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2011.10.31 Monday
地球交響曲第六番を観て
地球交響曲第六番 予告
映画『地球交響曲(ガイアシンフォニー)』第六番のテーマは、音だった。登場人物のひとり、あのラヴィ・シャンカールが「ナーダ ブラフマー、世界は音なり」という言葉を紹介した。その音は、身の周りでごちゃごちゃと入り乱れ、溢れかえっている音のことではなく、深い境地でのみ聞くことのできる、だからほとんどの人は聞いたことのない音のようだ。
現代のこの国のありさまと来たらどうだろう。テレビが一日中垂れ流すタレントらの戯れ言、国を憂いているようで大した成果も見えてこない政治は虚言が飛び交い、選挙時ばかりは威勢のいい拡声器の声がこだまする。身近には近所同士の諍い、スーパーのカセットからは心ない「いらっしゃいませ」の大音量での連呼、ゲームセンターの前は通るだけで気を失ってしまいそうだ。あちこちの騒音、雑音。それらに囲まれた人々の心の中もまた、日常的に絶えることなく数々の煩悩と雑念が現れては消えて行く。
この映画には、どこか別世界に住む人たちが登場しているんだろうか。特別な環境で暮らす選ばれた人たちでしかないんだろうか。第二番の海洋冒険家、ジャック・マイヨールは素潜りで深海へと挑んだ。深い青の海底は静まり返り、そのとき静寂の彼方から聞こえてきた。「オーム」。
イルカに学んだジャックの身体は自ずと変容し、深海で長く呼吸を止めていることを可能にしたそうだ。そして、言い遺している。
人間は何万年にわたって、進化を遂げてきました。しかし、決して変わっていないものがあります。水の記憶です。生命の記憶です。私たちの身体や遺伝子の中に、子宮の中や海の中で生きていた時代の記憶がはっきりと遺っているのです。
第一番で動物保護活動家のダフニー・シェルドリックが紹介した象たちも、この第六番のロジャー・ペインが関わる鯨たちも、人類と変わらない深い皺のある脳の持っている。それは、人間と同等の複雑な精神活動ができることを意味しているそうだ。彼らはその高い知性を人間とはまったくちがった使い方をしている。陸と海を代表するこれらふたつの巨体を持った生き物の生態から学ぶことには、計り知れないものがあるのかもしれない。
ロジャー・ペインは、ザトウクジラが歌うことを世界で初めて発見した。シロナガスクジラはわずか三頭で世界一周の交信ができるという。音楽が人類の生れ出る以前からすでに奏でられていたことを、映画は紹介している。
それにしても、心なのか頭なのか、とにかく自分の内で一日中蠢いているこの雑念はなんだ。まさに雑音でしかない。日常を愛するなどと言うなら、その愛から生れ出るものがあってもいいだろうに、どうにも愛とはほど遠い代物だった。
龍村仁監督は、観た人たちがこれで元気になってくれたらいいと言っているが、元気などは出たかと思えば何かの拍子にすぐにまた消え去ってしまうものでもある。少なくともぼくの場合は。けれどもこの数日、ガイアシンフォニーを立て続けに観て、感じただけでなく、なにか得たものがひとつあるような気がする。それは決して元気ではないし、前向きに生きようとする意欲でもない。たぶん、浮き沈みしないものだ。この得たものには、まだ名前はない。いつかどこかで蒔かれていた種が、いま芽を出しはじめたという感じだ。日々に、少しずつ、育ててゆくもののようだ。それなりに、音を頼りに。
ガイアシンフォニー・ウィーク in 金沢
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2011.10.29 Saturday
地球交響曲第五番を観て
地球交響曲第五番 予告
すべての存在がつながっている、などという話を聞くと、ぼくはいつも心のどこかで冷めていたかも知れない。あまりに言葉が真っすぐ過ぎて、ひねくれ者はついて行く気がしなくなる。けれども、すべてのものがつながっていることは、当たり前すぎるほどに確かな事実だとは思っている。映画『地球交響曲(ガイアシンフォニー)』第五番は、そのことを嫌というほどわからせてくれた。
哲学者で未来学者というアーヴィン・ラズロー博士の言葉がとても印象深かった。適当に書き残しておきたくないので、手元にある映画の小冊子の原文をそのまま転記しておくことにした。
私が一番強く主張したい新しい考え方とは、この量子レベルのエネルギー場は、単にエネルギーを運搬するだけでなく、情報も伝達している、ということです。一度生まれた情報は決して消え去らないで、量子エネルギー場に保存される。宇宙で生まれた情報が何ひとつ消えないとすれば、過去に起こったすべての出来事は、今、現在もここにあり、その情報にアクセスする方法さえ知っていれば、現在に蘇らせることができる。過去は今も生きている、ということです。
なぜ人間は、時空を超えた情報をキャッチできるのか。それは、人間の脳が単なる、生物機械ではないからです。人間の脳は、量子、という最も微細なレベルで外界と情報交換する、とてつもなく優れたシステムです。身体のすべての部分を通して、無意識の内に周囲の環境から、無限に近い情報を収集しています。人は、その情報を素直に受け入れる開かれた心を持てば、自ずと自分が時空を超えた存在であることがわかるはずです。
今、行っているすべての営みが、未来の世代に大きな影響を与えます。だからこそ、目の前の自分のことだけに夢中になるのではなく、広く、全人類のため、すべての自然のため、ガイアのすべての命のため、そして未来のために生きることが大切なのです。自分が時空を超えた存在であることに気づくことが、真にガイアの子として、宇宙の子として生まれ変わることなのです。
ラズロー博士がさざ波を例に出して話し始めたとき、すこし驚いた。池に落ちた小石が立てる波紋、さざ波はエネルギーの表れで、それがちがった場所で起きたさざ波と交わるとき、新たな形の波が生まれる。博士のこの話とまったく同じイメージを、映画を観る直前の朝に思い浮かべていたばかりだった。
そう言えば、第四番に登場したサーファーのジェリー・ロペスも言っていた。波は海の水が動いているのではなく、エネルギーが移動しているのだと。まるで波立つ海水が遥か彼方から旅して来たようにも見えるが、実際には見えないエネルギーの大移動なのだ。
「サーフィンをする時には、まず自分のプラグを波に差し込みます。すると、波から無限のエネルギーが身体に流れ込んでくる。そのエネルギーを使ってサーフィンをするんです。私自身が、循環する宇宙的なエネルギーの一部になると言ってもいい」。
サーフボードなど触ったこともない者には想像しかできないが、人が起こす日常のさざ波もまたエネルギーの一種だと言えないだろうか。咄嗟に口をついて放ってしまう暴言も、いつも知らずに小さな蟻を踏み潰していることも、泣いている子を抱きしめてやることも、もちろん怒りのまっただ中にあることも、すべてが小さなエネルギーの塊となって波紋を広げて行く。意識しようがしまいが、すべてのことはつながっているしかないんだろう。そして映画は、だからこそ、意識してつながることを勧めている。
誰もが凄腕のサーファーになることはできない。世界の最高峰を目指す冒険家にも深海に挑むダイバーにもなれない。だが、この映画に登場する人たちが口を揃えて言うような、自分ではない大きな存在に出会うことは、彼らだけに与えられた特権だろうか。
第五番は、稲妻の映像の中、こんなナレーションではじまる。
もし、私たちが普段なにげなく行っている営みのすべてが、何ひとつ消え去ることなく、宇宙の虚空のいずこかに記憶され、時空を超えて未来の世代に伝えられてゆくとするなら、私たちは、いま自分が選んでいるこの道を、これからもそのまま、歩み続けるでしょうか。
誰もがサーファーになって波に乗り海の一部になることはできないが、それぞれが営む場なら、確かにここにある。
ガイアシンフォニー・ウィーク in 金沢
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2011.10.28 Friday
地球交響曲第四番を観て
地球交響曲第四番 予告
映画『地球交響曲(ガイアシンフォニー)』第四番は、今から十年前、21世紀に生まれ育つ子どもたちへのガイアからの贈り物として制作された。登場する四人の方々が心からの言葉を投げかけている。だが今の日本は、世界は、次代の子どもたちに確かに手渡したぞと胸を張って言えるようなバトンを用意しているだろうか。いくら映画を観て感動しても、それを活かすことができない人間だとしたら、あまりに悲しい。ここまで続けて四つの作品を鑑賞しながら、自分に欠けていたものが徐々に感じられるようになった。それは、たぶん真剣さ、または誠実さ、だった。
ガイア理論を世に打ち出した生物物理学者のジェームズ・ラブロックは、地球そのものをひとつの大きな生命体として捉えている。言葉だけでもなんとなく理解したつもりになれるから、以前にも同じ映画を観ながら、ぼくの日常はそれで終わっていた。博士は、生命体という言葉に加え、「ガイアはひとつの大きな生命システムだ」とも言っている。同じようで、ずいぶんとちがうようにぼくには感じられた。
システムであるなら、生命は見える形ばかりでなく、むしろ見えない連携プレーでこそ成り立っているとも言えそうだ。ガイアという壮大な生命システムにとって、人間が持つ役割を博士は提示した。
「我々人類がこの地球に誕生したことには、大きな意味があると私は考えます。それは多分、ガイアが我々の目を通して自分がどれほど美しいか、を見るためなのです」。
だとしたら、人間に生まれてきたことはなんて素晴らしいんだろう。夢のような話だ。見える、聞こえる、感じる、話せる、それを描き、文字にもできる。音にもするし、体全体で表すことだってできる。ガイアという生命システムの中にあって、我々は表現者なのだ。となりの人と喧嘩をしてもその後に勇気を持って微笑みかけることができたなら、それもまたなんと美しい表現だろうか。利益や名誉のために、己の欲のためにと生きていたのでは、あまりに美しくない。どうにも惨めだ、システムエラーだ。
野生チンパンジーを研究するジェーン・グドールの言葉も興味深い。人間と遺伝子が98%同じチンパンジーたちも、幸せ、哀しみ、恐れなどの感情を持ち、愛や慈悲心さえあるという。「でも彼らは、目の前にあることしか子どもたちに伝えられない。想いを魂にまで高められない。だから、人間が言葉を持ったことはとても重要なこと」なのだ。
ここまで書いて、気が滅入る。
お前は、想いを魂にまで高めてきたか。
正直、魂という存在とぼくは真剣には向き合ってこなかった。ちっとも誠実じゃなかった。それに、今でもわからない。魂って、いったい自分のどこにある、どれのことだろう。胸に手をあて、目も瞑り、静かに深い呼吸をひとつ、ふたつ。落ち着いてくると、自分のようでそうでもないような、感じている主体を感じるような、ふしぎな感覚になるけれど、魂、つかめるようで近づくこともできない、魂、感じるようでそんな自分がとてもうさん臭い、でも、魂のこと、決して忘れないでいたい。
自分のことはわからなくても、人を見ればわかる。海のエネルギーと共に生きるサーファーのジェリー・ロペスも、まるで生まれたばかりの子どもを感じる木版画家の名嘉睦稔も、魂の人にちがいない。ガイアの美しさを見て、自分でも表している。ガイアには、地球交響曲を奏でる人がまだまだあちこちにいるだろう。見習えばいい、それもシステムだ。美しいこのシステムの機能をこそ、子どもたちからも学び、手渡そう。
ガイアシンフォニー・ウィーク in 金沢
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