kazesan3風の吹くままカメラマンの心の旅日記

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活動する力





ルドルフ・シュタイナー @R_Steiner_jp
こんにち、人は任意の願望を意志と呼んでいます。しかし願望は意志ではありません。人は何かがうまくいくようにと欲します。これは意志ではありません。意志は活動する力です。この力がこんにちあらゆる分野で欠けています。現代人の中にこの力が欠けているのです。−魂について−

現代人に欠けている意志、活動する力。これって、湧き上がってくるものか。 QT @R_Steiner_jp 人は任意の願望を意志と呼んでいます。しかし願望は意志ではありません…意志は活動する力です。この力がこんにちあらゆる分野で欠けています。現代人の中にこの力が欠けているのです

福島キッズの保養プログラムを主催した石川県内の有志が集う二度目の会に参加した。飲んで食べて語り合っただけのひとときなのに、こんな田舎ではあまり感じたことのないエネルギーが満ちあふれていた。変えたい、変わりたい、でも何をどうやってと、きっとそんなことを内に秘めた人たちに違いない。

シュタイナーの時代から、現代はさらに退化しているのか。意志、活動する力に欠けている現代人は、ネットを駆使してそれを代替行為としているのか。生きる力は、そんなところから出て来るはずがない。面と向って語り合い、身も心も動くこと。人間らしいとは、そういうことだ、きっと。

この世で出会う人は限られている。70億の人間のほんの一握りと出会い、その瞬間に新しい動きへと育つ芽が顔を出す。種はすでにそれぞれの内にある。種の殻を破る刺激がない出会いなど、出会いとは言わない。出会いに遭遇すると、まだ言葉にならない熱いものがあふれてくる。それが意志にもなるだろう

何かしたいと希望や念願を掲げる前に、出会いに敏感であれ。出会うための準備をしろ。出会いだと思ったら素直に従え。それが生きる力にもなってゆく。これまであまり動かなかった者が少しだけでも動いて、そう感じている。

保養プログラムへの支援金を出すという提案を受け、先日活動についてのプレゼンをした。これも出会いには違いないと思いながら、とても疲れた。調査、選択の対象となり吟味される立場は、社会のシステムに組み込まれたもの。それを無視した活動は成立しないだろうが、活動は出会いで成り立っている。

出会いとは、選択したり吟味する対象ではない。感じ合うものだ。語りもするが、言葉の前に感じるものがある。感じない活動など、義務や正義感や、とにかく内から発したものでない何らかの制約を受けている。だから必要以上に言葉を並べ、制約を解こうと、または支えに疲れる努力をしなければならない。


































| 13:29 | 日々のカケラ | comments(0) | trackbacks(0) | posted by マスノマサヒロ |
魂の世話(2)
 




 「だいずせんせいの持続性学入門」の中で、高野雅夫さんは<魂>と対比させた<システム>の層を語っている。

 原発事故という大惨事に遭遇してしまった日本の庶民の大半は、その後の政治や行政の対応にあまりに愚かで滑稽でさえあるものを感じたのではないだろうか。「ただちに危険はない」と言った政府は、今も福島県民を愚弄しているとしか思えない。そこには人間としてのぬくもりや思いやりがまったく感じられない。けれど、彼らはシステムの中で考え動いているのだ。その中でしか機能していないのだ、としたら、さもありなんと思ってしまう。

 社会は、いろんな立場が交錯したシステムとして営まれている。その中で利益を追求し、搾取もし、自らを誇示し、他者の批判を繰り返している。そのシステムから漏れてしまうことを敗者とする向きもある。追い込まれて自ら命を落とすのは、このシステの外にある境遇に耐えられなくったということでもあるだろうか。順風満帆という人生がもしもあるなら、それはシステムの網をかいくぐりうまく乗り切ったというに過ぎないだろう。だがいつか誰にでも死だけは必ず訪れる。その時、何を感じるだろうか。いい人生だったと周りに感謝して逝く人がいて、死んでも死に切れないと嘆く人がいる、だろうか。少なくとも一度だけの死を前に、魂との対話があるかも知れない。その魂のことを、生きている今、感じてみることができるだろうか。

 夫を喪ったあのころの娘が不憫でならなかった。遺された幼子を思うと、胸が張り裂けそうだった。周りの誰もが哀しみに包まれた。あれから二年と少し、何かが目に見えて変わり始めている。人は生きているかぎり、生きて行かなければならない。動かし難い巨大な岩のような娘の哀しみが、やがてポケットの中で転がる小石のようなぬくもりに変わる日が必ずや来るだろう。その過程を支えるものがあるなら、何だろうか。システムの中でそれなりの生活は出来るだろう。だが生きることはシステムなどでは決して賄い切れない。その時、どうしても必要なものがあるのだ。それに出会うことを人生と言うのだと、今は考えたい。

 魂があるなら、誰もが持っているだろう。関係の生き物である人間は、だがほとんど誰も魂のことを向き合って語ろうとしない。ましてや魂のふれあいを感じる瞬間がどれほどあるものか。システムの外に放り出されたと思った瞬間に、もしかして、魂が顔を出しているかも知れないのに。

 今は娘を遠巻きに見守っている(と思う)しかない状況だが、あの日以来、それまで口にしなかった言葉を交わすようになった。「おとうさんのこと、子どもの頃からずっと恐かった。自分の気持ちを伝えるなんてとてもできなかった」と、最近になってメールが届いた。システムでしかなかった親子の関係には深い溝がある。ようやく見えない何かでそのひとつひとつを埋め始めているのかも知れない。まだまだ長い時間をかける必要があるだろう。だが大切な人を喪った哀しみが、固い何かを融かしてもいる。

 福島と石川の子どもたちが海や山で交流した夏のキャンプは、それぞれの自分勝手な思いを言い合える、それこそ開けっぴろげな家族のような雰囲気だった。その中でじっと耐えてひとりで泣いていた女子中学生がいた。ある日、突如として、大声を上げた。「わたし、真剣に怒りました。初めてです」と、翌日だったかそっと教えてくれた。一皮剥けたみたい、などと笑いながら。

 キャンプじたいはシステムで運営されながら、子どもたちはそれを意識することもなくシステムの外にあるようだ。子どもは本来、素の状態で生きている。昔よく使ったあのオブラートでくるんだような、妙なまやかしがない。鎧を脱いで、本音を露にする。自分を着飾っていたのではその場にいることが難しくなることを、本能的に知っているのかも知れない。それに触発されたこのジジイまでもが、本能で接することができたようだ。

 17日間の全日程を通して参加した福島の男の子が最後に言った感想をまた思い出している。「ぼくは一人っ子なので、喧嘩できてとてもうれしかった」。泣いたり悲しんだりすることも、子どもたちにとって得難いふれあいだった。守られたキャンプというシステムがそれらすべてを支えたのだと、今改めて感じている。それぞれが自分でするしかないという魂の世話を、どうやらふれあいの中で繰り広げていた。

 さて、この着飾った社会のシステムは、いったい何のために機能しているんだろう…





































| 15:18 | 日々のカケラ | comments(0) | trackbacks(0) | posted by マスノマサヒロ |
魂の世話(1)
 




 友が教えてくれた「だいずせんせいの持続性学入門」というブログの記事が気になって今日一日何度となく読んだ。この頃うつうつとした気分がさらに低調になりかけていたせいか、記事中の「魂の世話」という一節に取り憑かれてしまったようだ。それにしても、あまりにも簡単に、まるで誰もが知っている決まり事のように、魂という言葉が何度も使われている。魂とは、いったいどんな存在なんだろう。だいたいが存在しているものなんだろうか。個人的にはそう易々とは使えない言葉のひとつになっている。けれども、見えるこの身体や常に働いている内臓などの機能、さらには感情や精神、心などというもの以外に、自分に関わるものがまだ何かあるようだとうすうす感じて生きてきた。ただそれを魂などと言わないだけのことだったのか。これを機会に、意識的に遠ざけてきた魂(のようなもの)について、自分なりに考えてみたいと思う。

 この夏に仲間と取り組み始めた福島の子どもたちのための保養プログラムが、魂を考えるには格好の材料になりそうだ。本気で撮ると決めたはずの写真を放ったらかしにしてまでプログラムの準備や開催にかかり切りになっている。そんな暮らしがもう半年以上にもなってしまった。することが徐々に多くなり(自ら多くしているのか)、離れられなくなって行くのが感じられる。これは本当にしたいことなのか、なぜお前は写真に向き合わないのかという思いがいつも頭から離れない。なのに、冬にまたプログラムを開こうと、自分から言い出してしまった。それがとても自然な気がした。当たり前だとも感じていた。

 放射能汚染に苛まれている福島の子どもたちの中の、ほんの6人と夏に友だちになった。3週間近くのキャンプ生活を通して、子どもたち同士が未来へと続くに違いない関係を作り出した。原発事故という災いがもたらした、これは奇跡なのだとこの主催者のひとりは自負してもいる。

 福井で何度も同様のプログラムを開催している方がキャンプを訪ねてくれた折、面白い話を聞かせてくれた。「この雰囲気いいですねえ。ほかはどこも福島の子らを持ち上げて、もてなして、福島の子らもそれを感じるものだから…」などと言われた。我が「ふくしま・かなざわキッズ交流キャンプ」にはそれがないという。だれが福島で誰が石川なのか、みんなおんなじ子どもとして飛び回っている。それがいいと言うのだ。そんなこと当たり前だと思っていたのに。

 またボーイスカウトの世話など経験豊富な方が一夜、子どもらと遊んだ翌朝に伝えてくれた話も印象的だった。「子どもたち、本当によくまとまってますねえ」。それを聞いて、はじめは驚いた。毎日喧嘩が絶えない子どもらにほとほと手を焼いていたスタッフは、まとまりのないキャンプをなんとかしたいとミーティングを重ねる毎日だった。それがなんと、見方を変えればまとまっていたのだ。「子どもらがすぐに私を受け入れてくれた。これはね、スタッフのみなさんを信頼している証拠ですよ。実にすばらしい」。

 キャンプ生活は、終わってみればあっと言う間の出来事だった。福島の子らに解放してもらおう、と思いながら、このジジイが先頭に立って飛び回ることもしばしばだった。おとなも子どもも、みんなおんなじように解放的になれた。あれはもう支援などという形容では収まらないものだった。ボランティアなどという構えた気持ちなどさらさらなかった。ひとときの家族のようだった。

 だいずせんせいは、名古屋大学の准教授で高野雅夫さんと言われるのか。高野さんの記事にある「魂の世話」はそれぞれが自分でしなければならないという。あのキャンプの間、魂たちはどんなふうに過ごしていたんだろうか。もしかすると、誰ひとり気づかないまま、とんでもないドラマが繰り広げられていたような気がする。それはきっと、見える形に囚われていたのでは決して感じることができないドラマだった。































| 23:13 | 日々のカケラ | comments(0) | trackbacks(0) | posted by マスノマサヒロ |
朔の峰で
 





 長月朔の白山を歩いた。月のない晩、峰々はどんなふうに見えるんだろうと、ただそればかりのことで、痛む膝を引きずって。

 年老いて行くことは人間の、形あるものの習いではあるけれど、実際に己の体でそれを感じるようになると、動けるというこの瞬間にやっておきたいことが鮮明になるようだ。これを最後に登れなくなってもいい。言葉にはしなくても、ある程度の覚悟を持って歩いた。

 人は何処から来て、何処へ行くのか。幼い頃から生まれてきたことが不思議でしょうがなかった。今は、死んで行くことも同じように不可思議だ。その問いの答えを、この年になってまだ追いかけているのか。電池切れのせいか灯してもすぐに途絶えるLEDのヘッドランプのおかげで、何度も闇に包まれた。立っている此の場こそ、何処かから来て何処かへ旅立って行く地点なのだと、また感じている。

 見上げると、星々が、降ってくるかと思うほどに真っ暗な空を埋め尽くしていた。北斗七星、オリオン座、それくらいものしか馴染みがない。名前なんてどうでもいい、けれど名前も呼べないのはあまりに寂しい。その寂しさを、見つめることで癒した。撮ることで慰めた。感じることで許してもらった。

 大汝峰に天の川が架かっていた。血の池にその姿を映していた。街中ではもう見ることができない荘厳な夜空をこの峰で何度拝んだことだろう。美しいのは、美しい。ただそんな言葉では収まらないものがある。言葉では届かない。言葉にすべきではないのだ。何処から来て、何処へ行くのか、それがわからないから生きていられるのだ。相変わらず膝がじんじんと痛む。生きている。

 生きていることは辛いものだと、その昔、お袋が弟に話しているのを思い出した。まさかそんなことはあるまい、喜びがあってこその人生だろうと、反論はしなかったが思った。今はどうか。辛いことも悲しいことも、それなりのことは経て来た、はずだ。喜びも時々で感じて来た、はずだ。この感じ方は自分でもおかしいけれど、どれもこれも、そのようなものだろうという程度のことでしかなくなっている。あいまいになっていく記憶。どれもまるで他人の人生にあった出来事のように感じている。

 カメラを高感度に設定してもそれなりに撮れるようになった。見ている以上に見えてしまう闇など、もう闇ではないのか。それともこれは、世界の聖地を撮りつづける野町和嘉が言った、闇に寄り添うということか。包まれている闇夜に浮かぶ光。けれど足下が見えない。お前はいったい何者だ。闇と対話している時間が、まるで永遠のようにひととき流れずにあった。

 闇の中に融けて行くものを、この朔の峰で感じている。






































| 16:17 | 白山 | comments(0) | trackbacks(0) | posted by マスノマサヒロ |
「いのちの作法」上映会








ネット上で出会った映画の予告編を見ながら、そのほんの数分の間に、本編を観たい、それなら上映会をしようと決めました。去年の「ガイアシンフォニー」の上映会で要領はいくらかつかんでいるし、準備もスムーズだろうと思っていましたが、これがなかなか…やっぱりどんなことも準備って大変、そしてこの準備の段階で開催する催しの内実が決まってしまうような気もします。などど前置きはともかく、映画のタイトルは『いのちの作法』。まずは、その予告編をご覧ください。

いかがですか?これは観たいって思ったでしょ?(笑)。あの日、3.11以後、日本の何かが変わるものだと大勢の人が感じたでしょうに、今この状態はどうですか。変わったでしょうか、変わろうとしているでしょうか。日々の報道にふれながら、あの災いがこの日本で本当にあったんだろうかと悩ましくなることがあります。この身の周りの出来事や聞くでもなく聞こえてくる言葉たちから感じるのは、今も続いている東北の日常とあまりにかけ離れてしまったことです。とは言いながら一度宮城を訪ねた切りで、この目で東北を見て知っているわけではありません。変わろうとして変わっていない自分自身を感じるばかりです。

この上映会の売り上げ金は、経費をのぞいたすべてを「ふくしま・かなざわキッズ交流実行委員会」の活動資金に充てます。上映会のすぐあとには、「冬のぬくもりキッズキャンプ」が控えています。福島から40人を越えた子どもたちや若きパパ、ママを迎えての五日間。どうぞお天道様、雪を降らせてくださいね。子どもたち、とっても楽しみにしているんですよ。お近くのみなさん、お誘い合わせの上、ぜひご鑑賞ください。何かが即座に変わる方が不気味ですよね。でも変わるべき方向がひとつ、この映画の中にあるような気がしています。




































| 16:45 | 日々のカケラ | comments(0) | trackbacks(0) | posted by マスノマサヒロ |
みちすじ





金沢市倫理法人会の会員が集う早朝のひとときに、福島キッズのキャンプを開催して感じていることをお話する機会をいただきました。筋は大まかに決めてあるつもりでしたが、話が福島から参加した子どもたちのことに飛んでしまい、自分でも思わずしんみりしてしまいました。原発事故、その後の放射能の影響は単なる社会問題ではなく、ぼくにとっては身内の大問題になっていることに気づかされました。どう捉えるかの善し悪しなんてどうでもいいんです。知ってしまったあの子たちを守りたい、話しながらそう思っている自分に驚きました。あと十年かそこらでこの人生を終えてもちっともおかしくないジジイの、最後の大仕事にしよう。そんな気持ちが芽生えています。

その朝の会が始まる前に、「万人幸福の栞」というものを全員で読み上げました。その中の一節が気に入りました。

「宗教でも、主義でも、学説でもない。実行によって直ちに正しさが証明できる生活の法則(みちすじ)である」。

倫理を実践することを指して言っているんでしょうか。それぞれの正義を振りかざして正論をぶつけ合ったところで、そこから生まれるものは争いでしかありませんが、実践や行動によって生まれ出る次の新たな展開こそ世に必要なものではないしょうか。輪読を聞きながら、そんなことをしみじみと感じていました。

でも闇雲に実行したところで、闇は闇でしかありません。闇など表層にすぎないことを看破し、突き破る眼力、胆力を込めた実行が必要な時代になっています。

保養プログラムを短期間に分けて開いたところで、本当はどれほどの効果もないかも知れません。福島に住みつづける子どもたちの未来を他人にはどうすることもできません。でも人と人は意思のある者同士が関わり続けることで、生きている日々をより深めることができるはずです。子どもだからと言って容赦はしませんが、おとなだからと言ってしたり顔で偉そうなことも言いません。彼らとのひとときをこれからも真剣に呼吸していたいと、改めて感じた朝でした。



































| 11:31 | 日々のカケラ | comments(0) | trackbacks(0) | posted by マスノマサヒロ |
冬のぬくもりキッズキャンプ







この夏の「ふくしま・かなざわキッズ交流キャンプ」につづいて、「冬のぬくもりキッズキャンプ」を開くことになりました。福島の子どもたちを応援する保養プログラムは継続してこそ力になるだろうと確信していますが、それにどれほどの効果があるものか、本当のところはまったくわからない状況です。福島第一原発事故による影響はいったいどれほどの規模でいつまで続くんでしょうか。専門家の声を頼りに政府や行政もそれなりに対策を練り実行しているのだとは思いますが、あの日から一年と七ヶ月経った今も福島の状況はほとんど変わっていないのではと悲しくなることがあります。だからと言ってただ手をこまねいているわけには行きません。「あの時の日本のおとなたちは一生懸命わたしたちのこと考えてくれてたんだ」と思い出してくれるようなおとなでありたいと願います。

この冬のプログラムは、夏に参加したいわき市の四人の女の子たちとの約束から生まれました。冬の石川も素敵だよ、と軽い気持ちで伝えたひと言に、ぜったい来ると即反応してくれたんです。遠い福島から子どもたちを招いてのキャンプは準備も開催もそれなりに大変でしたが、彼らの輝くあの笑顔を思い出すと、動かないわけには行かなくなります。どんなことがあってもいつかまた立ち上がって歩き出す経験を、彼らのこの幼い子ども時代にこそプレゼントしたいと思います。あってはならなかった原発事故に遭遇してしまった子どもたちに、今手を差し伸べないでいつそれができるでしょうか。言葉ではなく、行動で、共に未来へとつづく夢を描いて行きたいと思います。

継続開催のために、この拙いブログを読んでくださる日本中のみなさまにお願いがあります。少額で構いませんので、末永いご支援をどうぞよろしくお願いいたします。ご送金には下記の口座をご利用下さい。おひとりずつへのお礼はできませんが、実行委員会のホームページ上にお名前を掲載させていただきます。


北國銀行 工学部前出張所
普通 141459
ふくしまかなざわキッズ交流実行委員会
(フクシマカナザワキッズコウリュウジッコウイインカイ)




また桝野正博時代の写真集『あめつちのしづかなる日』のチャリティ販売も継続しております。

『あめつちのしづかなる日』チャリティ販売


































| 12:55 | ひかりっ子 | comments(0) | trackbacks(0) | posted by マスノマサヒロ |
福島原発告訴団





福島原発告訴団が全国に呼びかけている第二次の告訴団に加わってみました。と言っても一口千円の一口を払い込み、陳述書と委任状を書いて投函しただけのことです。原発事故に対して感じていることを自分の言葉で書いてみると、曖昧だったものの形が少し見えてきたような気がします。

福島地方検察庁の担当官がどんな方かも知らないで、でも訴えたいことを修正がきくように鉛筆で丁寧に書きました。書きながらまず感じたのは、全ての日本人が原発事故の被害者だということ。精神的なストレスでさえ被害の一つだと思います。その責任がまだ一切問われていないなんて、まったく不思議です

陳述書には、食中毒で死者まで出した焼肉チェーン店のことも書きました。店は売り払いそれでも補償金には足りなくて、何度も土下座している若い社長の姿が浮かんできました。それに比べて東電の前社長ときたら、多額の退職金を受け取り、支援しないのかの声には自分の老後が心配だとかなんとか…

原発事故で死者は出ていないなどと言う人がいるようですが、いったい何人の方が絶望し悲観し自ら命を絶っていることでしょうか。ほとんどニュースにもなっていないのでは…。土地も家も奪われ仕事も無くなり、家族は離ればなれ、大した改善のないままに一年と七ヶ月が経ってしまいました。

福島原発告訴団にもしも日本中の人が名を連ねたらそれはちょっとした力になるのでは、と陳述書を書きながら思いました。誰もが被害者なら、責任の所在を明らかにするためには、誰もが告訴する。とても自然だと思うんですが、実際にはまったくそうならない。誰もが傍観しているのとおんなじ…

福島では今、除染や避難、賠償などをめぐる考え方の違いから、県民の間に対立が生まれているという、悲しい状況があります(『世界』8月号)。対立は、本当はどこの誰に向ってなされるべきでしょうか。みんなそんなことわかっているでしょうが、県民同士が対立してしまう状況に追い込まれています。

「告訴は、この困難で苦しい状況をもたらしたのは誰かを明確にすることで、県民の間に対立を作らせないことにも意味があります」。「陳述書に自分が受けた被害を書くことは辛い作業ではありますが、被害を見つめ直すことは、力を回復していく重要なプロセス」(福島原発告訴団代表の武藤類子さん)

国民の生活を守ると、野田首相は言いながら、福島を放置したまま再稼働。「私たちは何も言えない民衆ではありません。責任者の責任を問い、被害の回復を求めていくために、発言し、行動していくことができます。そういう力が一人ひとりにあるのです」(武藤類子さん)。

被災して仕事を失った人々が、被ばくしながら除染作業に従事しなければならないこの不条理は、何も福島だけの地域問題ではありません。日本全国、到る所にある原発はたとえ稼働しなくても、そこにある限り暴走する可能性を秘めています。福島と同じことが、これからも繰り返されることになります。

平易で拙い言葉で書いた陳述書でしたが、書いたことで、告訴団の一員としての自覚のようなものが芽生えました。武藤類子さんの言葉、「人の罪を問うことは、私たち自身の生き方を問うことでもありました」は、今日からぼくの思いにもなりました。東電の勝俣恒久会長はじめ33人の罪と、己を問います。




































| 21:15 | 日々のカケラ | comments(0) | trackbacks(0) | posted by マスノマサヒロ |
ニーチェ、またはコスモスのように






 膝や腰が痛み出しすぐに治るだろうと高を括っていたのに、とんでもなかった。あと二年足らずで還暦を迎えることなどほとんど意識していなかったけれど、この体は十分に老い始めている。今朝はそれでも、弱るばかりではあまりに情けないだろうと、久しぶりの散歩に出た。まだ使い慣れない新しいカメラをぶら下げ、立ち止まっては撮りながら。代わり映えのしないこんな暮らしをもう何十年と繰り返している。

 墓地へと続く坂の途中の土手一面に、思わず息を呑み込むほど鮮烈にコスモスが咲いていた。花に鮮烈などという形容は似合わないだろうが、そう感じたのは散歩が久しぶりのせいか。花は来る年も来る年も、同じ場所に同じように自生している。それでいて鮮やかさを失うことがない。痛みをこらえて膝を曲げ、一枚二枚と撮った。これも久しぶりだ。写真に打ち込もうと決めて以来、哀れなほどに撮らなくなった。日常には撮るほどの刺激がない。対象と写真家は、ならではの関係にあってこそ、はじめて撮るという行為が生まれる。決めつけることもないが、そう思うと、撮れなくなってしまった。

 乱雑な本棚の隅に積まれていた『ツァラトゥストラはこう言った』(岩波文庫/氷上英廣訳)を見つけ、読み始めている。黄ばんだ文庫を手に取りながら、買い求めた随分前のあの日の気持ちが蘇ってきた。(この世に生まれてニーチェも読まずに死にたくはない)。何もニーチェに限ったことでもないか。古典や名作と呼ばれるような書物を恥ずかしながらほとんど何も読んでいない。せめて何か一冊ぐらい、せっかく生まれて来たのに…。大仰な気持ちでなく、その程度のことだった。

 「だれでも読めるが、だれにも読めない書物」。上巻の扉に添えられたこの一文にまず出会い、そうか、読んでも理解できない内容なのか、ま、いいさ、読んでおくだけだ、などと言い訳をして、とにかく最後まで読むのだと念じながら、行きつ戻りつしては何度も同じページを繰り返している。本当に繰り返すことしか出来ない男だ。

 ニーチェとはいったいどんな人だったんだろうとネット上の関連サイトを当たっているうち、「だれでも読めるが、だれにも読めない書物」という言葉の意味が気になり出した。哲学という学問から、否、世間からニーチェははみ出すしかなく、孤独に生きた人なんだろうか。自分ではない誰かに、または世間に理解されたいと人は願うものなのかも知れないが、哲学を誠実に生きるなら、ニーチェのように破綻してもおかしくはないだろう、などと凡夫は憧ればかりでものを言う。

 つい最近までの読書は知識を得ようとしていたのか、いくらかは欲があった。それで何か残ったかと言えば、情けない話、何ひとつ覚えていない。まったく空っぽな人生だ。ところがこのニーチェ、時々染み込んでくるような一節に出会う。「読めない」はずの書物の何やらを感じているふうだ。年を取るのも悪くない。そう、これは確かに年を取ったおかげにちがいない。

 同じような日々を繰り返してきただけの人生に、意味を見つけることは難しい。まったく年ばかり喰った。あと十年か二十年、そんなに長くはないかも知れない。これからは得るのではなく染み込んでくるものを味わうべきだろう。もしかすると、そのうち何かひとつぐらい染み出すものがあるかも知れない。静かに、鮮烈に、今朝のコスモスのように染み出すものが。また憧れだけでものを言う。







































| 16:38 | 日々のカケラ | comments(0) | trackbacks(0) | posted by マスノマサヒロ |
加賀もんの服





まだ一度もお会いしていないのにどこか気になる人はいるもの。そんな中のひとり、福井の女性が継続している仮設住宅で暮らす方々への支援を、さらに応援する気持ちになりました。東北も福島ももう過ぎ去った話だと世の中のほとんどの人は思っているかも知れません。実際に見て来たわけではないので正確なことはわりませんが、その女性を介して知るかぎりでは、仮設住宅での暮らし、とくに福島ではまだまだ辛い状態が続いているようです。

先日お話会を催された原発告訴団団長の武藤類子さんの言葉を思い出します。「福島を忘れないでください。つながっていてください」。狭い日本とは言え、見ず知らずの方々の暮らしを日々思いつづけることは、正直難しい気がします。知らぬ間に他人事になっていくこと、我が事としてこれまでも何度も経験してきました。でも福島だけはなぜかそうならないでいます。原発事故そのものが立地している土地だけの問題で済まされないわけですから、忘れようにも忘れられませんよね。ただそこに住み続けなければならない人のことまで想像することは、言い換えれば、武藤さんが言われた「忘れないで、つながっていて」という祈りにも似た声を受け止めるためには、いくらかの努力が必要なのかも知れません。

福島を想うということは、そこに住むどなたかを想うことではないでしょうか。少なくともぼくのような凡夫には、マスメディアやネットに流れるだけの情報や社会問題としてではなく、より親密に支え合える個人的なつながりがないと、なかなかその想いを継続することができません。つながるとは、困っている人のためだけでなく、つながることで今を生きている自分を確かめたいと思う、言うなれば自己満足な面があります。繋がるという言葉はあまり好みではありませんが、だれもがなんらかの縁で結ばれていることは確かでしょうし、その繋がりを確かめ合う機会がいま此処にあるだけのことだとも思えます。

写真の洋服は、そろそろ八十を迎えるおふくろが着もしないで溜め込んでいた冬物です。ナフタリンの匂いが強いので一二日風通しをしています。仮設で寒い季節を迎える南相馬の同世代のおばあちゃんたちに直接送ることになりました。その昔、南相馬へは富山の南砺市から大勢の移民があったそうです。彼らのことを「加賀もん」と呼んで受け入れた古の相馬の人々を想いながら、

母が服 秋の山谷を 越えて行く






*****


支援物資として寄付していただけるものあればお願いします。(南相馬、いわき市の仮設等へ)

福岡百子さんのこと(福島支援活動)





































| 12:47 | 日々のカケラ | comments(0) | trackbacks(0) | posted by マスノマサヒロ |
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