kazesan3風の吹くままカメラマンの心の旅日記

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あきおくん

 

 あきお君とご家族の、新しい一年のはじまりを撮った。利発な彼は一瞬たりとも静止していなかったが、子どもとは本来そういうものだと思えば、それに合わせて動き回って撮るしかない。ピンぼけなど気にしていたのでは、最高のタイミングを逃してしまう。記念写真は後々になって力を発揮してくれるものだろうが、ぼくはむしろ、今、という瞬間に全員で感動したかった。おとうさんが言った。「あきおは笑顔がいいよなあ」。ほんと、天真爛漫に笑う子だった。もちろん弾ける笑顔も撮ればいいのだが、このごろ感じているのは、人のさりげない表情や仕草の中に漂っている、そこはかとないその人らしさだ。それは高貴とでも言いたくなるような、人間が知らずに持っている気品のひとつ、だと想像している。もちろんそんなものが簡単に撮れるとは、もとより思ってはいないけれど、気づいていたい、とは思う。だから、ということは、全ての瞬間が見逃せないものになってしまう。決定的瞬間をねらうというような距離を感じるものでなく、どこまで深く対象にゆるしてもらえるか、または対象との間(あはい)に生まれた雰囲気の中にどれだけ共に浸れるか、が大切になってくる。写真とは、シャッターを押すだけではけして撮れないものだった。少しずつでいいから、撮れるようになりたい。
































| 14:51 | 写真 | comments(0) | trackbacks(0) | posted by マスノマサヒロ |
それぞれの時代
 
 面白い時代がやってきた。時代の転換点に立ち会っているようで、少しばかり興奮してしまう。政権交代したあとの混乱はしばらくつづくとしても、旧態依然とした風潮はやがて消えて行く運命にあるような気がして、楽しみだ。それぞれの選択が、選択したその後にも生かされる時代が来るのだと想像している。

 

 ぼくにとっての、撮るということをこの一二年ずっと考えてきた。言葉による結論めいたものが欲しかったわけでなく、撮りつづける写真と自分との関係をより明確にしたかった。そのきっかけを与えてくれた『風の旅人』が40号を契機に改訂するそうだ。この小さなブログを読んでくれる写真仲間にも朗報だと思う。互いに切磋琢磨しようぜ。

作品募集!! テーマ/日本の地方・・その土地の体感と視点(仮)

 ぼくには、年のせいかもう人の評価など必要なくなった。写真で飯を食うことにも飽きが来た。それでは生きて行く原動力はどうするのだと、それだけが気がかりで、だから撮るということを考えた。

 なぜ写真を撮るのだろうか。もちろん好きだから。でもそれでは答えにならないことを知っている。ぼくにとっての写真はただの趣味ではないのだから。なぜ撮るのかと、探りたいから撮るのだろうか。今はそんな答えで十分かもしれない。写真とようやく本気で向き合う気になっている。時代に合わせて、ぼくにも転換期がやってきた。写真が深まるとき、撮る人もまた深まっているのだと、それなら確かに感じている。





























| 08:58 | 写真 | comments(0) | trackbacks(0) | posted by マスノマサヒロ |
無彩色

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 白だけでも黒だけでもいいのだけれど、白と黒との鮮やかなコントラストに出会うと、目を見開いて見てしまう。冬こその醍醐味。白が黒を引き立て、黒が白を引き立て、ときに豊かな灰色が加わる。そう言えば、風にも色がない。色のない冬の能登は、まるでガラスのように透き通っている。














| 01:45 | 写真 | comments(0) | trackbacks(0) | posted by マスノマサヒロ |
出合い

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 能登でぼくは何に出合いたいのだろう。冬の海は荒々しくて、冷たい潮の飛沫を浴びていると、身も心も喜んでいるのがわかった。雪に埋もれてまるで天上の地かと思う海辺の村は、生まれて初めて見るように美しかった。だがぼくは、能登を撮りながら、風景に出合いたいと思っているわけではないことを知った。能登が好きだ。海を見て何度も震えた。人にも合って微笑んだ。けれども、これだけではないようだ。能登でぼくは何に出合いたのだろう。出合うまで何度でも来るさ。











| 18:36 | 写真 | comments(0) | trackbacks(0) | posted by マスノマサヒロ |
能登、冬の海

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 能登へきた。写真を撮った。何度も同じように過ごしてきたのに、きょうからちがうものがある。とても気持ちが爽やかなのだ。軽いのだ。なぜだかすぐにわかった。ひとつには、これが稼ぐ仕事ではないこと。ふたつには、誰の評価ももう必要ないこと。そしてみっつには、撮ることが大好きだと知ったこと。あとは、何を撮るかということだ。うーん、気持ちがいい夜だ。海辺の暗闇に停めた車の中で、ほろ酔い加減で考えている。












| 19:37 | 写真 | comments(0) | trackbacks(0) | posted by マスノマサヒロ |
小さな願い
 
 イブの晩は、詩を書く友人と過ごした。ふたりは形だけではない表現を求めている。ぎゅーっと心を鷲掴みにされるような詩に出会い、そんな詩を書きたいと、友人は言った。美しい言葉が並ぶだけじゃ深まりがない、とも。現代詩に興味はあっても何も知らないぼくには、詩人の心情を正確に汲み取ることは難しいのだろうが、気持ちはよくわかった。一年ほど前、『風の旅人』の佐伯編集長から、美しいだけの写真には興味がない、と評されたことを思い出す。ぼくの写真は美しいだけのものなのかと、今日までずっと考えてきた。

 美しい、とひと言で感嘆の言葉をあげてしまうとき、確かにそれ以上の思いは浮かんで来ないような気がする。大自然に感動するとき、花やペットを愛でるとき、美しいとかかわいいとだけ言っていたのでは、それは表面を捉えているのでしかないだろう。あるいは、それ以上の深い思いがあったとしても、それは即座に神を思うような、誰もが感じる、もっとも普通で有り体な感覚なのかもしれない。ぼくはおそらく、それとはちがう道を歩いて彼岸へと近づいて行きたいのだろう。



 将来が有望な友人は、この人になら学びたいと、大阪まで通いながら詩の道を精進している。ぼくはときたらどうだろうか。写真道というものがあるなら、それをまっしぐらに歩いてみたいと思っていたが、今はもうそんな気概は消え失せた。美しいだけの写真をすこし離れて見られるようになったせいか、人の評価などもう必要なくなっている。それでも撮りつづけるのだと、確かに思える。ぼくのため? 表現のため? 写真家を目指すから? 世界を理解したいから? なぜ写真を撮るのだろう。もしかすると、その理由さえ必要なくなっている。ただ、撮れるような気がするだけ。三十年もの間撮ってきたというのに、初めてのこの感覚。ぼくの写真をこれからようやく撮りはじめるのだと、わけもなくそう思う。

 友人に向かって言った。深い詩と、深い写真がいつかできたなら、その時こそは一冊にまとめよう。ふたりであたためている小さな願いだった。


























| 06:00 | 写真 | comments(3) | trackbacks(0) | posted by マスノマサヒロ |
お地蔵さん



 そのお地蔵さんは観光ルートをやや離れた卯辰山寺院群の高台でひっそりと座っていた。辺りには無縁仏となった墓が並んでいた。あの世とやらへ行ってしまえば、誰もがいつかはこの世の縁者を失ってしまうのだろうか。お地蔵さんは、それではあんまり不憫だと言って、墓守をしていたのかも知れない。そのお地蔵さんの写真を今度の個展に展示したところ、同じ日にふたりの方が購入してくださった。ひとりはこの辺りではあまり見かけないロマンスグレーの紳士。地元の中学校の先生だとか。「写真のことはちっともわからないんですが、このお地蔵さん、なんだか知らないけどいいですねえ」と気に入ってくださった。もうひとりの女性は、わけもなく涙が出ると言って、澄んだ瞳で泣いていた。会場から声がかかり、気ままに流されるままに開いてきた写真展の、これを最後と決めている。ここからは意思を持ち、意識的に見つめ、撮ってみたい。それでいつの日か、もしかすると死ぬまで実現しないこともあるだろうが、再び個展の機会でもあるなら、その時こそは大勢の方に見てもらいたい。きっとこのお地蔵さん、ついでにぼくも見守っていてくれそうだ。














| 19:16 | 写真 | comments(5) | trackbacks(0) | posted by マスノマサヒロ |
深い写真
 
 「表現の行方」をテーマにした『風の旅人』公開トークからぼくが受け取り、受け取るだけでなくこの先も育てて行きたいものを、一度この体内に植えつけておかなければならないと、強く感じている。あれから一週間ほどが経った。毎日、これからのぼくと写真の行方をどうしようかと想像して、頭から離れない。それこそがトークのひとときに参加して変わった、最も大きな出来事かもしれない。

 トークには、写真家の細江英公さんと森永純さんのおふたりに、中藤毅彦さん、有元伸也さんの将来有望な若手が加わり、田口ランディさんが、ならではの彩りで場を深め、編集長の佐伯剛さんが方向を探りながら進行役を務めた。

 思い出すと、細江、森永という偉大な写真家を評したランディさんの「文学的に」と前置きした話が、まず蘇ってきた。ランディさんは『薔薇刑』を取り上げて、「細江さんは三島由紀夫になっていた。三島は撮られているのではなく、うっとりと三島自身を見ていたんだよ」と、核心を突くように言い放った。森永さんについては、「泥河や海を見ているのではなく、いつの間にか同じ粒子になってそれに融け込んでしまっている。そうなんだよ、融け込んで撮っている」と、確かそんな調子で内容だった。それらはランディさんの言葉というより、わきあがるひらめき、直感のようなものだったにちがいない。作家の言葉が場の波を変え、波のひとつがぼくの中にも押し寄せてきた。被写体との関係を見事に言い当てられた写真家は、それを実感している風ではない素振りだったが、その妙が、本物の表現者としての品位と風格を三人から引き出している気がした。


地べたの菜っ葉は蝶のように舞う

 被写体に限らず、相手に対峙する、などという姿勢があるけれど、それくらいでは撮るという行為がもたらすかも知れない境地には到底及ばないと、ぼくも感じてはいる。理解しようとする、などはもってのほかだろう。見つめて、見つめて、さらに見つめる。そうすると、見えないけれど、それぞれに見合った、ならでは、というような関係が生まれるのではないだろうか。深く体験したこともないぼくにはそれはまだ想像上の話でしかないけれど、満月の霊峰白山の頂に佇んでいる瞬間の、言葉ではないあの融けるような感覚をつい思い出してしまう。

 細江さんは鏡だったのか、それとも三島由紀夫に同化していたのか。撮影の瞬間を思い出しながら「おおっ、もっと、もっと、という感じだった」と、簡潔でだからこそ響いてくる短い言葉で語れば、森永さんは「海が揺れ出し、その上を歩けるのではないかと感じることがある」と、まさに体験した者にしかわからない深い言葉で振り返った。そうだ、深い、としか言えないけれど、本当に深い体験が、写真を撮る、という行為の奥底にはあるのだろう。それをこそぼくは感じてみたいのだと、今確かに思っている。

 何をやっても長続きしないぼくが、大したテーマもなくここまでの三十年を写真と共に生きてきた。それが自分でも不思議だ。ただ好きというだけではないものが、ぼくと写真の間にもあるような気がしている。深い体験に基づく深い写真というものが、きっとあるにちがいない。




























| 10:54 | 写真 | comments(0) | trackbacks(0) | posted by マスノマサヒロ |
砂つぶの意思
 


 これが転機と決めた写真展がきょうからはじまった。転機などというものは、本当はあとから振り返って、そうだったとしみじみ感じるものだろうに、訪れる前から転機と決めているのだから、自分でも可笑しくなる。それほどに、実は期するところがある。タイトルは、流砂。ここまで流された自分をこれまでは固い岩だと思っていた。大したこともないけれど、頑固な面を持っている。だがここからは、砂になりたい。砕けるだけ砕け散って、粉々の砂になりたい。砂は、ますます自由だ。流されて、どんな隙間へも忍び込む。下積みとなって、大地のひと粒になることもできる。問題は、砂つぶにも意思があるか、ということだ。どうしても気になる。極小の砂つぶは、意外にも想像以上に固いだろう。岩の比ではない。これ以上崩れないほどに固いなら、それこそが意思、かも知れない。砂よ、流れて、どこまで行くのか。気にすることはない。大海に決まっている。






| 11:20 | 写真 | comments(0) | trackbacks(0) | posted by マスノマサヒロ |
三十年のけじめ

 

 三十年という歳月は、長かったのか短かったのか、自分で過ごしておきながら実感がわかない。まだつき合いはじめたばかりのころ、ヨシエどんに告げたことがある。「カメラマンになりたいんだ」。それが叶ったわけだから、不満があるわけではないけれど、よくも三十年もの間、大した変化もなく撮りつづけてきたものだと、呆れて、どこかぼくの片隅が物悲しいと言っている。それなのに、小さいとは言え懲りずに写真展を開こうとしている。おそらくこれが、きょうまでの日々を締めくくる、けじめの展示だ。テーマもなく、見つめる視点もなく、ただ流されてきただけのぼくが出会い記録したまでの写真たちが並ぶ。告知をして来場を乞うなど、許されることだろうか。

 お時間があり、これからのぼくを楽しみにしてくださる方がいらしたら、どうぞお越し下さい。そしてとりあえず、これまでのぼくを笑ってやってください。

 会期の前半は、東京にいる。『風の旅人』主催の公開トークがあって、二度と巡りあえないような写真家たちの話が聞ける。刺激を受けに行くつもりが、打ちのめされて、粉々になってしまうかもしれない。それならそれで仕方がない。立ち直れないなら、その程度の人生だ。

 先日、ヨシエどんに告げた。「これからは写真家になりたいんだ」。叶うものか叶わないのか、それはどうにもわからないけれど、なにがあっても悔いのない日々にしたいものだと思っている。写真に出会えて、本当によかった。


 マスノマサヒロ写真展「流砂」
 会期 2009年12月11日(金)〜20日(日) 9:00〜16:00
 会場 小堀酒造本店 石川県白山市鶴来本町1丁目ワ47 電話 076-273-1180






| 23:10 | 写真 | comments(3) | trackbacks(0) | posted by マスノマサヒロ |
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