kazesan3風の吹くままカメラマンの心の旅日記

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宗教に代わるもの
 沖縄からもどってすぐの二日間は、ヴァーチューズ・プロジェクトの活動に参加した。いつもなら旅の余韻に浸っていたいところなのに、今一番大切にしていることで過ごしたかった。

 ヴァーチューという言葉を、この小さなブログの場でいくら声高に(いや大文字で書こうが)、いったい何人の人の心に届くだろうか。美徳という響きは古くさく、現代には馴染みが薄いだろうか。

 昨日は富山で、ヴァーチューズ「雪の花」の集いがふたつも開かれ、いよいよ福井から他県へと飛び火することになった。「雪の花」のメンバーは、今ではぼくの大切な仲間だ。富山にも同じように大切な友が何人もいて、ぼくの中で別々の世界にいたその大切な人たちがついに一堂に会したのだ。車座になって並んだみなさんの顔を眺めながら、きょうは記念すべき一日だなと、しみじみと感じた。

 会の中で、リーダーのるみ子さんはダライ・ラマ法王の言葉を引用して言った。

 「法王によると、現代は無宗教の人が世界の半分ほどもいるそうです。でも宗教に代わるものは必要ないのでしょうか。宗教心は必要だと法王は言います。ヴァーチューがその一翼を担えれば」と。

 特定の宗教に入信しようとは思わない。だが、宗教心は必要だろうと、ぼくも感じている。わざわざ宗教心と言わなくてもいいのだけれど、たとえば、人と接する時になんらかの気持ちが常に動いているのだから、そこに確かな指針が欲しくなることはないだろうか。

 人を恨んだり妬んだり、嫌ったりするとき、不平不満ばかり出て来るとき、そのままでいることを気持ちいいと言える人がいるだろうか。人は、本当はどんな心持ちでいたいのだろう。そこに指針となるようなものがひとつあれば、心は平安へと向かわないだろうか。さまようのは心の常だが、帰るやすらぎの場所があるなら、どれほど大きな宝物になるだろう。



 会に参加した方が、「美徳の言葉を声に出して使うのは気後れしてしまう」と感想をもらした。その気持ちはぼくにも十分にわかる。美しい言葉は、きれいごと、うわべ、たてまえ、というような雰囲気をもって聞こえるのかもしれない。とても自分では使えそうにない、と思ってしまう。

 数年前の話だ。音楽家の友人ツヨキとふたりで、ときどきコラボレーション活動をしていた。ツヨキは自作の横笛やピアノやギターを練習もしないで奏でてしまうから、ぼくにはどこか天才肌に見えたものだ。彼は演奏の合間に観客に向かってよく話もした。その内容は、生きる上での大切な心構えのようなものが多かった。あるときストレートに言ってしまったことがある。

 「ツヨキの話はどこか坊さん臭くて、ときどき逃げ出したくなることがあるよ」。

 今にして思えば、まったく失礼な話だ。だが彼は、ぼくのどんな言葉もいつも冷静に受け止めた。

 「そうかい? でも、ぼくの心にあるそのままの言葉だよ。ぼくはそんなふうに暮らしているから」。

 返ってきたその言葉を、ときどき思い出すことがある。ぼくは、口にする言葉そのままに生きているだろうか。心が伴った言葉を発しているだろうか。ありがとうと、一日に何度でも言うけれど、心から感謝していることがいったいどれほどあるだろうか。

 美徳の言葉を気恥ずかしく思い、使うことに気後れしてしまうとき、そこにはなにがあるんだろうか。この世に完璧な人間がいるとも思えないが、完璧な人なら、美徳の言葉になにを感じるんだろうか。

 心から話す言葉。いや、心で話す言葉、だろうか。ヴァーチュー、美徳とは、そういうものなのかもしれない。ヴァーチューズ・プロジェクトとは言葉ではなく、それを発する心を養うことなのかもしれない。だからるみ子さんも言ったのだ。宗教に代わるものだと。

 

美徳の実践セミナー in 石川「美徳の視点」4月12日開講






| 17:02 | ヴァーチュー | comments(4) | trackbacks(0) | posted by マスノマサヒロ |
美徳への誘い
 ヴァーチューズ・プロジェクトを知っている日本人はまだ数少ないだろうが、世界ではすでにおよそ80カ国でプログラムやセミナーを行い、家庭・学校・刑務所・企業などのさまざまな状況の中で、“人格に基づいた文化”を形成することに貢献している。

 これは、若者や家族の間で激しさを増しつつある暴力を何とかできないものかと考えた3人の人々によって始められた。心理療法士・企業コンサルタントであるリンダ・カヴェリン・ポポフ、臨床小児心理学者で世界の聖典に造詣の深いダン・ポポフ博士、ショーのプロデューサーでウオルト・ディズニー・イマジニアリング社のディレクターであるジョン・カヴェリンの3人だった。

 世界の聖典を調べた3人は、非常に単純で深遠な事実を発見した。スピリチュアルな伝統のすべての根底に『美徳』があり、それは人間のスピリットの本質であり、人格の中身そのものであると書かれていたのだ。

 これらの普遍的な美徳を52掲載したThe Family Virtues Guide(邦訳『家族をつなぐ52のキーワード』大内博訳・太陽出版)が出版され、日常生活の中での美徳の実践を復活させるための戦略が考案された。それがヴァーチューズ・プロジェクトだ。(以上、ヴァーチューズ・プロジェクト・ジャパン公式ホームページより抜粋)



 日本にまだ3人にしかいない、このヴァーチューズ・プロジェクトのマスター・ファシリテーターのひとりが、なんとこの北陸にいる。福井県に住んでいる友人の鈴木るみ子さんだ。るみ子さんに刺激されて、ぼくもファシリテーターになってしまった。

 るみ子さんに初めて会ったのは、もう10年余りも前になる。主催したコンサートの観客のひとりとして来てくれた。コンサートのあと、駆け寄ってあいさつしてくれたときの愛くるしい笑顔を今でもよく覚えている。人生の出会いとはほんとうに不思議なものだ。なんとなく続いていた仲が、ここへ来て急接近したのだ。

 福井には今、このヴァーチューズ・プロジェクト・ジャパンの最先端で活躍する仲間が10数人もいる。全国でもまだ100人程度の現状でだ。るみ子さんの影響力は絶大なものがある。ぼくはこの千載一遇のチャンスを逃す手はないと思った。石川を福井に続いてヴァーチュー天国にするのが夢のひとつになってしまった。

 ヴァーチュー、美徳。それは生涯持ち続ける、天与の贈り物なのだ。誰もが持っている人生の宝物だ。宝の持ち腐れにしてなるものか、などとそこまで気負っているわけではないけれど、るみ子さんに講師をお願いしての実践セミナー「美徳の視点」を開くことにした。

 学校や職場、それになんと言っても家族との大切な日々の暮らしが、このヴァーチューライフで潤うことは間違いない。霊性を高めようと10年以上もあちこち彷徨っていたぼくだが、このヴァーチューの仲間にめぐり会い、今本物に出会ったような気がしている。なにが本物かと言うと、悩める人間として地に足をつけ、一歩ずつ確かな足取りで歩んで行けるからだ。これは宗教などではけしてないけれど、どんな宗教心に優るとも劣らない、スピリットの流れに合わせて暮らす確かな道になり得るだろう。

 今、確固とした気概を持って子らを導けるおとなが、この世にどれほどいるだろうか。子を虐待する親ばかりの話ではなく、ぼくやあなたのことだ。自分の子に恥じない生き様を見せているか。人とふれあう理想の姿を見せているか。もしもなんらかの迷いがあるのなら、ぜひこのヴァーチューの門を叩いてほしい。美徳という天与の贈り物を見つめ直し、存分に使い込んでみてはいかがだろうか。

 詳しくはこちらのチラシデーターから。




| 06:00 | ヴァーチュー | comments(0) | trackbacks(0) | posted by マスノマサヒロ |
美徳
 オバマ大統領は就任演説の終盤に「美徳」という言葉を何度か使い、国民を鼓舞した。この日本でそれに注意を向けた人はいったいどれだけいるだろうか。美徳。演説の中の、「virtue」だ。少なくともぼくが今深く関わろうとしているヴァーチューズ・プロジェクト・ジャパンの仲間たちとぼくは、その言葉に敏感に反応している。この際だ。美徳を徹底分析してみたい。

 オバマ大統領が virtue をはじめにあげた箇所はこうだ。


 So let us mark this day with remembrance of who we are and how far we have traveled. In the year of America’s birth, in the coldest of months, a small band of patriots huddled by dying campfires on the shores of an icy river. The capital was abandoned. The enemy was advancing. The snow was stained with blood. At a moment when the outcome of our revolution was most in doubt, the father of our nation ordered these words be read to the people: “Let it be told to the future world…that in the depth of winter, when nothing but hope and virtue could survive…that the city and the country, alarmed at one common danger, came forth to meet it.”

 我々が誰であるか、どれだけ長い間旅をしてきたかを忘れないよう、今日という日を記憶に留めて下さい。アメリカ建国の時代、何か月も続く酷寒の中で少数の愛国者の一団が、凍てつく川岸で消えそうなたき火に寄り添っていました。首都はすでに放棄されていました。敵が迫っていました。雪は血で染まっていました。我々の革命の結末が最も不確かだった時、我が国の建国の父はこの言葉を人々に読むよう命じました。「未来に語り継がれるだろう... 真冬の最中、希望と美徳のみを残し全てが息絶えたとき... この町と国は共通の危機に恐れを抱いていたが、それに立ち向かった、と。」


 酷寒の中、唯一残っていたものが希望と美徳だった。建国に大きな影響を与えた思想家トーマス・ペインが顕わした『アメリカの危機( The American Crisis )』の一節とある。独立戦争中にアメリカが劣勢に立った時、のちの初代大統領となる将軍ジョージ・ワシントンがこの一節を兵士に読み聞かせ戦意を鼓舞したという逸話が残っているそうだ。オバマ大統領はその逸話を取り上げ、アメリカや世界の現状に対して敢然と立ち向かおうと呼びかけたのだ。


 America, in the face of our common dangers, in this winter of our hardship, let us remember these timeless words. With hope and virtue, let us brave once more the icy currents and endure what storms may come. Let it be said by our children’s children that when we were tested we refused to let this journey end, that we did not turn back nor did we falter, and with eyes fixed on the horizon and God’s grace upon us, we carried forth that great gift of freedom and delivered it safely to future generations.

 アメリカよ、共通の危機に直面し、苦難というこの冬の時代に、これらの普遍の言葉を思い出してください。希望と美徳を持って再びこの氷のように冷たい潮流に勇敢に立ち向かい、襲い来る嵐を耐え忍ぶのです。我々は試練の中この旅路を終わらせることを拒み、後戻りすることも、ひるむこともせず、遥かなる地平線に目を据え、神のご加護に守られ、自由という素晴らしい贈り物を運び、無事に未来の世代に届けた、と子孫に語り継いでもらおうではありませんか。


 注目するのは、希望と美徳が、どんな窮地に追い込まれても最後まで人に残っているものだ、と言っていることだ。

 美徳。広辞苑には、美しい徳、ほめるべき立派な徳、とある。それだけでは心は何も動かないけれど、その徳とはなんだろうか。「道をさとった立派な行為。善い行いをする性格。身についた品性」。徳性、人徳のことだ。「人を感化する人格の力。めぐみ。神仏の加護」ともある。

 漢字源を引くと、さらに理解が深まった。関連しそうなものに、「本性。うまれつきの人がら」、「本性の良心をみがきあげたすぐれた人格」、「恩恵」とある。動詞として徳すると言えば、恩恵を与える、恩を感じてありがたく思う、という意味になり、形容詞なら、恵みがこもった、ありがたい、ということになる。

 オバマ大統領は「神のご加護に守られ」と添えていたが、美徳そのものにすでにご加護が含まれている。創造主とも言われる神が人間をも創造したのなら、それを希望と美徳で創り上げた、と言ってしまうのは極端すぎるだろうか。美徳こそが人間なのだ。そう思うと、人間がなんとも愛おしくならないか。

 ヴァーチューズ・プロジェクトは、世界から集めた美徳を52選び出し、それに意識を向けようと呼びかけている。美徳は52項目ぐらいではとても納まりきらないだろうが、書き出すと驚くばかりに見事なものだ。

 愛 識別 清潔 名誉 いたわり 自己主張 誠実 目的意識 思いやり 自信 整理整頓 優しさ 感謝 自制心 責任 やすらぎ 寛大 柔軟性 節度 勇気 寛容 正直 創造性 友好 気転 情熱 尊敬 優秀 共感 真摯 忠誠心 ゆるし 協力 親切 慎み 喜び 勤勉 辛抱強さ 手伝い 理解 決意 信頼 忍耐 理想主義 謙虚 信頼性 奉仕 礼儀 コミットメント 正義 無執着 和
 
 これらすべてで、もちろん他も含めた世界中の美徳のすべてで人間は創られていると、ヴァーチューズ・プロジェクトは考えている。ただすべてをいつも発揮しているとはかぎらない。むしろ発揮しないでいることの方が多いかもしれない。


 ところが、面白いのは美徳の視点で自分と周りを見つめ出すと、どんな状態の時でも、誰もがなんらかの美徳を発揮しているということだ。やんちゃなガキが飛び回って人に当たり散らし、物を投げつけ壊したとしよう。今どき大抵の教室にそういう目障りなやつがひとりやふたりいるものだろう。教師はそんなときどうするのだろうか。怒りをあらわに力で押さえ込む。言葉で罵る。諭す。懲らしめる。手をこまねいて見ている。いろんな対処があるだろうが、暴力的なその行為を美徳で観察することなどほとんど誰も思いつかないだろう。

 このやんちゃなガキに52の美徳の中からなにかひとつをプレゼントするとしたら、みなさんはどれを選ぶだろうか。もう一度注意深く一覧してほしい。

 たとえば、タイミングを見計らって言うのだ。「○○くん。自己主張の美徳を思いっきり発揮してくれたね。君はほんとうに正直で、勇気がある。自分の気持ちにまっすぐ向き合ってみたんだからね」。これは褒めているのではない。受け入れて、認めているだけだ。それだけのことだが、今の時代、残念だがほとんどできていない。ことにぼくなどは。

 やんちゃなガキはキョトンとして静かになった。そこでさらに小声でささやくのだ。「でもさ、今の態度の中で足りない美徳はなんだったかなあ」。まずは考えさせるのだ。自分で言うのはおそらく難しいだろう。それで、しばらくしてひと言添えてあげる。「たとえばね、自制心というのがあるね。自制心を発揮するのには、勇気もいるなあ。さっきの勇気より、もっと大きな勇気だ」。そんなふうに言われた自分を想像してみると、叱られたわけではないから、落ち込むことがない。でも恥ずかしくなるかもしれない。さらにでも、どうすればいいか自分の前に道が見えてきたような気がする、かもしれない。

 たとえばのこの話は出来すぎだと思われるだろう。だが、けしてそうじゃない、とぼくは思っている。相手に歩み寄り、心寄り添うことでしか、解決の道はないのだ。実はオバマ大統領の演説の中で気になったことがひとつある。


 And for those who seek to advance their aims by inducing terror and slaughtering innocents, we say to you now that our spirit is stronger and cannot be broken. You cannot outlast us, and we will defeat you.

 テロを起こし、罪のない人間を殺害することで目的を遂げようとする者には、今、我々の精神はより強固であり、それが突き崩されることはなく、あなたがたが我々を超えて存続することはできず、そして我々は必ずあなたがたを打ち負かして見せる、とここに言います。

 To the Muslim world, we seek a new way forward, based on mutual interest and mutual respect. To those leaders around the globe who seek to sow conflict, or blame their society’s ills on the West ― know that your people will judge you on what you can build, not what you destroy. To those who cling to power through corruption and deceit and the silencing of dissent, know that you are on the wrong side of history but that we will extend a hand if you are willing to unclench your fist.

 イスラム世界に対しては、相互利益と尊重を基盤に、進むべき新しい道を模索します。紛争の種を蒔き、自国の問題を西側諸国の責任にしようとする国の指導者には、国民は何を破壊するかでなく、何を構築できるかであなたを評価するのだということを知ってほしい。汚職や偽り、異議を唱える者を黙らせることで権力にしがみつく者には、その振る舞いが歴史的に評価されることはないということ、けれども、固く握った拳を開く意思があるのならば、我々は手をさしのべることを厭わないということを言いたい。


 世界を相手にしている大統領の課題と、ヴァーチュー的視点でひとりの人間に向き合う場合とでは大きな違いがあるのかも知れないが、その気になる部分とは、defeat、つまり、打ち負かす。さらには、あなたが態度を和らげるなら、こちらも助ける準備がある、と言っていることだ。やんちゃなガキに、「おまえがおとなしくするなら、先生も協力するよ」と言い放ったのと同じことではないだろうか。

 教室と世界情勢を同じに考えることはもちろんできない。それでも共通部分の多い同じ人間社会の問題だということに変わりはないだろう。おそらくオバマ大統領が選ばれたからと言って、このままの意識では世界には変われない部分が頑然としてあるのだろう。

 演説の中に、「世界がより小さくなるにつれ、共通の人間性が生まれると信じています」というひと言を見つけた。ヴァーチューズ・プロジェクトの福井支部「雪の花」のリーダーでもある友人の鈴木るみ子さんは、「大きな○の関わり」という言葉を使って美徳を引き出す実践を呼びかけている。大統領の言葉とどこか共通している。自分自身も含めて、向き合うひとりひとりの人間を気高く大きな視点で観るということは、言い換えれば世界が小さくなるということではないか。世界を小さくすることは並大抵のことではないけれど、人間を美徳の生き物として観ることはそれほど難しいことではない。「大きな○の関わり」。ほんとうにうまい表現だ。ぼくは今ここにこそ、ひとり小さな我家の範囲に留まらない世界平和への道が大きく開かれているのだと、ほんとうに思っている。


ヴァーチューズ・プロジェクト・ジャパン

| 09:31 | ヴァーチュー | comments(0) | trackbacks(0) | posted by マスノマサヒロ |
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