、先日のチャリティ上映会での寄付など、何人かの小さな思いやりが集まるとそれなりの力になり、おまけになんだか勇気まで湧いてきます。ご協力ありがとうございました。

 支援先の「福島の子どもを守ろうプログラム」は、福島を離れることが出来ない子どもたちを招いて、春夏冬の長期の休みの間、遠くの自然の中で飛び回ってもらおうという、いっしょに遊んでみたくなる活動です。

 放射線被爆の影響が予想される中、なぜ危険な福島を離れないのだという言葉をネット上で見かけることがありますが、人それぞれにいろんな事情があることは想像に難くありません。この状況は誰だって不安になるし、逃げられるものなら逃げたいに決まっています。それができないことを、ゆとりのある外から善意のつもりでいくら投げかけても、なんの解決にもならないのではと思います。自分ならすぐに福島を出る、と断言したところで、実際にその場に置かれたときの自分など、そうでない今、わかるはずがありません。

 被爆の影響があるのかないのか、実際のところ、ぼくにはなにひとつわかりません。専門家と言われる人たちの話を各方面から入手し時間をかけて検討する気にもなれません。政府や東電を責める気持ちはありますが、おそらく彼らの立場とは、今あるような、そんなものなんだろうと思います。はじめから政治にはなんの力もなかったのだと思いはじめています。庶民は庶民の力で生きて行くしかないないのかも知れません。

 限られた期間福島を離れることが子どもたちのためになるのか、それもぼくには本当のところはわかりませんが、もしも大勢の日本人が、残された、または残ることを選んだ子どもたちのためにいくらかでも持ち寄れば、何人かの子どもたちがまた元気に前を向いて歩く一助になるかも知れません。このプログラムを支援している田口ランディさんは、「あのときぼくたちのことを日本中のおとなが応援してくれたねと、何十年後かに言ってくれるようなおとなでありたい」と書いておられました。ぼくも本当にそう思います。

 「福島の子どもを守ろうプログラム」は5年を目標に活動を継続するそうです。離れていると人っていつか気持ちまで離れてしまいがちですが、決して当事者になりきれるものでもありません。そしてたまたま今は当事者ではない、というだけのような気がします。

































| 18:48 | 日々のカケラ | comments(0) | trackbacks(0) | posted by マスノマサヒロ |
墓地へ






 いつもほとんど気分がいい早朝の散歩なのに、時には低調なこともある。そんな日は何に出合っても文句が出る。写真を撮る気にもなれない。ならばと思いついてコースを変え、今朝は里山を切り開いた広大な墓地へと向った。まだ暗い墓場への竹林がいつになく薄気味悪い。何を恐れているのか、ちょっとした黒い影にも怯える。それでも、こんな時は墓地がいい。死者とか霊魂とかが眠っているものかなんの実感も持てないけれど、生きているばかりが人間ではないことに思いが及ぶと、己のちっぽけな気分などどうでもよくなってしまう。だから、墓地がいい。

 ここには高さが五メートルほどもあろうか、赤子を抱いた観音像が立っている。墓参の人でもないのに訪ねれば決まって手を合わせる。縁のない領域に踏み込むあいさつ程度のつもりだが、薄暗がりの中で見上げた姿に、今朝はなぜか畏れを感じた。仏像を崇める気持ちになんてなれないのに、不思議だ。そう言えば、パラマハンサ・ヨガナンダの『あるヨギの自叙伝』の中で、山の粗末な石を無視したヨガナンダがその非を指摘される場面がある。お前はなぜ石に祈りを捧げなかったのか。神はお前が思っているような聖なるものばかりに宿るのではない。たしか、そういう言葉だった。

 墓の中に死者の霊魂が住んでいるものか、そんなことだれにもわかりゃしない。けれども少なくとも墓は、大切な人を思う場所としては相応しい。墓を大切にしない者が死者を大切にしているだろうか。仏像もまた然り。そこに感じる畏れこそ、この傲慢な人間にはなくてはならないものだった。

 暗い道に感じた恐れは、たぶん、南洋の島のジャングルを彷徨い逃げ回った太平洋戦争の日本の兵隊たちを思ったからだった。図書館で借りた江成常夫の写真集『鬼哭の島』にある帰還兵たちの証言があまりに鮮烈で忘れられない。食料も弾薬も尽き果て、暗い密林を逃げ惑った若者たちは、どんな気持ちだったろう。愛する家族のために皇国のためにと戦争に駆り出され、二百四十万もの将兵が戻れなかった。それも戦いの場でなく、ほとんどが飢餓や病で。江成がまえがきで書いている。「『玉砕』という美名で装われた戦歴の島々は、まぎれもなく成仏もできない死者たちの『鬼哭の島』である」と。この日本の繁栄は戦没者のおかげであるなどと公では言いながら、遺族以外のいったいだれが彼らの霊魂に対して本気で手を合わせてきただろうか。今もまだ百万に余る若者たちの骨が南の島で哭いている。

 きょうまで戦争のことなどなんの実感もなく過ごしてきた馬鹿者がここにいる。数々の犬死にも似た死者を思うと、居たたまれなくなる。この国はいったいどこを向いているのか。経済発展至上の果てが今の姿だ。だから暗い道が恐いのかもしれない。

 


































| 17:38 | 日々のカケラ | comments(0) | trackbacks(0) | posted by マスノマサヒロ |
身体感覚





 このごろ身体感覚というものに注目している。これから老いて行くばかりの体だとしても、感覚まで鈍らせることはない。女心には昔から鈍感な男だったが、体には割と敏感だった。あれは確かまだ小学生のころだった。何かの拍子に人差し指をもう一方の手のひらに向けてなぞると、触れてもいないのにもぞもぞと指の動きに合わせて感じる何ものかに気づいて、以来それとよく遊んだものだ。その何ものかの正体はこれのことだったのかと、気功に出合い理解した。人間の体は、見えない気の集合体だった。

 おやじの通院に付き合い出向く病院の待合室には、いつも人があふれている。長く待たされ数分の診察を受け、それが唯一の方策の患者も多いことだろうが、己の体を医者とは言え他人に任せ切りだとしたら、何か大きな間違いがそこにあるような気がしてならない。怪我や病気に縁のない体なんてないだろうが、体のことを健康や不健康、元気のあるなし、若い若くない、美しい醜いなどと、表層の見てくればかり気にしていたのでは、せっかく感じる体を持って生まれて来た甲斐がない。

 早朝の散歩を再開したついでに気功も復活した。途切れ途切れで、気功とはもう二十年ほどの付き合いになる。中国数千年の歴史が培ってきた気功には何千という功法があってあれもこれも身につけたくなる時期もあるけれど、昔から続いているのは、結局もっとも簡単なスワイショーと站とう功で、ようするにほとんど立っているだけ。スワイショーは両手をぶらぶら振り、站とう功ときたら立ち続けるのが仕事だ。それでも体とは本当に不思議なもの。簡単な動作を繰り返していると、脳がどんどん休まっていく。站とう功は座禅ならぬ立禅でもある。

 再開してまだひと月ほどなのに、感覚の深まりを感じてまた病み付きになりそうだ。こういう病なら大いに結構だ。三円式站とう功は立ちながら三つの気の玉を抱くもので、今朝はことに愉快だった。見えない気の玉に体ごと吸い込まれると言えば近いだろうか、そうかやっぱり体は気の集まりだったんだと感じられた。大地に融けてゆく心地もして、放っておくと一時間ほども立ってしまう。今はまだほどほどに。気功することを練功という。つまりは気のトレーニングだ。トレーニングに早急な成果を求めては行けない。日々積み重ねてこそ意味がある。それに立ってばかりいたのでは、写真が撮れないじゃないか(笑)。

 なんで身体感覚か。自分で考えるという癖を身につけようと、この一二年試みてきたけれど、考えるということがどうすることなのか、恥ずかしながら正直よくわからない。考えるためには話し合ったり読んだり調べたりしなければならないだろうが、それもどうにも長続きしない。考える葦である人間として、これからも努力は惜しまないつもりだが、せっかく考えたものを腹に落とすということが出来なければ、確たる行動にもつながらないだろう。その、落とすべき腹を作るためにも、体を調えていきたい。

 そう言えば気功の目的にも、調身、調息、調心がある。脅迫観念に駆られた健康ではなく、大自然と気をやりとりしながら体を調えることで全人的な調和へと深まって行く手もある。頭ばかりか体の全部で考える、そして撮る、生きる。この人生があと何年続くものか、などはそれほど大した問題じゃない。要は、今ここにある体をどこまで深く認識し、その体に宿る己とどこまで深く付き合えるか。写真にしても、なにもかも気がつくのが遅すぎるけれど、気がついたのだから、はじめよう。




































| 20:59 | 日々のカケラ | comments(0) | trackbacks(0) | posted by マスノマサヒロ |
海よ



 

 久しぶりだなあ。海を前にして、まるで旧友にでも再会した気分だった。海が好きだった、と過去形にしてしまえるほどに懐かしい。

 二十代半ばの数年、八重山の海で毎日のように遊んだ。ダイビングをしない日は釣り糸を垂れながら堤防で昼寝をして過ごした。若者なのに大した夢も希望もなく、夢のような日々を送っていた。時折、こんなに怠けた人生でいいんだろうか、という思いがよぎったけれど、迷うほどではなかった。沖縄と海が好きで、夜勤ばかりの小さな新聞社の暗室マンは遊んで疲れた昼間の身体を休めるにはうってつけの仕事だった。それがあろうことか、代わりに写真を撮ってきてくれと頼まれ、お前うまいじゃないかと褒められついでに、記事も書け、となり、旅行者気分で楽しんでいた島の生活が一変してしまった。安請け合いする性格は今も変わらないが、あのころ、事件もない島で記事を探すということがどんなに大変なことか、まったく思いもしなかった。美しい珊瑚の海を見やりながらため息ばかりついていた悩ましい日々が、懐かしい。

 あの友が逝ってしまったとき慰めてくれたのも、口能登の冬の海だった。吹き飛ばされそうになる冷たい強風に立ち向かい、大声で名前を呼んだ。誰もいないことに助けられ、声が嗄れるまで何度も何度も、泣きながら叫んだ。海は、でっかくて深い。人間が海としているのはせいぜいが大陸棚の辺りまでだろうが、光の届かない深海にも誰も知らない幾多の命が営まれている。海底火山だ、プレートの移動だ、などと言ったところで、想像することさえ容易じゃない。海の懐はどでかい、深すぎるほどに深い。人間なんて、水際の砂粒のようにちっぽけだ。ちっぽけがだから愛おしいのだと、海は鳴いているのかもしれない。

 海を前にしていると、新しいはじまりを感じた。悩みや哀しみを受け止めてくれた海が、今度は、ちっぽけな人間にもそれなりの力があることを教えてくれる。海があるから地球に命が誕生した。そして植物や動物、生きている命があるからこそ水と大気が循環し、海は海として再生し続けることができる。この壮大な自然の営みとは、いったいどこのだれが仕組んだものなんだろう。生きているこの瞬間に潜んでいるあまりの壮大さを思うと、微力な人間のこの無力さえも讃えたくなる。

 逝ってしまった人びとに、この思いは届いているだろうか。どんなに泣き叫んでもあなたにはもう近づけないけれど、海を見ていると、どうしてかすごく落ち着く。懐かしいあなたの声が聞こえるようだ。

 



































| 17:20 | 日々のカケラ | comments(0) | trackbacks(0) | posted by マスノマサヒロ |
パパ

 


 「かのん、パパにいてほしい」と、ぽつりと小さな声が聞こえてきた。クリスマスのプレゼントを届けに行ったイブの夜、久しぶりに孫娘と遊んだ。帰り際に小さな祭壇を置いてあるだけのパパの部屋に入り、手を合わせている時だった。婿が亡くなって一年あまりが過ぎた。三歳半でもうパパのいないことを意識し出したのか。かのん、ジジイの胸もつぶれそうだよ。

 死は、避けられない。後先さえも意のままにならない。死んで行くことへの恐れなどあまり感じなくなっているけれど、遺された者を思うとたまらなく辛くなる時がある。何の力にもなれない。

 母ひとり子ひとりになった娘は、自分の気持ちを前に出し、ひとりで懸命に生きようとしている。ジジイの力などもう必要なさそうだが、切なくなるほど頑張っている姿を前にすると肩のひとつも揉んでやりたくなる。親子なのに、いや、親子だから見ていることしかできない。だったら、じっと見ようではないか。見守るなどというしたり顔した曖昧な態度ではなく、じっと目を凝らして見つめるのだ。つぶれるほどに、深い目を持て。見守ることなら、天国の婿殿が片時も休まずに続けているにちがいないから。







































| 15:22 | 日々のカケラ | comments(2) | trackbacks(0) | posted by マスノマサヒロ |
東京ノ森

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バスを降りた早朝の新宿を歩いた。懐かしい西新宿。学生時代のアパートがあった辺りをウロウロしながら、なんでこんなに新鮮な気持ちになるのか、立ち止まっては考えた。答えはたぶん、見つめようとしているからではないか。たとえば東京の街路樹には名前が付いている。名前と言っても番号だが、3009 R03-01-A02-01のこれは欅だろうか。個人名を知って見上げると、都会の主は実は樹々なのかもしれないと思った。高層ビルを譬えたコンクリートジャングルのことてはなく、本当に東京も森だった。植物たちがそれを喜んでいるものかわからないが、見えない大気の成分をいくらかでも動物たちと交換しているだろう。静かに、人知れずに。成子坂では、「鎮守の森は私有地じゃない。30階建てのマンション建設反対」の壁新聞を見かけ、立ち止まった。成子富士浅間神社のかつての境内の一部がまだ残っていた。昔はここも森だったと、誰かが覚えているだろうか。見つめていると、事の善し悪しではない、ただいまの其処にある姿がそのままで見えてくる。まるで境内の石像たちが見つめているように。



































| 10:33 | 日々のカケラ | comments(0) | trackbacks(0) | posted by マスノマサヒロ |
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