kazesan3
風の吹くままカメラマンの心の旅日記
|
CALENDAR
|
RECOMMEND
|
ENTRY
|
COMMENT
|
TRACKBACK
|
CATEGORY
|
ARCHIVE
|
LINK
|
PROFILE
|
OTHERS
|
S
M
T
W
T
F
S
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
21
22
23
24
25
26
27
28
29
30
<<
June 2011
>>
CALENDAR
RECOMMEND
「kazesan3」のお引っ越し
(10/06)
鴻の里 #003 囲炉裏
(10/05)
鴻の里 #002 家
(10/04)
鴻の里 #001 夫婦
(10/03)
変わらぬもの
(09/24)
LATEST ENTRY
虹色の夢
⇒
マスノマサヒロ (07/17)
虹色の夢
⇒
midori (07/17)
木のように
⇒
popi33 (04/28)
サンカーラ
⇒
マスノマサヒロ (01/07)
サンカーラ
⇒
佐伯剛 (01/06)
日食の朝
⇒
KENYU/ケンユー (06/04)
『パピヨン 死と看取りへの旅』
⇒
マサヒロ丸 (04/27)
『パピヨン 死と看取りへの旅』
⇒
Shino (04/27)
『パピヨン 死と看取りへの旅』
⇒
きよこ (04/26)
kazesan calendar 2012
⇒
美佐胡 (01/04)
RECENT COMMENT
日々のカケラ
(685)
写真
(60)
心の森
(41)
白山
(45)
月的生活
(23)
ニームの木の下で
(13)
原初の森
(8)
ひかりっ子
(43)
金澤
(2)
ヴァーチュー
(13)
アート・オブ・リビング・セミナー
(11)
能登
(6)
CATEGORY
October 2013
(4)
September 2013
(3)
August 2013
(6)
May 2013
(2)
April 2013
(2)
February 2013
(3)
January 2013
(4)
December 2012
(1)
November 2012
(5)
October 2012
(9)
September 2012
(4)
August 2012
(8)
July 2012
(1)
June 2012
(4)
May 2012
(1)
April 2012
(3)
March 2012
(4)
February 2012
(4)
January 2012
(6)
December 2011
(8)
November 2011
(6)
October 2011
(7)
September 2011
(1)
August 2011
(5)
July 2011
(5)
June 2011
(15)
May 2011
(16)
April 2011
(16)
March 2011
(19)
February 2011
(4)
January 2011
(5)
December 2010
(6)
November 2010
(5)
October 2010
(3)
September 2010
(7)
August 2010
(19)
July 2010
(18)
June 2010
(17)
May 2010
(8)
April 2010
(7)
March 2010
(7)
February 2010
(6)
January 2010
(15)
December 2009
(19)
November 2009
(26)
October 2009
(40)
September 2009
(28)
August 2009
(27)
July 2009
(29)
June 2009
(29)
May 2009
(29)
April 2009
(19)
March 2009
(26)
February 2009
(20)
January 2009
(23)
December 2008
(30)
November 2008
(22)
October 2008
(29)
September 2008
(30)
August 2008
(20)
July 2008
(22)
June 2008
(17)
May 2008
(24)
April 2008
(19)
March 2008
(32)
February 2008
(32)
January 2008
(33)
December 2007
(45)
November 2007
(4)
ARCHIVE
能登半島 水平線が見える町
a piece
金澤・まいほーむたうん
風の旅人
写真集「あめつちのしづかなる日」
あめつちのしづかなる日の仲間たち
ジッジの小窓
ログイン
LINK
マスノマサヒロ
PROFILE
Twitter
time
MOBILE
OTHERS
2013.10.06 Sunday
スポンサーサイト
一定期間更新がないため広告を表示しています
| | - | - | - | posted by スポンサードリンク |
2011.06.30 Thursday
ふくしま集団疎開裁判・署名のお願い
友人のブログからの転載ですが、その記事を読んですぐにこれを書いています。署名というものにはあまり期待はしていませんが、動かずにはいられない、という気持ちがあるのも確かです。案内のインタビューにある、「福島の現実は福島に来てみないとわからない」という弁護士のひと言にハッとしています。離れているとやがてどうしても他人事のように感じてしまいがちですが、こと原発事故に関してはこの同じ小さな島国にいるかぎりすべての人が同じ状況に置かれているのだとも思います。岩は簡単には動かないようですが、こつこつとあちこちから押してやれ!
*****
みなさん
6月24日(金)、福島地裁郡山支部に子供たちの集団疎開を求める「ふくしま集団疎開裁判」が始まりました。
裁判は、郡山市内の小中学校の子供たち14人が原告となって郡山市を相手に、年1ミリシーベルト以下の場所で教育しろ、という形です。しかし、福島県内で葉年1ミリシーベルト以下のところがほとんどない現状では、記者会見で弁護士が説明しているように、この裁判をきっかけにして小中学校の集団疎開を求めるものです。
原発事故直後からの福島県の健康アドバイザーなどによる「安全です」という説明を、多くの人が信じ込み、避難や疎開という言葉自体がタブーとなっているとのことです。子供までが「お母さんだけ避難すれば」と言っている、ある家庭のケースの話もあるそうです。
無理して避難しても、線量が下がって戻ってきたときコミュニティから排除されるのではないか、という不安が避難をためらわせているとも聞きました。
ある郡山市民の言葉を借りれば、この裁判は、いろいろなしがらみで、避難したくてもできない人に踏み切るきっかけを作ることにもなります。
詳しくは、次の2つをご覧ください。
・
記者会見要旨
http://1am.sakura.ne.jp/Nuclear/110624PressRelease.pdf
・
記者会見と親御さん、代理人弁護士へのインタビュー
OurPlanetTV, 2011-6-25
「学校の集団疎開求め仮処分申請〜郡山の子ら14名」
http://www.ourplanet-tv.org/?q=node/1132
この裁判の弁護団の一人である井戸謙一弁護士は、5年前に金沢地裁で、北陸電力志賀原発の運転差し止めを命じた裁判長(当時)です。井戸さんは、多くの人の署名が、裁判所が集団疎開を命ずる判決を書く上で大きな力になる、とおっしゃっています。
7月5日に第1回審尋が開かれます。
署名用紙をダウンロードしていただき、多くの人の署名をお送りください。
・
署名用紙
http://p.tl/X3in
※署名の集約は弁護団の安藤弁護士(松本市)が行っています。
この裁判の今後の情報は
「ふくしま集団疎開裁判」のHP
をごらんください。
http://fukusima-sokai.blogspot.com/
----------------------------------------------------
子どもたちの集団疎開の決定を求める署名のお願い
1 はじめに
平成23年6月24日、私たちは福島地方裁判所郡山
支部に、原発事故からの被ばくから守るため、子ども
たちの集団疎開を求めて、「ふくしま集団疎開仮処分」
を提起しました。
7月5日に債権者に対する最初の審尋の予定が入って
おります。債権者(申立人)となっている人たちだけ
でなく、同じ気持ちの人がたくさんいることを示すた
めに、そして裁判官に勇気を持ってもらうために、署
名が大変重要な力になります。
2 署名用紙について
署名用紙を作成しました。趣旨に賛同戴ける方に、署
名をお願いしたいと思います。署名用紙をダウンロー
ドの上、印刷していただき、署名をお願いいたします。
署名用紙
http://p.tl/X3in
3 署名の集約先
次のいずれかの方法でお願いします。
・郵送
〒390-0861 長野県松本市蟻ヶ崎1−3−7
安藤法律事務所
・FAX
FAX0263−39−0700(安藤法律事務所)
・メールに添付
m-ando@po.mcci.or.jp (弁護士安藤雅樹)
4 署名が可能な人
郡山市内、福島県内の方に限りません。全国でも賛同
いただける方は是非ともお願いいたします。
また、老若男女構いません。未成年でも構いません。
学生ならば、例えば「中学2年生です」などとコメント
欄に書いていただくのも宜しいかと思います。
ただ、他人の署名を代行することはしないで下さい。
必ず署名は本人が書いて下さい。
5 署名の時期
現在取っている手続は仮処分手続であり、迅速な判断
が求められます。できるだけ早く、上記集約先に署名
を送って戴ければと思います。
6 署名の提出先
署名の提出先は(署名用紙にも記載したとおり)「福
島地方裁判所郡山支部」です。
裁判所提出以外の用途には一切用いません。
個人情報の管理については厳重に行います。
7 その他
是非、コメントを書いて下さい。一言でも構いません。
長くなる場合は、別紙で書いてもらっても結構です。
8 問合せ先
ご不明の点等ありましたら、 m-ando@po.mcci.or.jp
までお問い合せ下さい。
堀 純司
Tweet
|
09:56
|
日々のカケラ
|
comments(0)
|
trackbacks(0)
| posted by
マスノマサヒロ
|
2011.06.30 Thursday
からだ
1990 宇出津
夜があんなに暑かったから、小雨の降る朝がさわやかでさえある。しばらく気分に任せて、きのう図書館で借りてきたアランの『幸福論』を開き、ひとつひとつ、ページの言葉をゆっくりと声に出して読んでみた。
行動が大切だと思いながら、毎日病院のおやじの元へ通うことぐらいが関の山で、行動らしいことはなんにもしていない。世の中のなんの足しにもなっていないことをいつも感じているのは、ほとんど病気のひとつなんだろう。アランの言葉を読みながらそう思う。病気から抜け出すのは、じつは案外とても簡単なことかもしれない。病名がつけられそこから治療をはじめるようになって以来、素人でも症状を探り、自ら病気になっていくのだ。そのパターンを抜け出せばいいだけのこと。そんな気がする。
人生とは、短いものだ。この先八十年、九十年と生きようが、中味はいまとさして変わらないだろう。いつ終わってもこんなものだ。いますることがあるから、しているばかり。することがなくなれば、することを探すばかり。それだけのこと。そんな気がする。『幸福論』は百年あまりも前に書かれたものだが、現代人にも通じる? 人間って昔とちっとも変わらないだけ、じゃないのか。本を読んでじぶんを立て直すなんて、なんだかマニュアルに沿った機械とおんなじだ。
「魂は感情に左右されない崇高で繊細なもの、といつでも考えられているが、そうではなく、ただ無関心なだけではないだろうか。生きている肉体のほうが魂よりずっと立派である」という一節には、思わず笑みがこぼれた。そうだよなあ、からだは感情に左右され、喜び踊り、または嘆き哀しみ痛みを繰り返している。ぼろぼろになるまで、この人生につきあってくれるんだ。からだって、なんとも愛しいやつだ。魂なんかより、ずっと親近感がある。
ふしぎだなあ、毎日こうして朝を迎えること。息ができるなんて、ふしぎでふしぎでしようがない。からだ、おまえのふしぎ。
Tweet
|
08:55
|
日々のカケラ
|
comments(1)
|
trackbacks(0)
| posted by
マスノマサヒロ
|
2011.06.29 Wednesday
ゆるやかに
線香から立ち上るラベンダーの香りはご先祖様とその最新の末裔のひとりである自分自身とだけで味わっているのが、すこしもったいない気がするほどの有り難いひとときになっている。部屋の窓から網戸だけ残して外気を取り込みながら静かに座っていると、たとえば数日前なら雀が鳴いて、部屋の内と外を壁で区別していることに気づかせてくれて、せめて見えない壁だけでも取り払ってしまおうと、さらに心を鎮めていく。するとある瞬間から、雀のさえずりが耳の中から聞こえてくるような気にもなり、区別のない心地よさを味わえる。心の壁などという言い方もあるが、普段じぶんの中にあるのは壁どころではなく、無骨な塊で埋め尽くされているといった方が正しい。その塊はおそらく生涯消え去ることはないだろう。もう諦めた。それでも心に塊を抱え持ったまま、いくらかでも心地よく暮らす術なら身につけることができそうだ。そのひとつが、この線香をあげるひとときでもある。
素読を教えてくれた友人が、追伸のようにしてネット上の日記に書いていた貝原益軒の「読書の三到」(和俗童子訓より) というのが、じつに素晴らしい。素晴らしいという形容は、こういう場合にのみ使いたい。こっそりと引用させてもらうと、次のようになる。
「凡そ書をよむには、いそがはしく、はやくよむべからず。詳緩やか(ゆるやか)にこれを読みて字々句々、分明なるべし。一字をも誤るべからず。必ず心到、眼到、口到たるべし。此三到の中(うち)、心到を先にす。心、此に在らざれば、見れどもみえず、心到らずして、みだりに口によめども、おぼえず。又、俄かに、強いて暗(そら)によみおぼえても、久しきを歴(ふ)れば忘る、只、心にとめて多く遍数(へんかず)を誦すれば、自然に覚えて、久しく忘れず。遍数を計えて、熟読すべし。一書熟して後、また、一書をよむべし」。
これは読書の心得だろうか。凡夫には凡夫の気ままな暮らし方があるにはあって、それでなんとなく満足しながらなんとなく生を終えて行くのだろうと半ば哀しみとともに暮らしているけれど、この「読書の三到」に出合ってしまうと、凡夫の惰性をなるべくなら少しずつでも改善していきたいと今さらながら思ってしまう。これは、読書というより、人生の三到というものにちがいない。
まずは「心到を先にす」という心ひとつとってもそう容易いものではなさそうだ。心は芯だ。己の芯を知らずしては何を図ったところで物にはならないと、この半世紀を振り返り思う。心はまた心王だ。対象の全体を認識するための主体。その心に到ることが凡夫には難行だ。内に重い無骨な塊を抱えたままでは、なんとも足下がおぼつかない。
そうだ、線香のようなひとときがいい。心をこのままに預けてしまうのだ。とりあえず開け放し、それから読むのだ、否、暮らすのだ。さて、このはた迷惑な代物をどこへ預ける。ご先祖様はいかがなものか。ゆるやかに立ち上る煙を見つめていると、身の周りのあらゆる事どもがなんと不確かな存在であることかと気づかされる。ことにこの我が身こそ。心とは、なんだろうか。ありやなしやの不確かなまま、読んで、生きている。ああ、せめてゆるやかに、きょうをかぎりと一日を、熟して暮らせれば。
Tweet
|
07:04
|
日々のカケラ
|
comments(0)
|
trackbacks(0)
| posted by
マスノマサヒロ
|
| 1/5 |
>>
|
Log in
|
RSS1.0
|
Atom0.3
|
Template by
unjour-k
(C) 2024
ブログ JUGEM
Some Rights Reserved.