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2012.11.26 Monday
「いのちの作法」を観て
記録映画『いのちの作法』の上映会を開いている。今日が二日目。朝の上映中に隣の受付の間でこれを書いている。三日間で十四回上映する日程を組んだものの、その甲斐もなくお客の入りはなんとも低調だ。告知に問題があったのか、それともこの手の映画に関心を持っている人が元々少ないのか、などと今後のためにも原因を探っておこう、とはでも思わない。人から人へ届くべきものは、上げる声の大きさで決まるはずがない。数少ない鑑賞する方々といくらかでも会話してみると、十分に何かを感じておられるのが伝わってくる。この分だと半額にしてもらった映画料さえ支払えないかも知れないが、その時点でまた対策を考えるとして、今はただ上映会のご縁で出会う方々と過ごしていたい。
『いのちの作法』の舞台は、岩手県の山あいの寒村。映画の解説には、「昭和三十年代、豪雪、貧困、多病多死の三重苦を乗り越え、全国に先駆けて老人医療費の無料化と乳児死亡率ゼロを達成した」とある。住民の生命を最優先に尊重するという類いの言葉なら、今どきの日本の政治家や行政の主導者なら誰もが口にしているだろう。だがこの映画は、そんな空疎な言葉を操るだけでなく、五十年も前に「生命尊重の理念」を掲げた村長の実践と遺志を受け継ぐ若者たちが主人公となって、実際にその理念を生きている物語だ。その中のひとりが映画の終盤に淡々と話す言葉が印象的だ。「便利とか効率を求めたら、ここには何ひとつありません」。そして無いからこそ、住んでいるひとりひとりがお互いを大切にしている。否、そうしなければ、村そのものが消えて行くのだ。「こんなにエネルギーのある人たちが住んでいる村を日本は本当に切り捨ててしまっていいんですか?」と、誰に問いかけているのか、静かに痛烈に…。
初日にいの一番に鑑賞した一企業の社長でもある友人がう〜むと腕組みをして首を傾げながらつぶやいた。「この映画のようには簡単にはできないよなあ」。その意味を計ることはすぐにはできなかったが、何度もこの映画を観て聞いて、改めて感じることがある。それは、人が生きるという大事業はその意思を持ってこそ達成できるのではないか、ということ。満ち足りた、または満ち足りていると感じている環境で、誰が何を改善しようと動くだろうか。耐え忍んできた寒村の暮らしと、あふれる物に囲まれた街の暮らしでは、自ずと大切にする対象が違ってくるだろう。もしかすると、日本中どこにでもある同じ仕様の町町に住むことじたいが、日本人のうちに宿っていた大切な何かを蝕んできた。たとえば、身の周りの命あるものの息づかいを感じる感性とか。繊細な感性を喪失した人間に、周りを思いやり動き出すための意思が芽生えるとは到底思えない。日本という国が、その中の県が、そのまた小さな市や町の行政が、まるでフラクタルな紋様を描きながら、ただただ同じ方向を向いている。その仕組みの外へ放り出され、忘れ去られそうな人々がいて、『いのちの作法』にはその姿が鮮やかに映し出されている。外面だけの生半可な優しさでなく、これは苦悩する環境から生まれた、経済優先の道をひたすら歩んできた国に反旗を翻す、もの静かで勇壮な物語なのだ。だからだろう、簡単には真似なんかできるはずがない。生命を尊重するとは、観念などでは決してない。そうして生きるための意思と、その意思を持つべき環境が、どうしても必要なのだ。
ランディさんの『サンカーラ』には、福島原発事故後も住んでいる森に留まった友人の話が実名で出てくる。その方の思いを知ることは、この平凡な暮らしに満足しているのかいないのか、それさえも静かに感じる機会を持とうとしない凡夫に叶うはずもないだろう。それでも読後にふと感じたことがある。放射能に汚染された森に住みつづける選択は、自らの意思で選ぶというより、選ぶしかないのだと、そればかりを感じたのではないだろうか。ランディさんは、その友人と水俣で生きる友人を引き合わせている。「あんたも、この森に、惚れられちょるんですよね」という、容易には理解の届かない言葉が交される会話から生まれ出た。
人が住んでいる環境から愛されるということが実際にあるものなのかは、わからない。もしかすると白山に佇み包まれるあの感覚に近いのかと、想像することならできるけれど、人がその土地で生きるということの中には、人間には決して知り得ない土地との見えないやりとりがあり、それを通して培われるものが人をまた生かしているのだと、想像が広がっていく。それをこそ環境と言うのだろうか。言葉ではなく肌で土地との交流を感じられる人と人が、映画のあの寒村には住んでいるような気がする。町中に居たのでは決して届きはしない心の環境があるにちがいない。真似はできない、せめて少しでも、これが本当の日本なのだと学ぶしかないのだろう。
その上で思う。3.11の後、避難所から仮設住宅の暮らしを余儀なくされる中で大勢の老人が急激に弱り亡くなっているのは、単純に変わった生活の不便さに慣れない心労が原因なのではなく、生まれて生かされてきた土地との血と汗が滲む交流を断ち切られたからではないだろうか。そして今、日本と日本人は、忘れ去りかつて持っていたことも記憶にない大事なものを、実は今も携えているのだと知り、手元に取り戻す絶好の機会を迎えているのではないだろうか。人が生きる上で、自然に包まれ、その中でふれあうことの価値の大きさがあるとして、それを失ってしまった者たちには知る由もないのだけれど。
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日々のカケラ
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2012.11.22 Thursday
秋風
この秋をなんでこんなにまで寂しく感じるのか。年のせいか、などと積極的に老け込んで行くつもりもないのに、つい言葉にしてしまう。婿殿が逝ってしまった二年前の夏、この義父の内側で大きく変わってしまったものがある。否、変わらざるを得なかった。哀しみに暮れる娘と、天国のパパと無邪気に遊ぶ孫娘のそばで撮り続けた写真が、今にして思えば大転換のはじまりだった。もはや自らの写真を趣味などとは思っていない。かと言って、稼ぐ仕事なんだろうか。それも明らかに違うことに気づいている。マスノマサヒロにとっての写真は、いったいどんな言葉に置き換えることができるだろう。最後には、せめてそれに気づいて終わりたい。
この秋、爽やかな一日に、こうちゃんも逝ってしまった。今さらめそめそと泣ける年でもないせいか、心の中にも秋風が吹くことを痛いほどに感じる。死んだ人ともう二度とこの世で会えないことが、ただただ寂しい。時に顔を出す夜空の月を仰ぐたび、天上の友らの名前を呼んでなぐさめている。
先日、大阪府立大学名誉教授山田邦男さんの「生きる意味と幸せ」という話を聴いた。ヴィクトール・E ・フランクルをもう40年に渡って読み解いているそうで、この頃ようやくわかってきましたと添えながら、幸せとは何かと提示してくださった。その中でとても共感したことがひとつある。
「人生それ自身が人間に問いを立てているのである。人間が問うのではなく、むしろ人間は人生から問われているものであり、人生に答えねばならず、人生に責任を持たねばならないものなのである」(『人間とは何か』より)というのだ。
人生からの問いに答えて行く過程にこそ幸せがある、などとひと言で片付けしてしまえるほど単純な話でもなかったが、聴きながら痛烈にそう感じた。人生とは、生きる意味とは、自分とはと、答えの出そうにない問いかけをここまでひたすら続けてきた日々の記憶が簡単に消え失せてしまったかのように、どこか懐かしい思いに包まれ、安らいだ。
人生に問われそれに答えて行くのが人生そのものだとしたら、何をか悩もう。その問いはいつも、明らかな答えを伴ってはいないか。答えには、理由も意味も不要だ。それは価値をこそ求めている。この人生に生きる価値はあったかと、最後にまた問われるのかも知れない。
そんな思いが手伝ってか、今ではこれ無くしてはやって行けないというまでになった仕事に対して、撮影料の大幅な増額を願い出た。お願いという形を取りながら、宣言したつもりでいる。叶わなければ、もう続けなくていいのだと覚悟もした。もう少し謙虚に少しでも長くとなぜ考えられないのか、妻はいぶかしがるけれど、そこにもう価値を見出すことができそうにない。そろそろ田舎の商業カメラマンとしての人生が終盤を迎えている。収入が途絶えれば生活はできない。けれども、一本しかない朽ちはじめた大黒柱は自らで取り壊してしまう必要がある。小さくても幾多の新しい柱を立てるスペースを取らねばならない。老いながら百の仕事を持つという百姓を真似てみるのだ。
フランクルを通した興味深い話がもうひとつあった。「仕事とは、事に仕えること。金や出世や名声に仕えるのではない」。今この言葉がとてつもなく大きなものとなって、心に響いてくる。ここまで問い続けて来た“人生の意味”などは無限に多様でこれと言って確かなものもない。だが価値なら、事に仕えて見出せる。
心に凍みる秋風は、嫌いではない。残された限りある人生の秋から冬へと、この季節だからこそ静かに打ち込んでみたい事がある。いつ途絶えてもかまわない。向き合う価値があればこそ。
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日々のカケラ
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マスノマサヒロ
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2012.11.15 Thursday
肖像写真
二日間を過ごした滋賀への小さな旅を簡単なひと言で表すことができないのは、若者たちが新居とする柏原宿の自宅でのひとときがあったからだろう。二人は夫の両親を見守りながら住んでいた。親を見守るなどと、人生の大先輩に対して使うにはいくらか躊躇するが、老いて行くばかりの姿は本当にそっと見守っているしか手がないだろう。
その方の目に圧倒された。優しい、しかも深い、それでいて子どものように透明感がある。やんわりと知らないうちに突き指してくるような不思議なまなざしだ。半身不随でベッドから起き上がるか横になるだけでも大儀そうだが、前日のご子息らの結婚式では、支えられよぼよぼと移動する姿がまるでこの場の主役のような存在感を放っていた。大病を患ってもいるそうだ。淡々と身の周りの一日が過ぎて行くのだろうか。「昨日はお疲れだったでしょう」と問いかけると、「まあ、こんな身体じゃ、疲れたのかそうでもないのか、よくわからない」と、寂しげに、否、涼しげにだろうか、答えてくださった。
何とお呼びしようかと一瞬迷ったが、「おとうさんの写真を撮らせていただけませんか」と尋ねてみた。昨夜若い二人と飲んで話し込んでいるうちに思いついたことだった。この頃、老いて行く人の重ねてきた時間に思いを寄せたくなる。自分もまた老い始めているからだろうか。生きて来た、歴史とも言える日々の味が意識せずとも滲み出している。目がそれを感じさせてくれる。
不思議なことがあるものだ。レンズを見つめた老人に、内から立ち上がるような力を感じた。目に三代目としての職人の魂が宿っている、気がした。恐いくらいだ。一瞬たじろいだ。ファインダーから離れ、この目で向き合った。なぜだろう、力を感じない。レンズを通してしか見えないものがあるんだろうか。
カメラを介して向き合ったのは、ほんの数分のことだった。撮らせて欲しいと申し出ながら、あまりに短い時間に自分で呆れた。けれども、どうしようもなかったのだ。人に向き合う器では、まだまだないのだろう。
撮影を終えると、昔話を少し聞かせてくださった。船乗りになるために家出をしようとした晩、それを察した母親が玄関先に立ち、拝むように懇願して止めたという。人生最大の岐路だったのだ。おとうさんの目に涙が浮かび、急にまた力ない老人になってしまった。だが積み重ねてきたものは今も崩れずにここにある。人の生涯は、その晩年でこそ味わえるものがあるようだ。そのとき、傍で見守る次代の人へと、見えない宝物を差し出している。
残された時間の枠を使って、これからは遺影写真を撮ろうと思う。死を背にした生、死と共にある生の、其処にしかない姿を、向き合う人との共同作業で遺してみたい。なるべくなら、生きている実感を互いに手にしながら。
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