kazesan3風の吹くままカメラマンの心の旅日記

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月よ
 霜月十日の夜。上弦の月を過ぎて、ぷっくりとふくらみはじめた愛嬌のある形が晴れた星空に浮かんでいる。車に置き忘れた物を取りに外へ出て、久しぶりに美しい月光を浴びることができた。しばらくじっと見つめて、見つめるだけでは物足りなくて、目を閉じて手を合わせた。透明な月の気配がからだの中にいきなり生まれた。月から流れて人に伝わる見えない何かには、ほかのなにものにもない不思議な柔らかさと強さが同居している。ぼくには、はっきりとそう感じられた。ああ、月よ。月にまもられて眠る夜。天上の君も、やすらかに眠っていますか。










| 22:44 | 月的生活 | comments(2) | trackbacks(0) | posted by マスノマサヒロ |
月的生活
 旧暦というからには古くさいものなんだろうと思っていたら、どうやらとんでもなく優れものだった。どうして日本人は、こんなに豊かな生の感覚にもつながる暦を切り捨ててしまったんだろう。残念でしようがない。ぼくの興味は一気に月的生活に傾いてゆく。

 志賀勝『月的生活』(新曜社)は、開いたばかりでまだ詳しい話はなにも知らない。けれどこの本、プロローグだけで十分に面白い。大好きな月が、ますます身近に感じられる。

 1年365日。飾りの絵やデザインは違っても、毎年同じように数字が並ぶカレンダーをながめながら、あぁ月日の流れは速いなぁ、もう年の瀬だよと、ため息をつく。そんな気分によくなるけれど、ほんとうは暮らしの感覚というものはそんなもんじゃなかった。時間は確かに流れて感じられる。でも今のはただ、カレンダーの日付や時計の針に追われているだけの、まったく慌ただしいばかりの世の中に変わり果ててしまっていたのだ。こんなので生きた、と言える感覚になれるはずがない。

 人はほんとうは生かされいている。何に生かされているのかは知らないけれど、とにかくそれは誰にも共通してある感覚だろう。そうじゃない人は無感覚なだけだ、とこれを読み出して思うくらいだ。人も含めたすべての生命体は、月と太陽のリズムに乗って、生かされている。そしてかっての人たちは、生かされいることを身体で感じて生きていたのかもしれない。


 志賀さんが普及しようとしている太陰太陽暦の1年は、立春(西暦2月4日。5日のこともある)にもっとも近い新月からはじまる。師走だと言ってそろそろ気持ちばかりがそわそわし出すころになるけれど、今度の旧暦のお正月は2月7日にやってくる。例年、年の瀬を迎えてもいつもとなんにも変わらないぼくだったが、これでうなずけた。宇宙のリズムに合わせた大晦日は、まだ少し先の話だったんだ。

 みそかは、晦日。晦という字には、暗いという意味がある。晦日で、つごもり、とも読む。つきごもり、月籠り、月が隠れるのだ。その年の最後の晦日が大晦日。そんな夜に月が煌煌と輝いていたのでは、人間のどこかがおかしくなってもしようがないのかもしれない。どんちゃん騒ぎで街に繰り出すのももちろん楽しいだろうが、ほんとうは大晦日とは似ても似つかない夜なんだ。それならぼくも騒いでみようかと、安心もするけど。

 明けて、正月ついたちは、朔日。『月的生活』によると、ついたちはつきたち、月が立つ、にも通じているようだ。朔は、はじめ、もと。さかのぼり、よみがえる日だ。新しい月が生まれる、新月の元旦。なんて素敵なんだろう。旧正月などと簡単に片付けていたこれまでのぼくが悲しくなってくる。これからは、1年に2度、しかも旧正月をこそ大事に感じて暮らしてみたい。

 志賀さんはプロローグで書いている。

 「月と太陽を父母のように抱きながら、大地という胎盤から生まれ落ちたのがわたしたち生きとし生けるものなのです。海の満ち干を見ればわかるでしょう。海洋生物も、赤ん坊の誕生も、月に影響されていないものはありません」。

 月を愛でるとは、月にも生かされてきた自分自身を、そして同胞たちを愛でることなのかもしれない。日本以外のアジアの国々にはきっと今も月の暦を大切にしているところがあるだろう。近代化の正体が、少しわかったような気がする。
 

 
●「月と季節の暦」は、月と太陽の暦制作室の志賀勝さんが制作販売しています。ぼくにこれを教えてくれた八木倫明さんのお名前を添えると、送料は無料になるそうですよ。
 





| 07:08 | 月的生活 | comments(4) | trackbacks(0) | posted by マスノマサヒロ |
霜月の朔
 今日から霜月、11月。月暦の話だ。新月の夜が間もなく明けて、新しい月が誕生する。月のはじめを朔(さく)というのだそうだ。月が太陽と同じ方向にあって、いつも見せている半面が夜空に暗く沈んでいる。言葉を読んで知識として残るばかりでなく、月への想像はなぜか心にしみてくる。

 新月は人の願いを叶えてくれると、ときどき見聞きする話だ。ひと月のリズムは月の公転に合わせて流れているのだから、今生まれて満ちてゆこうとする月に祈りたくなる気持ちがよくわかる。目覚めてぼくも祈ることにした。何を願おうか。叶えて欲しいことは、あげればいくらでもあるような気がした。けれども、願う必要がほんとうにあるんだろうか。願わなくても、こうしてぼくは生まれ生かされている。ほかになにが必要だろう。月が満ちて欠けてゆくように、人もまた何年、何十年の日々をそれぞれに長さは違っても、自ずと満ちて欠けてゆく。そんな月に学ぶだけでもいいのではと、願い事をあげることができなかった。

 静かに目をとじ、窓の外の、空の上の月を想った。身体のなかで、まるで新しい命が生まれ出すように、やわらかにさざめくように波が立つ。そうだ、せっかくだから世界の平和でも祈ることにしよう。世界のなににも役立っていないぼくだもの。せめて月のはじめぐらいには祈ることをしよう。地球上に笑顔ばかりが広がりますようにと、それを想像しながら座った。こうして世界のどこかで他にも座っている人がいるのかもしれない。日本の霜月は、霜降る季節。そちらはいかがですか?








| 06:15 | 月的生活 | comments(0) | trackbacks(0) | posted by マスノマサヒロ |
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