kazesan3風の吹くままカメラマンの心の旅日記

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キャンプから広がるもの





「冬のぬくもりキッズキャンプ」のスタッフの打ち上げをしました。総勢40人以上もの方が応援してくれたキャンプですから打ち上げもさぞかしにぎやかなものになるだろうと想像していましたが、参加は実行委員の6人とスタッフ6人だけというつつましやかなものとなりました。7時開会、お開きは12時すぎ。おかげでゆっくりと向き合って話し合うこともできました。

スタッフ6人のうち学生が4人も参加してくれました。福島の子どもたちから届いた年賀状の披露もあったりして、しばらくは続きそうな交流の予感に大満足です。

キャンプは、ただ気ままに遊んでいるだけのようで、実はその後も想像以上に豊かな贈り物をかかわった人それぞれに届けているんだと感じます。それはぼくの私的な経験からでもわかります。そんな話をみんなにも聞いてもらいました。

一応はこれでもぼくは写真家を目指しています。キャンプの準備や開催に仲間たちと毎日のように動いていると、その気持ちからどんどん離れていくようで迷いが生まれていました。限られた残りの日々に本当にしたいことをしなければという、焦りのような落ち着かない気持ちにもなっていました。

ところがどうでしょうか。大事にしようと決めたキャンプと、撮りたい写真の世界が急激に接近するのを感じます。キャンプをしようと思い出してそろそろ一年になろうとするいま、なんの予感もなかった新しい環境に自分を置こうとしています。自らの意思で動いていたようで、実はそうではなかったのかもしれません。目の前にあるものに打ち込むとき、いつもなんらかのはからいがあるような気がするほどです。

この春から働き出したり“就活”を迎える学生の前途にも、おなじようにそのはからいがあるだろうと思います。はからいは、キャンプという “場” が創り出しているのだと、この一年で強く感じるようになりました。

福島の子どもたちを応援しながら、地域づくりにもつながればいいと思っています。地域とはなんでしょうか。土地、町、身近な自然、暮らし、商店、家族、隣近所、ネットワークなどなど既存のいろんな要素が浮かんできます。そんな中で地域にとってもっとも必要なものは、求めて来た便利さや豊かさにまぎれて見失いがちになりますが、そこに住む人間そのものではないでしょうか。人間が創り出すもの、地域もそのひとつだと思います。

キャンプは、参加する子どもたちだけでなく、応援する若者にも、限りない恩恵を与えてくれるだろうと思うのです。なんと言っても名ばかりのこの代表でさえ、少しずつ少しずつ明らかに変容していくのがわかるんですから。

































| 16:05 | ひかりっ子 | comments(0) | trackbacks(0) | posted by マスノマサヒロ |
いのちの ささやかな ふれあい





保養プログラムと呼ばれる福島の子どもたちと過ごすキャンプを実際に開いてみて感じるのは、保養という冠などすぐに外していることです。大した言葉を交わすでもなく体をぶつけ合って戯れていると、どんなに生意気なやつでも孫ほどの世代になる子らが愛おしくてしようがなくなるのです。そろそろ還暦を迎えようかというジジイの中に散乱している子どもの頃のカケラが目を覚ますんでしょうか。保養なのだとしたら、半分はかかわるおとなのためのものだったりするのかもしれません。

このコラムの最後で鷲田清一さんは「東日本の大津波と原発事故からもうすぐ二年。震災後しばらくは、多くの人たちが被災地の人たちを思いを、その体感ごと必死で想像しようとした。ありふれた当たり前の日常を、ひとつの僥倖として受けとめなおした。幼いいのちの未来をつよく感じた」と書きながら、今はどうかと暗に問いかけています。でもこの一文を読んだからといって、それではまた思い出しましょうとは行かないでしょう。どんなに大きな出来事があったとしても、思うだけでは決して続かないのです。それが人間なのではと思います。忘れるからまた生きて行けもします。

でもここに登場する言葉少ない女子高生と幼子の体ごとのふれあいを読みながら、もうこれで彼女は決して忘れないだろうと思いました。体で感じたものは、その感触ぬくもり、寝息や吐息まで、なんとなれば意識的に蘇らせることもできます。

やっぱりこれは保養プログラムではないのです。福島の子どもたちの笑顔と元気を応援しよう、などと声を掛けてみたところで思ったほどに広がらなかったわけです。スタッフとして集まった仲間たちはおおむね自然や子どもが大好きで、それに福島や東北の応援がしたかったという思いが重なったようです。そして実際に出会ってしまったのです。出会うと、忘れることができなくなりました。

出会い、感じるという経験を現代人はいったいどれほど自分のものとしているでしょうか。毎日のように人は出会いながら、出会った人になにを感じているでしょうか。感じたものをその後も忘れずにいるでしょうか。それはいつまでも大事に心に留めておきたくなるものでしょうか。

ここまでの人生を振り返ると、本当に出会ったと思える人の数など片手ほどしかありません。それが多いのか少ないのかわかりませんが、もしかすると人間は、出会いという関係でより人間らしく生きて行ける生き物なんだろうと、福島や地元石川の子らと過ごすキャンプを経験しながら感じています。

応援してくださいとの願いは今も変わりません。そしてそれ以上に願うのは、みなさんにも出会って欲しいということです。出会いは何も人間同士とは限りませんが、そんな出会いも、自分ではない人に出会い伝えることでより豊かに互いを深めるでしょうから。


北陸中日新聞夕刊より


































| 07:54 | 日々のカケラ | comments(0) | trackbacks(0) | posted by マスノマサヒロ |
福島の子どもたち


     ユースケ
 

 福島の子どもたち。そんな括りで考えなければならない事態になった今、個人的なつながりを持ってしまったほんの一握りの彼らのことがますます忘れられなくなっている。少しずつ家族の関係に近づいている、と言ったら大袈裟だろうか。孫の世代の子どもたちと共に、未来へと歩き出した実感がある。

 まさかこんなふうに福島の子どもたちとふれあうことになろうとは夢ならまだしも、現実になるとは思っていなかった。まだ夏と冬のたかだか二回の保養プログラムを開いたに過ぎないけれど、大勢の心ある仲間が寄り添い一緒に生活するキャンプは、本当にそうする心がなければ決して実現しないものだった。被ばくを逃れて一時的な保養に出る事にどれほどの効果があるのか、本当には誰もわかってはいないだろう。しかも将来に何事もないことが効果だとしたら、それは決して見える形では表れないのだ。その場に集う仲間たちは、効果というより、共に生きることを望んでいるのだ、きっと。

 福島の子どもたちの瞳に見つめられると、おかしな話だがこのジジイの胸はキュンとなる。初対面だと恥ずかしくて声を掛けるのにもいくらか勇気がいるほどだ。出会うはずのなかった彼らとの出会いに、不思議な縁を感じている。その縁は、仲間と立ち上げた「ふくしま・かなざわキッズ交流実行委員会」の代表としてのものであり、あともうひとつ、一写真家として見つめる機会にも育っている。

 婿が逝ってしまったあのときの、遺された娘と孫娘を撮った半年あまりの経験が、写真家としてのまなざしを持っていることに気づかせてくれた。撮らねばならない、撮ること以外に自分に出来ることはないのだと、あの日々の片時も忘れることはなかった。マスノマサヒロ以外では撮れない場があることを知った。撮るということは、個人的な表現に向けての衝動などでは決してなかった。大いなる刺激を受けた『風の旅人』編集長の佐伯剛さんが言われる“ならではの関係”が生まれそれを感じたときに、はじめて撮るという意思が生まれる。もはやそれは必然としか言いようがない。その必然を経験してみると、もう二度と、同じような場でこのまなざしを活かす機会は訪れないかも知れない、と感じていた。

 なのに、出会ってしまった福島の子どもたちの未来の声が聞こえる。彼らの未来の姿が浮かんでくる。それは具体的なものではないけれど、感じられる。この先何度出会う機会が訪れるだろう。その度ごとに近寄り寄り添い見つめたい、未来を。撮り残そう、未来へ。



































| 09:11 | 写真 | comments(0) | trackbacks(0) | posted by マスノマサヒロ |
初春



 初春という言葉から感じる響きをとても気に入っている。新年事始めに実にふさわしい。ただそれも、西暦で迎えるこの凍える季節では、とてもじゃないがその陽気を実感できない。かと言って陰暦を待っていると、世の中はすでに新たな心持ちなど忘れ去ったあと。初春や、などとひねろうものなら物笑いの種になる。古の日本人が耽ったにちがいない初春の感慨は、すでにこの世には存在していない、などと御託を並べては、せめて元旦ぐらいは散歩でもと暗いうちから家を出た。いつもの里山の、今日は入口までにした。突然、まさかこんな日に、と油断でもしていたのか、人の気配に気づくのが遅れたカモシカがすぐ目の前の木陰から飛び跳ねた。十メートルほど離れて立ち止まり、しばらくこちらの様子をうかがっている。この動物は用心深いのか暢気なのか、とにかく十分に時間を取って対峙する習性がある。いつもなにやらもの言いたげだ。初春?我々はそれどころじゃないですよ、まずこの冬を越さなければなりませんから、とかなんとか言ったのか。返事代わりに強引に近寄ると、翻ったかと思いきや、薄暗くて前も見えない急な斜面をものともせずに駆け下りて行った。野生とは凄いものだ。まさに、生だ。とてもじゃないが、かなわない。どうやら今年の初春にふさわしい出会いだったようだ。

































| 16:16 | 日々のカケラ | comments(0) | trackbacks(0) | posted by マスノマサヒロ |
2013 kazesan calendar



毎年声をかけてくれる友人がいて、懲りずにまた来年用のカレンダーを作りました。ご希望の方はメールでお知らせください。ご注文のあとプリントや乾燥をして数日後に発送できると思います。プラスチックケース入り(12枚セット)で1,500円(送料込み)です。

今回も白山の写真でまとめました。最近のものではなく10数年前の登拝の中からこれまで現像さえしなかった、自分でも忘れかけていた写真がほとんどです。並べてみると、何度も歩いた同じ白山を今ではまったく違う感覚で捉えていることがわかります。不思議なもんですね。短い人間の時間と永遠とも思える山のリズムと。人ばかりがどんどん変わって行くようです。


































| 14:49 | 日々のカケラ | comments(0) | trackbacks(0) | posted by マスノマサヒロ |
「いのちの作法」を観て





 記録映画『いのちの作法』の上映会を開いている。今日が二日目。朝の上映中に隣の受付の間でこれを書いている。三日間で十四回上映する日程を組んだものの、その甲斐もなくお客の入りはなんとも低調だ。告知に問題があったのか、それともこの手の映画に関心を持っている人が元々少ないのか、などと今後のためにも原因を探っておこう、とはでも思わない。人から人へ届くべきものは、上げる声の大きさで決まるはずがない。数少ない鑑賞する方々といくらかでも会話してみると、十分に何かを感じておられるのが伝わってくる。この分だと半額にしてもらった映画料さえ支払えないかも知れないが、その時点でまた対策を考えるとして、今はただ上映会のご縁で出会う方々と過ごしていたい。

 『いのちの作法』の舞台は、岩手県の山あいの寒村。映画の解説には、「昭和三十年代、豪雪、貧困、多病多死の三重苦を乗り越え、全国に先駆けて老人医療費の無料化と乳児死亡率ゼロを達成した」とある。住民の生命を最優先に尊重するという類いの言葉なら、今どきの日本の政治家や行政の主導者なら誰もが口にしているだろう。だがこの映画は、そんな空疎な言葉を操るだけでなく、五十年も前に「生命尊重の理念」を掲げた村長の実践と遺志を受け継ぐ若者たちが主人公となって、実際にその理念を生きている物語だ。その中のひとりが映画の終盤に淡々と話す言葉が印象的だ。「便利とか効率を求めたら、ここには何ひとつありません」。そして無いからこそ、住んでいるひとりひとりがお互いを大切にしている。否、そうしなければ、村そのものが消えて行くのだ。「こんなにエネルギーのある人たちが住んでいる村を日本は本当に切り捨ててしまっていいんですか?」と、誰に問いかけているのか、静かに痛烈に…。

 初日にいの一番に鑑賞した一企業の社長でもある友人がう〜むと腕組みをして首を傾げながらつぶやいた。「この映画のようには簡単にはできないよなあ」。その意味を計ることはすぐにはできなかったが、何度もこの映画を観て聞いて、改めて感じることがある。それは、人が生きるという大事業はその意思を持ってこそ達成できるのではないか、ということ。満ち足りた、または満ち足りていると感じている環境で、誰が何を改善しようと動くだろうか。耐え忍んできた寒村の暮らしと、あふれる物に囲まれた街の暮らしでは、自ずと大切にする対象が違ってくるだろう。もしかすると、日本中どこにでもある同じ仕様の町町に住むことじたいが、日本人のうちに宿っていた大切な何かを蝕んできた。たとえば、身の周りの命あるものの息づかいを感じる感性とか。繊細な感性を喪失した人間に、周りを思いやり動き出すための意思が芽生えるとは到底思えない。日本という国が、その中の県が、そのまた小さな市や町の行政が、まるでフラクタルな紋様を描きながら、ただただ同じ方向を向いている。その仕組みの外へ放り出され、忘れ去られそうな人々がいて、『いのちの作法』にはその姿が鮮やかに映し出されている。外面だけの生半可な優しさでなく、これは苦悩する環境から生まれた、経済優先の道をひたすら歩んできた国に反旗を翻す、もの静かで勇壮な物語なのだ。だからだろう、簡単には真似なんかできるはずがない。生命を尊重するとは、観念などでは決してない。そうして生きるための意思と、その意思を持つべき環境が、どうしても必要なのだ。

 ランディさんの『サンカーラ』には、福島原発事故後も住んでいる森に留まった友人の話が実名で出てくる。その方の思いを知ることは、この平凡な暮らしに満足しているのかいないのか、それさえも静かに感じる機会を持とうとしない凡夫に叶うはずもないだろう。それでも読後にふと感じたことがある。放射能に汚染された森に住みつづける選択は、自らの意思で選ぶというより、選ぶしかないのだと、そればかりを感じたのではないだろうか。ランディさんは、その友人と水俣で生きる友人を引き合わせている。「あんたも、この森に、惚れられちょるんですよね」という、容易には理解の届かない言葉が交される会話から生まれ出た。

 人が住んでいる環境から愛されるということが実際にあるものなのかは、わからない。もしかすると白山に佇み包まれるあの感覚に近いのかと、想像することならできるけれど、人がその土地で生きるということの中には、人間には決して知り得ない土地との見えないやりとりがあり、それを通して培われるものが人をまた生かしているのだと、想像が広がっていく。それをこそ環境と言うのだろうか。言葉ではなく肌で土地との交流を感じられる人と人が、映画のあの寒村には住んでいるような気がする。町中に居たのでは決して届きはしない心の環境があるにちがいない。真似はできない、せめて少しでも、これが本当の日本なのだと学ぶしかないのだろう。
 
 その上で思う。3.11の後、避難所から仮設住宅の暮らしを余儀なくされる中で大勢の老人が急激に弱り亡くなっているのは、単純に変わった生活の不便さに慣れない心労が原因なのではなく、生まれて生かされてきた土地との血と汗が滲む交流を断ち切られたからではないだろうか。そして今、日本と日本人は、忘れ去りかつて持っていたことも記憶にない大事なものを、実は今も携えているのだと知り、手元に取り戻す絶好の機会を迎えているのではないだろうか。人が生きる上で、自然に包まれ、その中でふれあうことの価値の大きさがあるとして、それを失ってしまった者たちには知る由もないのだけれど。





































| 01:01 | 日々のカケラ | comments(0) | trackbacks(0) | posted by マスノマサヒロ |
秋風
 




 この秋をなんでこんなにまで寂しく感じるのか。年のせいか、などと積極的に老け込んで行くつもりもないのに、つい言葉にしてしまう。婿殿が逝ってしまった二年前の夏、この義父の内側で大きく変わってしまったものがある。否、変わらざるを得なかった。哀しみに暮れる娘と、天国のパパと無邪気に遊ぶ孫娘のそばで撮り続けた写真が、今にして思えば大転換のはじまりだった。もはや自らの写真を趣味などとは思っていない。かと言って、稼ぐ仕事なんだろうか。それも明らかに違うことに気づいている。マスノマサヒロにとっての写真は、いったいどんな言葉に置き換えることができるだろう。最後には、せめてそれに気づいて終わりたい。

 この秋、爽やかな一日に、こうちゃんも逝ってしまった。今さらめそめそと泣ける年でもないせいか、心の中にも秋風が吹くことを痛いほどに感じる。死んだ人ともう二度とこの世で会えないことが、ただただ寂しい。時に顔を出す夜空の月を仰ぐたび、天上の友らの名前を呼んでなぐさめている。

 先日、大阪府立大学名誉教授山田邦男さんの「生きる意味と幸せ」という話を聴いた。ヴィクトール・E ・フランクルをもう40年に渡って読み解いているそうで、この頃ようやくわかってきましたと添えながら、幸せとは何かと提示してくださった。その中でとても共感したことがひとつある。

 「人生それ自身が人間に問いを立てているのである。人間が問うのではなく、むしろ人間は人生から問われているものであり、人生に答えねばならず、人生に責任を持たねばならないものなのである」(『人間とは何か』より)というのだ。

 人生からの問いに答えて行く過程にこそ幸せがある、などとひと言で片付けしてしまえるほど単純な話でもなかったが、聴きながら痛烈にそう感じた。人生とは、生きる意味とは、自分とはと、答えの出そうにない問いかけをここまでひたすら続けてきた日々の記憶が簡単に消え失せてしまったかのように、どこか懐かしい思いに包まれ、安らいだ。

 人生に問われそれに答えて行くのが人生そのものだとしたら、何をか悩もう。その問いはいつも、明らかな答えを伴ってはいないか。答えには、理由も意味も不要だ。それは価値をこそ求めている。この人生に生きる価値はあったかと、最後にまた問われるのかも知れない。

 そんな思いが手伝ってか、今ではこれ無くしてはやって行けないというまでになった仕事に対して、撮影料の大幅な増額を願い出た。お願いという形を取りながら、宣言したつもりでいる。叶わなければ、もう続けなくていいのだと覚悟もした。もう少し謙虚に少しでも長くとなぜ考えられないのか、妻はいぶかしがるけれど、そこにもう価値を見出すことができそうにない。そろそろ田舎の商業カメラマンとしての人生が終盤を迎えている。収入が途絶えれば生活はできない。けれども、一本しかない朽ちはじめた大黒柱は自らで取り壊してしまう必要がある。小さくても幾多の新しい柱を立てるスペースを取らねばならない。老いながら百の仕事を持つという百姓を真似てみるのだ。

 フランクルを通した興味深い話がもうひとつあった。「仕事とは、事に仕えること。金や出世や名声に仕えるのではない」。今この言葉がとてつもなく大きなものとなって、心に響いてくる。ここまで問い続けて来た“人生の意味”などは無限に多様でこれと言って確かなものもない。だが価値なら、事に仕えて見出せる。

 心に凍みる秋風は、嫌いではない。残された限りある人生の秋から冬へと、この季節だからこそ静かに打ち込んでみたい事がある。いつ途絶えてもかまわない。向き合う価値があればこそ。




































| 18:23 | 日々のカケラ | comments(0) | trackbacks(0) | posted by マスノマサヒロ |
肖像写真
 




 二日間を過ごした滋賀への小さな旅を簡単なひと言で表すことができないのは、若者たちが新居とする柏原宿の自宅でのひとときがあったからだろう。二人は夫の両親を見守りながら住んでいた。親を見守るなどと、人生の大先輩に対して使うにはいくらか躊躇するが、老いて行くばかりの姿は本当にそっと見守っているしか手がないだろう。

 その方の目に圧倒された。優しい、しかも深い、それでいて子どものように透明感がある。やんわりと知らないうちに突き指してくるような不思議なまなざしだ。半身不随でベッドから起き上がるか横になるだけでも大儀そうだが、前日のご子息らの結婚式では、支えられよぼよぼと移動する姿がまるでこの場の主役のような存在感を放っていた。大病を患ってもいるそうだ。淡々と身の周りの一日が過ぎて行くのだろうか。「昨日はお疲れだったでしょう」と問いかけると、「まあ、こんな身体じゃ、疲れたのかそうでもないのか、よくわからない」と、寂しげに、否、涼しげにだろうか、答えてくださった。

 何とお呼びしようかと一瞬迷ったが、「おとうさんの写真を撮らせていただけませんか」と尋ねてみた。昨夜若い二人と飲んで話し込んでいるうちに思いついたことだった。この頃、老いて行く人の重ねてきた時間に思いを寄せたくなる。自分もまた老い始めているからだろうか。生きて来た、歴史とも言える日々の味が意識せずとも滲み出している。目がそれを感じさせてくれる。

 不思議なことがあるものだ。レンズを見つめた老人に、内から立ち上がるような力を感じた。目に三代目としての職人の魂が宿っている、気がした。恐いくらいだ。一瞬たじろいだ。ファインダーから離れ、この目で向き合った。なぜだろう、力を感じない。レンズを通してしか見えないものがあるんだろうか。

 カメラを介して向き合ったのは、ほんの数分のことだった。撮らせて欲しいと申し出ながら、あまりに短い時間に自分で呆れた。けれども、どうしようもなかったのだ。人に向き合う器では、まだまだないのだろう。

 撮影を終えると、昔話を少し聞かせてくださった。船乗りになるために家出をしようとした晩、それを察した母親が玄関先に立ち、拝むように懇願して止めたという。人生最大の岐路だったのだ。おとうさんの目に涙が浮かび、急にまた力ない老人になってしまった。だが積み重ねてきたものは今も崩れずにここにある。人の生涯は、その晩年でこそ味わえるものがあるようだ。そのとき、傍で見守る次代の人へと、見えない宝物を差し出している。

 残された時間の枠を使って、これからは遺影写真を撮ろうと思う。死を背にした生、死と共にある生の、其処にしかない姿を、向き合う人との共同作業で遺してみたい。なるべくなら、生きている実感を互いに手にしながら。


































| 13:37 | 写真 | comments(0) | trackbacks(0) | posted by マスノマサヒロ |
サンカーラ





 明日の結婚式の撮影に出かける前に、どうしても読み終えたいと思った。田口ランディ『サンカーラ この世の断片をたぐり寄せて』。一日で読み切ってしまったのは、もしかするとこれが初めてのことかも知れない。直観のようなものだった。明日の出会いに必要なことが書いてあるのだと。

 作家の思考の深さにはとても叶わないけれど、この凡夫にも年齢相応の思いに見合う出会いが訪れ、そこからさらに深めたい道が見えてくるようだ。

 サンカーラとはこの世の諸行を意味しているそうだ。生まれ落ちて死ぬまでに出会うありとあらゆるもの。まさにどれもが断片として人生のあちこちに散乱している。思い出というぬくもりも、今でも胸が痛む哀しみも、振り返ればまるで小山のように積み上がっている。けれどその何百何千倍もの諸行が過ぎ行き、忘れ去っているのだろう。サンカーラか…、なんとも軽快な響きを感じる、空っぽだ、否、浮かんでいる、どっちだ、まったく。

 なぜ結婚式の前に読んでおきたいと思ったんだろう。新郎新婦の若者は初めてお会いする二人だった。『風の旅人』に掲載された「生の霊(いのち)」の写真と文章に出会い、ぜひこの人に撮ってもらいたいと感じたそうだ。二人が大切にしたい一日の写真を撮るに相応しい力があるとはとても思えなかったが、「儀式の意味を考える一日にもしたいのです」と言われて引き下がるわけには行かなかった。真摯で誠実な方々なのだ、誠をかき集めて出会うしかないと心に決めた。

 式は琵琶湖西岸の日吉大社で行われた。紅葉がほどよく色づいていた。肌寒い。雨に濡れた境内を歩きながら、その場の雰囲気に馴染もうと努めた。花嫁ばかりか、撮るためには写真家にもそれなりの支度がいる。服装は久しぶりのうさとの服にした。タイで染め織られて縫われた服が神前に似合うような気がした。撮影のあと新婦がささやいてくれた、「マスノさんはたたずまいがいいですよね」。服のおかげだったにちがいない。目立たずに場に馴染むことが、いくらかはできていたようだ。それが撮るコツのひとつだと思っている。二人を思う気持ちの表れにもしたかった。

 新婦の父は半身不随で、ほんの一二歩移動するにもかなり苦労をされていた。周りの誰もが注意を払っていた。息子の晴れ姿を焼き付けるかのように、濁りなく透き通る瞳の方だった。十三歳から稼業の建具屋の三代目としての人生を歩かれたそうだ。「父は船乗りになりたかったんです」と、式の翌日新郎が教えてくれた。

 二人に誘われるまま、中山道は柏原宿の街道沿いにある自宅に泊めてもらったのだ。いつごろまで営んでいたんだろうか、建具屋の名残りを感じるたたずまいに包まれ、夜遅くまで酌み交わし話し込んだ。新婦は『風の旅人』の佐伯編集長と対談したこともある表現者。絵を描く上でのいろいろな話をしてくれた。二人して写真の話を真剣に聞いてくれた。この世の諸行無常が、近ごろはまるで怒濤のように流れ去って行くけれど、向き合い感じているもののなんと静かにゆったりと流れていることだろう。間(あはひ)に漂う豊かな何かが、手に取るように感じられた。

 翌日の午後、三人で近所を散歩した。通りかかった廃屋が気に入り、崩れかけたその土壁を背に日常の二人を撮りたくなった。なんともいい味の二人だ。こんな若者でいたかったと、今さら後悔しても始まらないが、羨ましいばかりに実に美しいたたずまいの二人だった。

 写真を撮るとは、作業的にはほんの一瞬の出来事だったりする。時間をかけて緻密なまでに見つめる絵画と決定的に違う点でもあるだろう。だが、だからこそ諸行を捉えるにはうってつけの手段にもなりそうだ。そして、これこそが大切なのだと感じたことが、二人と過ごした二日間にいくつも生まれた。そのひとつ、深く撮るためにはそれなりの支度をしなければならない。時間をかけて見つめ続けてこそ撮れるものがある。撮る一瞬に辿り着くための過程が、写真にもあるのだ。まるで描く人のように、裏も表も見つめるがよし。

 “晴れ”の日は、“け”があればこそ。“け”にこそ隠れている愛しいものを、捉え切る人になれるか。サンカーラ、日常の宝物。



































| 15:46 | 写真 | comments(2) | trackbacks(0) | posted by マスノマサヒロ |
カツラ


 


 友が逝ったその日は、暢気に森を歩いていた。今年は数年ぶりに鮮やかな紅葉だそうで、一目でも見ておこうと思った。赤と緑の色弱だから、本当にこの目で楽しめているのかいつも自信はないのだけれど。

 友が脳出血で意識を失ったまま臥せっていることを、この一年近く知らないでいた。あんなに頻繁に飲み交わした仲だというのに、まったく申し訳ないことをした。実家のある能登の小さなセレモニー会館の片隅で冷たくなって眠っている友の額にそっと手を置いた。久しぶりの再会にかよさんが何度となく涙を浮かべて謝った。いつ知らせようかと迷い続けていたようだ。「こうちゃん、ますやんに会いたかったでしょうに」。気にかけていてくれたのだ。大変なときになんの力にもなれなかった者が友と言えるだろうか。あれこれと気を散らしながら暮らしていると、大切にしなければならないことが逃げてゆくのかも知れない。

 山の話をしているうちに、友と一度大喧嘩になったことがある。一歩ずつ自分の足で登ってこそ味わえるのが山だと、友は言った。誰もが持つ当たり前の言い分に異を唱えたくなったものか、ヘリで飛んで行っても気持ちのいいものはいいよ、などと答えた。言い争うほどのことでもなかったのに、互いに譲ろうとしなかった。せっかく呼んでくれた餃子パーティは台無し。大声をあげ、子どもらを引き連れて立ち去った。その日から一年以上も遠ざかってしまうことになるとは、夢にも思わず。

 勤めていた製版会社を辞めてしばらく無職だったころの友と、一度だけになったがふたり並んで山を歩いた。三泊四日の白山の初日も同じあの森だった。避難小屋の翌朝、近づいている台風の影響か、まるで原色の絵の具でも塗りたくったように怪しげな空が広がりうっすらと虹が架かった。不気味でさえあった風景が蘇ってくる。友はもうあの空に還って逝ったのか

 数人の親族が寄り添う仮通夜の座はしんみりとして、いくら友とは言え長居するのは憚られた。次女が顔を出してくれた。幼い頃、どこにでもいるようなこのおじさんを星のおじさまと呼んでくれた子だった。「幸せにやってるか」。「うん、赤ちゃんができたんよ」。傍らには好ましい青年がひとり。「おとうさんの親友よ」と紹介してくれた。親友、だったのだ。胸がまた締め付けられた。親友としての価値ある人間だったか、友にいったい何ができたというのか。人生にはこんな別れ方もあるのだ。

 友が逝った日の風景から選んだこの一枚を贈ろうと思う。見た瞬間に、友がいるような気がした。カツラの大木に友が宿っている。かよさん、気に入ってくれるだろうか。哀しみは重く固く苦しいけれど、やがていつか立ち上がるための土台はそこにしかないこと、カツラが囁いている。




































| 15:09 | 日々のカケラ | comments(0) | trackbacks(0) | posted by マスノマサヒロ |
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