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2012.09.23 Sunday
加賀もんの服
まだ一度もお会いしていないのにどこか気になる人はいるもの。そんな中のひとり、福井の女性が継続している仮設住宅で暮らす方々への支援を、さらに応援する気持ちになりました。東北も福島ももう過ぎ去った話だと世の中のほとんどの人は思っているかも知れません。実際に見て来たわけではないので正確なことはわりませんが、その女性を介して知るかぎりでは、仮設住宅での暮らし、とくに福島ではまだまだ辛い状態が続いているようです。
先日お話会を催された原発告訴団団長の武藤類子さんの言葉を思い出します。「福島を忘れないでください。つながっていてください」。狭い日本とは言え、見ず知らずの方々の暮らしを日々思いつづけることは、正直難しい気がします。知らぬ間に他人事になっていくこと、我が事としてこれまでも何度も経験してきました。でも福島だけはなぜかそうならないでいます。原発事故そのものが立地している土地だけの問題で済まされないわけですから、忘れようにも忘れられませんよね。ただそこに住み続けなければならない人のことまで想像することは、言い換えれば、武藤さんが言われた「忘れないで、つながっていて」という祈りにも似た声を受け止めるためには、いくらかの努力が必要なのかも知れません。
福島を想うということは、そこに住むどなたかを想うことではないでしょうか。少なくともぼくのような凡夫には、マスメディアやネットに流れるだけの情報や社会問題としてではなく、より親密に支え合える個人的なつながりがないと、なかなかその想いを継続することができません。つながるとは、困っている人のためだけでなく、つながることで今を生きている自分を確かめたいと思う、言うなれば自己満足な面があります。繋がるという言葉はあまり好みではありませんが、だれもがなんらかの縁で結ばれていることは確かでしょうし、その繋がりを確かめ合う機会がいま此処にあるだけのことだとも思えます。
写真の洋服は、そろそろ八十を迎えるおふくろが着もしないで溜め込んでいた冬物です。ナフタリンの匂いが強いので一二日風通しをしています。仮設で寒い季節を迎える南相馬の同世代のおばあちゃんたちに直接送ることになりました。その昔、南相馬へは富山の南砺市から大勢の移民があったそうです。彼らのことを「加賀もん」と呼んで受け入れた古の相馬の人々を想いながら、
母が服 秋の山谷を 越えて行く
*****
支援物資として寄付していただけるものあればお願いします。(南相馬、いわき市の仮設等へ)
福岡百子さんのこと(福島支援活動)
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日々のカケラ
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2012.09.23 Sunday
人の罪を問うということ
福島原発告訴団、などというぶっそうな名前の団長をされている、なんとも穏やかな武藤類子さんのお話を聴いてきました。レベル7という今だかって日本が経験したことのない福島原発事故の責任がなにひとつ問われていないことが、ずっと不思議でしょうがありませんでした(食中毒を出した焼き肉チェーンの社長はあんなにまで責められているのに…)。
「福島の人はもう疲れているんです」と言われた武藤さんでしたが、とても力のある告訴の声明文を静かに読まれたとき思わず目頭が熱くなりました。
「今日、私たち1324人の福島県民は、福島地方検察庁に『福島原発事故の責任を問う』告訴を行いました。事故により、日常を奪われ、人権を踏みにじられた者たちが力をひとつに合わせ、怒りの声を上げました。告訴へと一歩を踏み出すことはとても勇気のいることでした。人の罪を問うことは、私たち自身の生き方を問うことでもありました。しかし、この意味は深いと思うのです。この国に生きるひとりひとりが大切にされず、だれかの犠牲を強いる社会を問うこと。事故により分断され、引き裂かれた私たちが再びつながり、そして輪を広げること。傷つき、絶望の中にある被害者が力と尊厳を取り戻すこと。それが、子どもたち、若い人々への責任を果たすことだと思うのです。声を出せない人々や生き物たちと共に在りながら、世界を変えるのは私たちひとりひとり。決してバラバラにされず、つながりあうことを力とし、怯むことなくこの事故の責任を問い続けていきます」。
人の罪を問うことは、己の生き方を問うことでもある。なんと重い言葉でしょうか。自らを律することなしに他を責めることなどできないと言っているのです。
告訴団に加わるには、できれば陳述書を添えて欲しいとのことでした。今の思いを書くだけでもいいそうです。単なる事務手続きだけを済ませて告訴団を応援することもできますが、第二次の告訴までまだいくらか時間的なゆとりがあるので、その陳述書とやらを前にして、己を見つめてみたい気がします。
会場からの帰り道、片町のスクランブルには大勢の酔客がたむろしていました。若い頃、毎晩のようにふらついていたものです。この世は、ほんとうに不可思議なものですね。小さな島国の小さな田舎町だというのに、いろんな人が大して周りを気にもせず、すれ違っているんですね。
武藤類子さんのお話 福島の女たちの想い
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12:38
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日々のカケラ
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2012.09.05 Wednesday
千蛇ヶ池
山頂への道から外れハイマツ林などが広がる中腹を西に辿ると、やがて目の前にぼんやりと浮かび上がるのが千蛇ヶ池の雪渓だ。まだ夜明けまではしばらく時間がある。薄暗い静寂に包まれ、その白の前で立ち止まる。真夏でも十メートルほども積もっているという白山で唯一の多年性雪渓だから、この黒々とした雪は何万何千年の昔から消えずに此処にあるのだろうか。雪の下には、白山を開いたと伝わる泰澄が閉じ込めた千匹のおろちが棲んでいるそうな。なんとも怪しげな雰囲気を感じるのはその
伝説
のせいか。毎度毎度立ち止まってしまうのは、単純に万年雪への憧れでもあるんだろうか。
この生を生きている時間など、泰山に比べれば閃光ほどに過ぎない。永遠という言葉は知っていても、その意味を本当には感じることができない人間だから、万年雪に触れると、永遠をいくらかでも身近にたぐり寄せた気分になる。押し潰された雪は氷のように冷たい。下手をすると手のひらなど簡単に切れてしまいそうだ。静かに目を閉じ、おろちの気配を感じてみた。生命とは、いったいなんだろうか。騒々しい世の中にいると考えもしないことを、何故か此処では強く深く感じてみたくなる。
ふるさとに白山があることを、登りはじめる前と今とでは随分と違って感じている。これを巷でブームになっている山登りだと思ったことはない。登拝という言葉を知って以来それを使っているけれど、拝むというほどのこともしていない。なにか特別の目的を持って登りたくはないようだ。むしろ日常にも欠かせない、特別な一場面とでも思っている。その時、他では感じられない特別な思いが蘇ってくる。ただそれを、まだ言葉にも絵にも出来ていない。永遠のような存在を相手に、この時間はあまりに短い。
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白山
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