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2012.03.31 Saturday
負荷
翠ヶ池 2008
冬の白山に登るなんてもうこの人生では無理だろうと、決めつけ、あきらめていたけれど、先日不意に、登りたい、と思った。あと三年で迎える還暦の冬を目標にした。老いの入口に立っているのが感じられる。でも、いいじゃないか、いくつになったって。一度きりの人生だ、死ぬまで何度でも挑戦してやる。
さっそく毎朝の里山歩きに、負荷をかけている。ザックに詰める米や酒の紙パックが増えてきた。急に重く感じて計ってみると、今朝は二十キロを越えていた。山岳ガイドの同世代の友人は四十キロも担ぐというから、まったく信じられない。ここにもプロフェッショナルな境地があることを肌で感じる。せめて三十キロまで。
負荷をかけると、自ずと一歩ずつに意識が向き出す。いい加減な気持ちで歩くわけには行かない。重心が足裏のどこにあるのか、歩幅は適当か、斜面のどのあたりが滑りそうか、などとバランスを崩さないように常に気にかかる。緩慢になるしかない膝や足首、腰の関節の動きに注目すると、体が全体を使って歩いているのがわかる。骨も肉も絶妙に動いている。そう感じた分だけ、これまでの山歩きのなんと中途半端だったことかとため息が出た。
写真もおそらく同じなのにちがいない。己に負荷をかけないで、なんのためらいもなく撮れるものなど、いずれ大したものじゃない。そこらへんにごろごろ転がっている。三十年以上も関わりながら、世の中でもてはやされている写真のつまらなさが、ようやくはっきりと見えてきた。
数年前に言われた、『風の旅人』編集長の佐伯剛さんのひと言を忘れたことがない。綺麗なだけの写真。その意味が、今ならわかる。安らぎとか癒しとか、健やかに穏やかにとか、それが望むべきものだと煽てられた世の中に安穏としていられるうちはいいけれど、いつ何時でも、不意の負荷がかかって崩壊する世の中に立ち向かう力などそこにはあるはずもない。美しいという形容詞を決まり切った定型のものとしてしか感じられないなら、おぞましいまでのぞっとするような美は見えないだろうが、美こそは、動いている、激しく、動かしてもくれる。美しいとは、それだけで決して終わらない負荷を感じる力のことだ。原動力、生命力だと、今ならそう思う。
たとえ四十キロを背負って歩けたところでこの日常のなにひとつ変わらないだろうが、感じはじめたこの一歩ずつの重みを重ねた先にまだ見ぬ世界があるだろうか。負荷をかけてこそ見えて来るものがあるにちがいない、きっとどこまで行っても届かない、果てしないのだろうが。
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2012.03.23 Friday
閉鎖病棟
ぼくはいま閉鎖病棟にいます。そんな書き出しではじまる友人からの便りをもらうまで、その環境はもちろん閉鎖病棟という言葉さえ知らずにいた。ぼくは外に出られませんが、お見舞いならいつでも受けることができます。何人もの友人知人に同じ文面の便りを出しているところを見ると、よほど人に会いたいんだろうと、二度ほど出かけた。行ってみると、どこにも閉鎖病棟などとは表示されていなかった。ただ病棟への入り口は施錠され、友人はガラスのドア越しにぼくを待っていた。看護士に導かれ中に入る。いきなり抱きついて来た友人。この十年ほどたまにふれあう程度の間柄だったから、ちょっとどぎまぎした。
入り口の脇にある小部屋で向き合い、一時間あまりもしゃべった。ほとんど聞いているだけだったが、友人はいったいどこが具合悪いのか見当もつかなかった。普通に会話し、普通に怒り、普通に泣いて、ぼくとちっとも変わらない。
電話もかかってきた。ダライラマ法王の本を読んでいたとき、相部屋の三人が卑猥な話ばかりするのにいらいらして、ついに暴れたそうだ。そのあとの四日間、独房のような小部屋に閉じ込められひとりで過ごしたという。閉鎖病棟の中には、さらに閉じ込めるための隔離室があるようだ。返す言葉もなく黙って聞いていると、それじゃと言って、電話は切られた。
友人からは割と頻繁に手紙が届く。「あいつらは馬鹿なんです。無視すればいいのに、暴れた自分が恥ずかしい」と二度も書いてくる。同じ内容の便りだと返事に困るが、会話気分の書き言葉でやりとりすることにして、これからは見舞いには行きません、手紙にします、と伝えた。いくらか誤解があったようだが、面と向って適当な会話をして帰ってくるより、友人と真剣に向き合う機会にしたいと思うから。
友人とぼくはどこが違うんだろ。ぼくもいつも、この世の中にいらいらしている。東日本の大災害からまだ一年だというのに、たまたま被災地ではなかった町の暮らしはいつもと変わらず、旨い物を食べ、酒に酔い、音楽を聴き、好きでもない相手とセックスに興じ、ネット上でそれをやりとりしている。まったく人間っていったいどういうつもりなんだ。それでお前は? と振り返る前に、世の中の嫌気が差す面ばかり気になる。これじゃ友人とおんなじ。違うのは、まだ暴れていないという程度のことばかり。
原発事故は一向に収束する気配がない。現場では死に物狂いの作業が続いているだろうに、政府も東電も、まるでのほほんとしているように感じる。福島県民は怒っているのに、そうでない県民は、怒っているだろうか。おとなしい日本人、行儀がいいんだ、みんな。ぼくももちろんそのひとり。
友人への返事には、去年の初冬に白山帯の森を歩いて感じたことを書いた。山を歩きながら撮る写真は、ひと際目立つ大木だったり絶景だったり、とにかく特別この気を惹く対象がほとんどだったが、その日、舞い出した雪で埋もれて行く森の雑多な美しさに気づいて目を見張った。森にあるのは巨樹ばかりでないことぐらい知っているが、実際には森のなにひとつも見ていなかった。森は本当にありとあらゆる姿の樹々で埋め尽くされていた。折れて朽ちてゆく小枝が土に還る。草木、鳥や獣、名もない土中の微生物さえ、すべてが森をつくる担い手だった。その上でそそり立っているに過ぎない大木は、足下の小さな生き物たちをどう見ているのか。木を見て森を見ずとは、まったくよく言ったものだ。
見えるものばかりに気を取られていると、その場の雰囲気というものを感じないで済ませている。出来ることなら、目は閉じていたほうがいいくらいだ。ことに森では、存在は瞑って視なければ感じられない。このごろ里山を歩きながら、そう思うようになった。森の巨樹もいいけれど、まるで乱舞しているような目線の高さの樹々がいい。森はまさに踊って混沌としている。その中に迷い込むがいい。森を歩く醍醐味だ。
友人は、なぜ閉鎖病棟にいるんだろう。暴れるから? ぼくもときどき暴れたくなる。この世の中も、閉じているのかと思うことがある。だからでもないが、見えないものまで感じようとすればいい、森を歩くようにして。
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2012.03.21 Wednesday
絶望の果てに
フォトジャーナリストという仕事への興味もあって、
森住卓
さんの講演会、というより報告会に出かけた。森住さんは世界各地に広がっている核汚染地域を取材撮影している。「核にこんなに長く関わるとは思わなかった」との言葉で報告会は始まった。もう十数年も続けておられるそうだ。この問題を探ろうとすれば深入りするばかりで、おそらく何かが解決するまで抜けられなくなるんだろうと、会場の雰囲気からひとり外れて感じていた。
機会があれば現地で知った数々の事実を知ってもらいたいという思いに駆られるのか、二時間ほどの枠の中で森住さんが取り上げた現地はカザフスタン、チェルノブイリ、福島、マーシャル諸島などで、「イラクのことも知ってもらいたいんですが」とそれが今もっとも気になる風でもあったが、かなわなかった。
旧ソ連を構成していたカザフスタン共和国はモンゴルの西に位置し、「ステップ特有の乾燥した台地が広がっている」と氏のホームページに紹介されている。その地で1963年以降、343回の地下核実験が行われ、その度に風下の村を放射能に汚染された風が流れて行った。世代を越えて奇形児を生み出す被ばくの恐ろしさ。どのページを見ても動悸が高鳴る。報告会の質疑応答では笑い声さえ飛び交っていたが、森住さんは日本の会場でもっとも悲惨な状況を見せるつもりはなかったのかも知れない。
森住さんが最後にぽつりとこぼしたひと言を忘れることはないだろう。「わたしの話はいつも絶望で終わってしまう」。世界の状況を知れば、やがて絶望に行き着くしかないんだろうか。数日前に『生き残った日本人へ 高村薫 復興を問う』というNHKの番組を見た。そこでも作家は苦悩の表情を浮かべ「絶望」という言葉を吐いた。
日本だけでなく、世界は絶望なんだろうか。森住さんは、DNAにまで影響を及ぼす核の被害を指して「人間は神の領域に踏み込んでしまったようだ」と言った。その報告を聞きながら、核開発を競っている国々が付近の住民を人体実験の材料にしてきた横暴に愕然とし、日本の指導者と言われる人たちの無力と無策にもまた憤り、肩を落としてしまう。人間は本当に、そうしては行けないものに手を出してしまったようだ。そのことに無関心だったことが今頃になって悔やまれる。
絶望だとして、絶望の果てにあるものはなんだろうか。何もかもすべて無くなってしまうんだろうか。番組の最後に、一縷の望みを託したかのように作家は言った。「個人の命はどこかで必ず終わりがくるが、生命全体ではどうということはない」と。そしてテロップが映し出された。
「生き残った日本人は、どのような未来を選ぶのか。『失う』理性と覚悟はあるか」。
失う理性と覚悟、という言葉を噛み締めてみると、コトンと音を立てて腑に落ちたものを感じる。感情や思いの丈をぶつけていても、もうどうしようもない所まで今の人類は来てしまったのだ。元に戻すことなど決してできない。たとえば日本なら、どこもかしこも高齢化が進み、若者は離れ、今の世代で終わろうとする一次産業が何割も占めていることだろう。震災前のその状態に戻すことが復興であるはずがない。復興には、これまであった大切な何かを失う覚悟が必要になるんだろう。それを理性で考え判断しなければならない。被災した東日本の未来の姿を考えるとは日本の未来を考えるということだと、作家は言った。
世界中の放射能にまみれた地を歩き回ってきたフォトジャーナリストの被ばくというものが気になった。時間があれば聞いてみたかったが、森住さんはすでに覚悟しているのかも知れない。自分の大切なものを失うことさえ。
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日々のカケラ
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