kazesan3風の吹くままカメラマンの心の旅日記

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福島原発告訴団





福島原発告訴団が全国に呼びかけている第二次の告訴団に加わってみました。と言っても一口千円の一口を払い込み、陳述書と委任状を書いて投函しただけのことです。原発事故に対して感じていることを自分の言葉で書いてみると、曖昧だったものの形が少し見えてきたような気がします。

福島地方検察庁の担当官がどんな方かも知らないで、でも訴えたいことを修正がきくように鉛筆で丁寧に書きました。書きながらまず感じたのは、全ての日本人が原発事故の被害者だということ。精神的なストレスでさえ被害の一つだと思います。その責任がまだ一切問われていないなんて、まったく不思議です

陳述書には、食中毒で死者まで出した焼肉チェーン店のことも書きました。店は売り払いそれでも補償金には足りなくて、何度も土下座している若い社長の姿が浮かんできました。それに比べて東電の前社長ときたら、多額の退職金を受け取り、支援しないのかの声には自分の老後が心配だとかなんとか…

原発事故で死者は出ていないなどと言う人がいるようですが、いったい何人の方が絶望し悲観し自ら命を絶っていることでしょうか。ほとんどニュースにもなっていないのでは…。土地も家も奪われ仕事も無くなり、家族は離ればなれ、大した改善のないままに一年と七ヶ月が経ってしまいました。

福島原発告訴団にもしも日本中の人が名を連ねたらそれはちょっとした力になるのでは、と陳述書を書きながら思いました。誰もが被害者なら、責任の所在を明らかにするためには、誰もが告訴する。とても自然だと思うんですが、実際にはまったくそうならない。誰もが傍観しているのとおんなじ…

福島では今、除染や避難、賠償などをめぐる考え方の違いから、県民の間に対立が生まれているという、悲しい状況があります(『世界』8月号)。対立は、本当はどこの誰に向ってなされるべきでしょうか。みんなそんなことわかっているでしょうが、県民同士が対立してしまう状況に追い込まれています。

「告訴は、この困難で苦しい状況をもたらしたのは誰かを明確にすることで、県民の間に対立を作らせないことにも意味があります」。「陳述書に自分が受けた被害を書くことは辛い作業ではありますが、被害を見つめ直すことは、力を回復していく重要なプロセス」(福島原発告訴団代表の武藤類子さん)

国民の生活を守ると、野田首相は言いながら、福島を放置したまま再稼働。「私たちは何も言えない民衆ではありません。責任者の責任を問い、被害の回復を求めていくために、発言し、行動していくことができます。そういう力が一人ひとりにあるのです」(武藤類子さん)。

被災して仕事を失った人々が、被ばくしながら除染作業に従事しなければならないこの不条理は、何も福島だけの地域問題ではありません。日本全国、到る所にある原発はたとえ稼働しなくても、そこにある限り暴走する可能性を秘めています。福島と同じことが、これからも繰り返されることになります。

平易で拙い言葉で書いた陳述書でしたが、書いたことで、告訴団の一員としての自覚のようなものが芽生えました。武藤類子さんの言葉、「人の罪を問うことは、私たち自身の生き方を問うことでもありました」は、今日からぼくの思いにもなりました。東電の勝俣恒久会長はじめ33人の罪と、己を問います。




































| 21:15 | 日々のカケラ | comments(0) | trackbacks(0) | posted by マスノマサヒロ |
ニーチェ、またはコスモスのように






 膝や腰が痛み出しすぐに治るだろうと高を括っていたのに、とんでもなかった。あと二年足らずで還暦を迎えることなどほとんど意識していなかったけれど、この体は十分に老い始めている。今朝はそれでも、弱るばかりではあまりに情けないだろうと、久しぶりの散歩に出た。まだ使い慣れない新しいカメラをぶら下げ、立ち止まっては撮りながら。代わり映えのしないこんな暮らしをもう何十年と繰り返している。

 墓地へと続く坂の途中の土手一面に、思わず息を呑み込むほど鮮烈にコスモスが咲いていた。花に鮮烈などという形容は似合わないだろうが、そう感じたのは散歩が久しぶりのせいか。花は来る年も来る年も、同じ場所に同じように自生している。それでいて鮮やかさを失うことがない。痛みをこらえて膝を曲げ、一枚二枚と撮った。これも久しぶりだ。写真に打ち込もうと決めて以来、哀れなほどに撮らなくなった。日常には撮るほどの刺激がない。対象と写真家は、ならではの関係にあってこそ、はじめて撮るという行為が生まれる。決めつけることもないが、そう思うと、撮れなくなってしまった。

 乱雑な本棚の隅に積まれていた『ツァラトゥストラはこう言った』(岩波文庫/氷上英廣訳)を見つけ、読み始めている。黄ばんだ文庫を手に取りながら、買い求めた随分前のあの日の気持ちが蘇ってきた。(この世に生まれてニーチェも読まずに死にたくはない)。何もニーチェに限ったことでもないか。古典や名作と呼ばれるような書物を恥ずかしながらほとんど何も読んでいない。せめて何か一冊ぐらい、せっかく生まれて来たのに…。大仰な気持ちでなく、その程度のことだった。

 「だれでも読めるが、だれにも読めない書物」。上巻の扉に添えられたこの一文にまず出会い、そうか、読んでも理解できない内容なのか、ま、いいさ、読んでおくだけだ、などと言い訳をして、とにかく最後まで読むのだと念じながら、行きつ戻りつしては何度も同じページを繰り返している。本当に繰り返すことしか出来ない男だ。

 ニーチェとはいったいどんな人だったんだろうとネット上の関連サイトを当たっているうち、「だれでも読めるが、だれにも読めない書物」という言葉の意味が気になり出した。哲学という学問から、否、世間からニーチェははみ出すしかなく、孤独に生きた人なんだろうか。自分ではない誰かに、または世間に理解されたいと人は願うものなのかも知れないが、哲学を誠実に生きるなら、ニーチェのように破綻してもおかしくはないだろう、などと凡夫は憧ればかりでものを言う。

 つい最近までの読書は知識を得ようとしていたのか、いくらかは欲があった。それで何か残ったかと言えば、情けない話、何ひとつ覚えていない。まったく空っぽな人生だ。ところがこのニーチェ、時々染み込んでくるような一節に出会う。「読めない」はずの書物の何やらを感じているふうだ。年を取るのも悪くない。そう、これは確かに年を取ったおかげにちがいない。

 同じような日々を繰り返してきただけの人生に、意味を見つけることは難しい。まったく年ばかり喰った。あと十年か二十年、そんなに長くはないかも知れない。これからは得るのではなく染み込んでくるものを味わうべきだろう。もしかすると、そのうち何かひとつぐらい染み出すものがあるかも知れない。静かに、鮮烈に、今朝のコスモスのように染み出すものが。また憧れだけでものを言う。







































| 16:38 | 日々のカケラ | comments(0) | trackbacks(0) | posted by マスノマサヒロ |
加賀もんの服





まだ一度もお会いしていないのにどこか気になる人はいるもの。そんな中のひとり、福井の女性が継続している仮設住宅で暮らす方々への支援を、さらに応援する気持ちになりました。東北も福島ももう過ぎ去った話だと世の中のほとんどの人は思っているかも知れません。実際に見て来たわけではないので正確なことはわりませんが、その女性を介して知るかぎりでは、仮設住宅での暮らし、とくに福島ではまだまだ辛い状態が続いているようです。

先日お話会を催された原発告訴団団長の武藤類子さんの言葉を思い出します。「福島を忘れないでください。つながっていてください」。狭い日本とは言え、見ず知らずの方々の暮らしを日々思いつづけることは、正直難しい気がします。知らぬ間に他人事になっていくこと、我が事としてこれまでも何度も経験してきました。でも福島だけはなぜかそうならないでいます。原発事故そのものが立地している土地だけの問題で済まされないわけですから、忘れようにも忘れられませんよね。ただそこに住み続けなければならない人のことまで想像することは、言い換えれば、武藤さんが言われた「忘れないで、つながっていて」という祈りにも似た声を受け止めるためには、いくらかの努力が必要なのかも知れません。

福島を想うということは、そこに住むどなたかを想うことではないでしょうか。少なくともぼくのような凡夫には、マスメディアやネットに流れるだけの情報や社会問題としてではなく、より親密に支え合える個人的なつながりがないと、なかなかその想いを継続することができません。つながるとは、困っている人のためだけでなく、つながることで今を生きている自分を確かめたいと思う、言うなれば自己満足な面があります。繋がるという言葉はあまり好みではありませんが、だれもがなんらかの縁で結ばれていることは確かでしょうし、その繋がりを確かめ合う機会がいま此処にあるだけのことだとも思えます。

写真の洋服は、そろそろ八十を迎えるおふくろが着もしないで溜め込んでいた冬物です。ナフタリンの匂いが強いので一二日風通しをしています。仮設で寒い季節を迎える南相馬の同世代のおばあちゃんたちに直接送ることになりました。その昔、南相馬へは富山の南砺市から大勢の移民があったそうです。彼らのことを「加賀もん」と呼んで受け入れた古の相馬の人々を想いながら、

母が服 秋の山谷を 越えて行く






*****


支援物資として寄付していただけるものあればお願いします。(南相馬、いわき市の仮設等へ)

福岡百子さんのこと(福島支援活動)





































| 12:47 | 日々のカケラ | comments(0) | trackbacks(0) | posted by マスノマサヒロ |
人の罪を問うということ



福島原発告訴団、などというぶっそうな名前の団長をされている、なんとも穏やかな武藤類子さんのお話を聴いてきました。レベル7という今だかって日本が経験したことのない福島原発事故の責任がなにひとつ問われていないことが、ずっと不思議でしょうがありませんでした(食中毒を出した焼き肉チェーンの社長はあんなにまで責められているのに…)。

「福島の人はもう疲れているんです」と言われた武藤さんでしたが、とても力のある告訴の声明文を静かに読まれたとき思わず目頭が熱くなりました。

「今日、私たち1324人の福島県民は、福島地方検察庁に『福島原発事故の責任を問う』告訴を行いました。事故により、日常を奪われ、人権を踏みにじられた者たちが力をひとつに合わせ、怒りの声を上げました。告訴へと一歩を踏み出すことはとても勇気のいることでした。人の罪を問うことは、私たち自身の生き方を問うことでもありました。しかし、この意味は深いと思うのです。この国に生きるひとりひとりが大切にされず、だれかの犠牲を強いる社会を問うこと。事故により分断され、引き裂かれた私たちが再びつながり、そして輪を広げること。傷つき、絶望の中にある被害者が力と尊厳を取り戻すこと。それが、子どもたち、若い人々への責任を果たすことだと思うのです。声を出せない人々や生き物たちと共に在りながら、世界を変えるのは私たちひとりひとり。決してバラバラにされず、つながりあうことを力とし、怯むことなくこの事故の責任を問い続けていきます」。

人の罪を問うことは、己の生き方を問うことでもある。なんと重い言葉でしょうか。自らを律することなしに他を責めることなどできないと言っているのです。

告訴団に加わるには、できれば陳述書を添えて欲しいとのことでした。今の思いを書くだけでもいいそうです。単なる事務手続きだけを済ませて告訴団を応援することもできますが、第二次の告訴までまだいくらか時間的なゆとりがあるので、その陳述書とやらを前にして、己を見つめてみたい気がします。

会場からの帰り道、片町のスクランブルには大勢の酔客がたむろしていました。若い頃、毎晩のようにふらついていたものです。この世は、ほんとうに不可思議なものですね。小さな島国の小さな田舎町だというのに、いろんな人が大して周りを気にもせず、すれ違っているんですね。



武藤類子さんのお話 福島の女たちの想い


























| 12:38 | 日々のカケラ | comments(0) | trackbacks(0) | posted by マスノマサヒロ |
堆肥を作る




「肥料をやらんからや」といちいち口うるさいおふくを封じるためでもないが、堆肥なるものを作ることにした。と言ってもなんの予備知識もないド素人は、結局参考書に頼ることになる。簡単そうでいいなと仕入れたのが、門田幸代さんという方の『生ゴミ堆肥ですてきに土づくり』。ガーデン好きな女性が喜びそうな体裁を無視して、大事そうなところだけサッサッと走り読みした。庭の土と米屋でもらった米ぬかを、夏の今なら4:1で混ぜ合わせ、それを土のう袋に入れるだけ。あとは食後に出る生ゴミを入れては混ぜて放置する。いっぱいになった時点で畑のどこそこに埋めておけばやがて完熟した土になるそうだ。

さっそく庭の隅を流れる排水溝の掃除を兼ねてたまっている土をさくさくと小さく粉砕した。米ぬかは昔わざわざ食べていたころもあって、なつかしい再会。ついでに草も刈って放り込んだ。なにもかもが無駄なくつながっている感じで具合がいい。生ゴミがほとんど出ない我が家の食卓が問題だ、と案じるほどもなく、歯の無いおやじ用の調理で固い皮などよく出ているようで、すべて解決。「ぜったいに生ゴミ捨てるなよ」と、うるさいおふくろに対抗して釘をさしておいた。

まずは昨日喰った頂き物のスイカの皮。微生物が喰いやすいように、親切にも細かく刻んでやった。どんなに小さなことでも店や専門家に頼らずに済ませると、暮らすことががぜん楽しくなる。自分でも驚くほどにこまめに動くようになった。ただ問題が、ひとつ。自前の生活に近づけば近づくほど、それに割く時間がどんどん増えて行く。今年から本格的に写真に打ち込むと決めていたはずなのに、ほとんどなにもしないままもう夏だ。写真も、暮らすことも、どちらも中途半端にしたくないとすれば、いずれ一方を取ることになるんだろうか。おまけに今夏は福島の子どもたちを迎えてのキャンプに専念だ。ああ、なにしてるんだろうなあ、こいつ。

 「玄関先にそんな汚い袋なんか置くなや」。ありゃありゃ、うるさい口はなにをしても塞がらないもののようだ(笑)。



































 
| 14:45 | 日々のカケラ | comments(0) | trackbacks(0) | posted by マスノマサヒロ |
『あめつちのしづかなる日』





「ふくしま・かなざわキッズ交流キャンプ」開催に向けて、いくらかでもその資金の足しになればと、昔取った杵柄ならぬ昔撮った写真集にも登場してもらうことにしました。桝野正博写真集『あめつちのしづかなる日』のチャリティ販売にご協力ください。一冊、送料込みで3,500円です。売り上げ金のすべてを、子どもたちのキャンプ資金に使います。

『あめつちのしづかなる日』は、6年ほど前に出版したものです。写真に出合ってからの30数年間にのんきに撮り続けてきたものをまとめたに過ぎませんが、当時、それはそれは感動しました。写真集などものにできるとは思ってもいませんでしたから。身近な自然とふるさとの山、白山の風景などで構成しています。詩人の蜂飼耳さんから序詞を寄せてもいただきました。出版してくれた亀鳴屋の勝井隆則さん、ブックデザインの橋本圭子さんといっしょに、3人の夢が詰まっています。今では懐かしい思い出となってしまいましたが…

そう言えば、この写真集をこの方ならなんと言われるだろうかと、『風の旅人』編集部に一方的に送りつけてしまったのでした。多忙な佐伯編集長からすぐにお返事が届きました。「綺麗なだけの写真には、わたしは興味がありません」。とてもショックでした。ぼくの写真は綺麗なだけなんだろうか…。悶々とした日々がそれから3、4年も続いたでしょうか。でもそのおかげで新しいマスノマサヒロが生まれました。この写真集はだから、これからもずっとぼくの宝物になりそうです。

***

桝野正博写真集『あめつちのしづかなる日』

頒価 3,500円

……光をいくらでも 濾していく花びら
   裏から越えて 内側へ落ちる
   花粉にまみれて
   ねむくなる
   雲 濃くなる 低く 低くて
   まみれたひとと眼があう……

       蜂飼耳 序詩「野」より







[内容]

2007年6月3日 第二版発行

序詩 蜂飼耳
桝野さんの写真 大庭桂

装丁 橋本圭子

表紙布提供 さとう うさぶろう

ご注文の際、表紙の布地柄は指定できませんので、御了承下さい。
ご注文、お問い合わせは、こちらまで




「ふくしま・かなざわキッズ交流キャンプ」HP




































| 07:16 | 日々のカケラ | comments(0) | trackbacks(0) | posted by マスノマサヒロ |
日食の朝




 あの朝、今ちょうど金環日食を迎えていることに、木漏れ日の様子がいつもと違うのを感じて気づいた。それでもはじめは笹の葉の影だから三日月形なんだろうかと、まだわからなかった。散歩道にある畑の小屋に映っている木漏れ日に出合い、ああそうか日食だった、とようやく納得したわけだ。空に浮かぶまぶしい太陽を見つめた。直接凝視してはいけないと、報じられている警告を何度か見聞きしたが、日食でもなければ見つめる機会もない。目を細めると一瞬欠けているのが浮かび上がった、ような気がした。太陽の周りの空がうっすらと青いことにも気づいた。いつもならどんなに青空が広がる日本晴れの日でも白々としている、はずだ(確信が持てない)。このちょっとした違いに気づくためには、どうやら日常の細々をよく見て丁寧に暮らさねばならないようだ。明日は日食です、などと情報がなかった頃の人々は、こんな違いをどんなふうに感じていただろうか。驚き、不吉な予感に惑い空に手を合わせただろうか。それとも地に伏して、不可思議な木漏れ日に触れただろうか。舗装道路に映った影の自分を見つめた。周りがぼんやりと滲んでいた。まるで融けていくみたい、と思った。



































| 06:23 | 日々のカケラ | comments(1) | trackbacks(0) | posted by マスノマサヒロ |
『パピヨン 死と看取りへの旅』


 


 田口ランディ『パピヨン 死と看取りへの旅』(角川文庫)の表紙にマスノマサヒロの写真を起用していただきました。庭に咲いていた真っ赤なサザンカの写真です。赤緑色弱のせいもあって普段はあまり赤色に関心を示せないでいますが、この時ばかりは鮮やかな赤が目に飛び込んできました。その時のちょっぴり興奮した自分を今でも思い出すことができます。尊敬する作家の作品にこんな形で関われるなんて、ほんとうに夢見心地でいます。

 パピヨンを紹介するランディさんの言葉の中に、「誰かを看取ったことのある人、これから看取る人、死後の世界について考えたことのある人、魂の存在について考えたことのある人、人間の意識状態に興味がある人、そのような方にはぜひ読んでいただきたいと思います」とあります。まるでぼくのことを指しているような言葉ですが、実はまだこの作品を読んではいませんでした。

 次女の夫、ぼくには婿になる青年が逝ってからこの夏で丸二年になろうとしています。あの時から感じている哀しみが少しずつ形を変え体の内で蠢きつづけています。娘は、遺された幼子とふたりで生きて行くのだと決心したのか、このごろはとんとご無沙汰で、それがまたたまらなく悲しかったりします。身近な人を看取るということは、決してそれで終わってしまうわけではありません。遺された者同士は肩寄せ合い、または縁遠くなったとしても、天上の人を支えにもしてずっと生き続けなければなりません。

 ランディさんとこのしがない田舎の写真家は、取材を通してもう十年ほども前に出合いました。いつだったか北陸方面に来られた折、地元の雑誌編集者と三人で会食したことがあります。酒も進んでそろそろお開きかという頃合いになって投げかけてくださった言葉で、もしかするとぼくは変わり始めたのかもしれません。「マスノさんの写真、なかなかにえぐいんだけど、もうひとつなんだよね」。その言葉の意味は今もよくわからないでいますが、ぼくの中にも育ちたがっている何かの種がある、それが芽を出そうとしているのだと思ったものでした。

 あるときは、親しくされている藤原新也さんのエピソードをメールでいただいたことがあります。自分の作風を変えるためにカメラまで変えているというのです。いつもぎりぎりの家計ではそんなアドバイスをされてもどうしようもないと聞き流してしまいましたが、今変わり始めてみると、変わらないでいる理由を並べてばかりいた自分の怠慢、傲慢さがおかしくて泣けてしまいます。変わることこそ、人生という旅の醍醐味なんだろうと今では思います。

 『パピヨン』の文庫は、この人生の二つ目の宝物になりました。もうひとつは、掲載の夢がかなった『風の旅人』ですが、編集長の佐伯剛さんがネット上のコメント欄に書いてくださった言葉からこのごろずっと考え続けていることがあります。それは、責任というものです。いろいろな人間関係の中で負わされていると感じる世俗的な責任のことではなく、もっと本質的な責任を本来人間は持っているのではないかということです。生きていること、看取ること、そしていつか自分もまた死んでゆくその旅の途上にたったひとつだけ必要なものがあるとしたら、それこそが、ここで考えようとしている責任なのではと思うのです。何に対する責任なんでしょうか。わかったつもりになって簡単に言葉にはできませんが、どうも自分に最も近い存在としてのもうひとりの自分に対して、または自分という曖昧な枠組みを越えたところに広がっている領域に対して、なのではと。己と、己を越えているもの、このかけ離れたふたつの両極を結んでいるものこそ、責任なのではと。

 『パピヨン 死と看取りへの旅』を読み始める、とてもいい頃合いがやってきたようです。




































| 15:37 | 日々のカケラ | comments(3) | trackbacks(0) | posted by マスノマサヒロ |
負荷


      翠ヶ池 2008



 冬の白山に登るなんてもうこの人生では無理だろうと、決めつけ、あきらめていたけれど、先日不意に、登りたい、と思った。あと三年で迎える還暦の冬を目標にした。老いの入口に立っているのが感じられる。でも、いいじゃないか、いくつになったって。一度きりの人生だ、死ぬまで何度でも挑戦してやる。

 さっそく毎朝の里山歩きに、負荷をかけている。ザックに詰める米や酒の紙パックが増えてきた。急に重く感じて計ってみると、今朝は二十キロを越えていた。山岳ガイドの同世代の友人は四十キロも担ぐというから、まったく信じられない。ここにもプロフェッショナルな境地があることを肌で感じる。せめて三十キロまで。

 負荷をかけると、自ずと一歩ずつに意識が向き出す。いい加減な気持ちで歩くわけには行かない。重心が足裏のどこにあるのか、歩幅は適当か、斜面のどのあたりが滑りそうか、などとバランスを崩さないように常に気にかかる。緩慢になるしかない膝や足首、腰の関節の動きに注目すると、体が全体を使って歩いているのがわかる。骨も肉も絶妙に動いている。そう感じた分だけ、これまでの山歩きのなんと中途半端だったことかとため息が出た。

 写真もおそらく同じなのにちがいない。己に負荷をかけないで、なんのためらいもなく撮れるものなど、いずれ大したものじゃない。そこらへんにごろごろ転がっている。三十年以上も関わりながら、世の中でもてはやされている写真のつまらなさが、ようやくはっきりと見えてきた。

 数年前に言われた、『風の旅人』編集長の佐伯剛さんのひと言を忘れたことがない。綺麗なだけの写真。その意味が、今ならわかる。安らぎとか癒しとか、健やかに穏やかにとか、それが望むべきものだと煽てられた世の中に安穏としていられるうちはいいけれど、いつ何時でも、不意の負荷がかかって崩壊する世の中に立ち向かう力などそこにはあるはずもない。美しいという形容詞を決まり切った定型のものとしてしか感じられないなら、おぞましいまでのぞっとするような美は見えないだろうが、美こそは、動いている、激しく、動かしてもくれる。美しいとは、それだけで決して終わらない負荷を感じる力のことだ。原動力、生命力だと、今ならそう思う。

 たとえ四十キロを背負って歩けたところでこの日常のなにひとつ変わらないだろうが、感じはじめたこの一歩ずつの重みを重ねた先にまだ見ぬ世界があるだろうか。負荷をかけてこそ見えて来るものがあるにちがいない、きっとどこまで行っても届かない、果てしないのだろうが。




































| 18:24 | 日々のカケラ | comments(0) | trackbacks(0) | posted by マスノマサヒロ |
閉鎖病棟





 ぼくはいま閉鎖病棟にいます。そんな書き出しではじまる友人からの便りをもらうまで、その環境はもちろん閉鎖病棟という言葉さえ知らずにいた。ぼくは外に出られませんが、お見舞いならいつでも受けることができます。何人もの友人知人に同じ文面の便りを出しているところを見ると、よほど人に会いたいんだろうと、二度ほど出かけた。行ってみると、どこにも閉鎖病棟などとは表示されていなかった。ただ病棟への入り口は施錠され、友人はガラスのドア越しにぼくを待っていた。看護士に導かれ中に入る。いきなり抱きついて来た友人。この十年ほどたまにふれあう程度の間柄だったから、ちょっとどぎまぎした。

 入り口の脇にある小部屋で向き合い、一時間あまりもしゃべった。ほとんど聞いているだけだったが、友人はいったいどこが具合悪いのか見当もつかなかった。普通に会話し、普通に怒り、普通に泣いて、ぼくとちっとも変わらない。

 電話もかかってきた。ダライラマ法王の本を読んでいたとき、相部屋の三人が卑猥な話ばかりするのにいらいらして、ついに暴れたそうだ。そのあとの四日間、独房のような小部屋に閉じ込められひとりで過ごしたという。閉鎖病棟の中には、さらに閉じ込めるための隔離室があるようだ。返す言葉もなく黙って聞いていると、それじゃと言って、電話は切られた。
 
 友人からは割と頻繁に手紙が届く。「あいつらは馬鹿なんです。無視すればいいのに、暴れた自分が恥ずかしい」と二度も書いてくる。同じ内容の便りだと返事に困るが、会話気分の書き言葉でやりとりすることにして、これからは見舞いには行きません、手紙にします、と伝えた。いくらか誤解があったようだが、面と向って適当な会話をして帰ってくるより、友人と真剣に向き合う機会にしたいと思うから。

 友人とぼくはどこが違うんだろ。ぼくもいつも、この世の中にいらいらしている。東日本の大災害からまだ一年だというのに、たまたま被災地ではなかった町の暮らしはいつもと変わらず、旨い物を食べ、酒に酔い、音楽を聴き、好きでもない相手とセックスに興じ、ネット上でそれをやりとりしている。まったく人間っていったいどういうつもりなんだ。それでお前は? と振り返る前に、世の中の嫌気が差す面ばかり気になる。これじゃ友人とおんなじ。違うのは、まだ暴れていないという程度のことばかり。

 原発事故は一向に収束する気配がない。現場では死に物狂いの作業が続いているだろうに、政府も東電も、まるでのほほんとしているように感じる。福島県民は怒っているのに、そうでない県民は、怒っているだろうか。おとなしい日本人、行儀がいいんだ、みんな。ぼくももちろんそのひとり。

 友人への返事には、去年の初冬に白山帯の森を歩いて感じたことを書いた。山を歩きながら撮る写真は、ひと際目立つ大木だったり絶景だったり、とにかく特別この気を惹く対象がほとんどだったが、その日、舞い出した雪で埋もれて行く森の雑多な美しさに気づいて目を見張った。森にあるのは巨樹ばかりでないことぐらい知っているが、実際には森のなにひとつも見ていなかった。森は本当にありとあらゆる姿の樹々で埋め尽くされていた。折れて朽ちてゆく小枝が土に還る。草木、鳥や獣、名もない土中の微生物さえ、すべてが森をつくる担い手だった。その上でそそり立っているに過ぎない大木は、足下の小さな生き物たちをどう見ているのか。木を見て森を見ずとは、まったくよく言ったものだ。

 見えるものばかりに気を取られていると、その場の雰囲気というものを感じないで済ませている。出来ることなら、目は閉じていたほうがいいくらいだ。ことに森では、存在は瞑って視なければ感じられない。このごろ里山を歩きながら、そう思うようになった。森の巨樹もいいけれど、まるで乱舞しているような目線の高さの樹々がいい。森はまさに踊って混沌としている。その中に迷い込むがいい。森を歩く醍醐味だ。

 友人は、なぜ閉鎖病棟にいるんだろう。暴れるから? ぼくもときどき暴れたくなる。この世の中も、閉じているのかと思うことがある。だからでもないが、見えないものまで感じようとすればいい、森を歩くようにして。




































| 16:10 | 日々のカケラ | comments(0) | trackbacks(0) | posted by マスノマサヒロ |
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