kazesan3風の吹くままカメラマンの心の旅日記

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夜と朝の間






 三時半に目が覚め、そのまま起きた。整体では二度寝はよくないと戒めている。時計の動きに合わせて暮らすより、身体の成り行きに任せている方がずっと心地いい。線香をあげたあとはすぐにはなにもすることがなかったので、窓を開けて虫の声を聞いていた。たくさんのこおろぎに混じって、鈴虫が一匹、まるで主役のようにして今も鳴いている。昨晩聞いたのと、おそらく同じ個体だろう。隣の庭で一生を過ごすのかもしれない。

 そう言えば、こおろぎの鳴き声を人間のサイクルにまで伸ばしたという音声を聞いたことがある、という話を、秋口の今頃になると決まって思い出す。ここで問題です、などどこれを読んでくださるみなさんに尋ねてみたくなる。こおろぎがもしも人間になったなら、どんな声で鳴いているでしょうか? とにかく、信じられないくらいの美声だった。虫のままでもいいのだけど、伸ばしたそれは賛美歌のようにも聞こえた。鈴虫との混声になると、ますます深いコーラスになっているだろうか。虫たちはなにを賛美しているんだろ。耳を傾けながら、虫の気分を想像した。

 ひとりで山を歩くとき、たまに歌っている。ほとんどは黙々と、ブナの林を見上げながらとか、撮りながらとか、積極的に山と関わろうとする極普通の登山愛好家なのに、気がつくと口ずさんでいる。興に乗ると、歌い込んでいる。窓の外のあの鈴虫に似ているかもしれない。自分の声に聞き惚れているわけでもないだろうが、歌っていると、その場に溶け込んでいる気になる。木々にささやきかけるように、空や山に抱かれるように声を出すと、自然児になれる、気がする。

 亡き友の娘さんでもあるえみちゃんを迎えて出かけた今月はじめの白山登拝の下りは、彼女の希望を汲んで、南竜ケ馬場から別山に寄りチブリ尾根を歩いた。総延長は十四キロほど。予想通り、市ノ瀬に帰り着いたのは夜だった。ヘッドライトの明かりだけを頼りに暗い森を歩いた。自分でも経験のないことを、山登りが初めての若い女性に強いている。本人が選択したこととは言え、案内した者としてはとんでもない失敗だと思っている。だが、なぜか、なんの不安もなかった。栃の巨木に寄り添い手でも触れながら、大きいだろ、などと声をかける。何度かこけそうになっている彼女は、どうやらそれどころではなかったようだが、このときも山に抱かれていた、気がする。

 まだ薄暗い頃、一休みのついでにオカリナを吹いた。えみちゃんともうひとりの同行者のしのぶさんは、ザックをおろして寝転んでしまった。メロディは、森に捧げるという気分だけは大事にして、出まかせ。吹きながら、木霊する音色に自分でも包まれた。登山も音楽も専門家ではないけれど、だからこそ体験できる白山のひとときがある。危険を避けることは最低限のルールだと知りながら、安全ばかりを優先させる人生にはしたくないとも思う。森を抜け舗装された道へ出た途端、猛烈に雨が降り出した。市ノ瀬まではあとすこし、そのままで濡れることにした。ずぶ濡れになりながら、意味も知らないくせに、洗礼、という言葉が浮かんで、すぐにどこかへ消えていった。

 虫がいつの間にか鳴きやんでいる。朝が来たのか・・・。夜でもなく、朝でもない、不思議な時間だった、どこか知らない遠くで遊んできたような。
 



































| 06:35 | 日々のカケラ | comments(2) | trackbacks(0) | posted by マスノマサヒロ |






 東海北陸向けのNHK番組ヒューマンドキュメンタリー「なにもない だから面白い 〜広告は日本を変える〜」というのを見た。舞台は福井は奥越、一乗谷。東京の広告業界に依頼して観光客が増えた、というストーリーを、それに携わる著名なディレクターを遠して語るものだった。片隅とはいえ田舎の広告業界でいくらか世話になった者が言うのもなんだが、この舞台がお隣の福井でよかった、大好きな能登でなくてよかった、というのがいちばんの感想だった。

 モノにあふれかえった都会で暮らす人々の視線で、山奥の田舎をふるさとに見立てる。「京都にはない、金沢にもない、あまりになにもない、だから面白い」などとどこかで聞いたようなコピーを添え、狙いを絞った戦略で盛大に広告を展開する。一乗谷に訪れる年間の観光客は、それで3割も増えたそうだ。

 だが、広告が日本を変える、などとこの番組を作った人たちは今さら本気で感じているんだろうか。疲れた都会人の一時しのぎで寒村が賑わい、それでなにがどう変わるというのか。日本を変えるなどと大仰なタイトルを番組に冠することじたいが、広告のうさん臭さに似ているぞと、個人的には思ってしまう。

 「あまりになにもない」という町や村で、実は日本の国土のほとんどが構成されていることを忘れてはならない。あらゆるものであふれている都会の視点で、残りのほとんどの日本を語るべきではない。どんな寒村にも人の暮らしがあり、その暮らしはなにもないどころではない。必要最小限のすべてが揃っている。もしも足りないものがあるとしたら、若者の存在だけだ。番組を見ながら、そんなことばかりに思いをめぐらしていた。

 たとえば、こんな記事を見かけた。「なぜか『勝ち組』若者が移住してくる離島」。隠岐諸島の中ノ島を訪ねたことはまだないが、一乗谷とどれほどの違いがあるだろうか。またはどれほど多くの違いを持っているだろうか。地方の特色とは、その特産品や風光明媚な名所旧跡ばかりのことでなく、むしろそこに住む人々の気質であり、気概なのではないだろうか。それにふれた旅人がずっと関わりたくなるほどの魅力は、この記事にあるような、簡単な言葉ではとても表せないほどの、真摯なもてなしの心ではないのか。

 先の広告のクライアントがだれなのかは知らないが、山あいに住む人々が莫大な広告費を出し合ったはずがない。日本の町や村の主人公は、決して自治体などではなく、そこに住む人々だ。そんな人たちに出会う旅がしたい。日本のなにを変える必要があるのか、なにを変えないで見守っていればいいのか、そんなことも感じてみたい。



































| 14:20 | 日々のカケラ | comments(1) | trackbacks(0) | posted by マスノマサヒロ |
She's Alive... Beautiful... Finite... Hurting... Worth Dying for.









































| 21:07 | - | comments(0) | trackbacks(0) | posted by マスノマサヒロ |
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