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2011.04.29 Friday
歌う友を送る歌
一粒の種
一粒の種に
一粒の種に
ちっちゃくていいから
私もう一度 一粒の種になるよ
出会って 語って 笑って 泣いた
生きててよかったよ
あなたのそばでよかったよ
一粒の種は風に飛ばされ
どっかへ行ってしまうけれど
あなたへと辿る確かな道を
少しずつ舞い戻って
丘の上からあなたにだけ見える
闇にも負けない光を放とう
ささやかな日々に愛をもらった
私にはそれができる
一粒の種に
一粒の種に
ちっちゃくていいけど
あなたにだけ気づいてもらえる種になる
痩せた頬に もう涙を流さないで
震える声で もう語りかけないで
私は笑顔であなたを見ている
私を愛するあなたを見ている
心配ばかりかけてごめんね
淋しい思いさせてごめんね
そろそろあなたを
次の場所で喜ばせてあげるから
一粒の種に
一粒の種に
ちっち
ゃくていいから
命の種に必ずなるから
すぐそばにいるから
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2011.04.29 Friday
ルリユールおじさん
「ジッジ」。コロコロと可愛い声で呼ばれると、なんでもしてあげたくなる、この世界でたったひとつの間柄。孫娘の願いをかなえてやる祖父という役柄が、このごろとても気に入っている、と言うより、これが幸せというものだろう、とさえ思う。幼子の存在をこんなにまで深く愛おしいものとして感じたことがあっただろうか。今だからわかるけれど、三人の子の父親としてそれを感じるにはどうやらあまりに若すぎた。世代をひとつ空けて向き合い触れ合う時間の、なんとしみじみとありがたいことか。おそらく親子ほどには残されていないこのありがたい時間を、今日は明日はと、一日かぎりで噛み締めている。
お孫さんに読んであげてと何人かの友人が送ってくれた絵本たちの中でも、『ルリユールおじさん』を読んでいるときが一番好きだ。読みながらつい感情がこもるという感じで、先を急ぐ孫娘を制して、わざわざ何度も後戻りしてゆっくりと読んでみたりする。
「ルリユールは、ヨーロッパで印刷技術が発明され、本の出版が容易になってから発展した実用的な職業で、日本にはこの文化はない」とあとがきに添えられている。つまりは製本と装丁の手仕事で、六十を越える工程のすべてを手だけでこなせる職人は、パリでもひとけたになっている。旅の途中でひとつの工房に出合った作者のいせひでこさんは、手仕事のひとつひとつをスケッチしたくてアパートまで借り、何度も通ったそうだ。その工房の窓ガラスに貼られたちいさな紙片には、「私はルリユール。いかなる商業的な本も売らない、買わない」と書かれていた。
絵本の筋はなんともシンプルなもので、ソフィーという女の子が何度も開いて読んだ木の図鑑が、ついにこわれてしまう。それをルリユールおじさんが、こんなになるまで読んだのか、と驚いて直してあげる。少女は長じて植物学の研究者になった。「おじさんのつくってくれた本は、二度とこわれることはなかった」。
決して特別でないふたりの会話が、描かれた水彩画のようにしんみりと静かに流れていくだけの絵本なのに、そこには豊かに蓄積された時間も流れていて、絵本を読む人に、そのほかにはもう何もいらないのだと感じさせてくれる。ジッジの音読を聞きながら、まだ三歳に満たない孫娘は物語のなにひとつも理解していないようなのに、あまりほかの本では見られない、静かな目をして聴き入っている。すぐに言葉にはできないけれど、ジッジが大切に感じているものを、幼子もまた感じているのかもしれない。
大切にしたいもののひとつはもちろん手仕事だが、機械化、合理化、情報化などなど、近代化されてしまった現代社会に残っているものは少ない。後継者が育たないのではなく、使う人の使う時間や機会、そしてなによりも使う心が消え失せてしまったのだ。五十年あまりも生きてきて、今さらそんなことに気づいても、仕方がない。けれども、だれもが今を当たり前のことして学校に通い、勤め出し、当たり前なおとなになってしまう。いつかどこかで立ち止まり、大切な何かに気づかなければならないのだとしたら、今が絶好の機会なのかもしれない。
それにしても、絵本に描かれたパリの路地裏の風景は、一度は歩いてみたくなる味わいがある。細切れに変わりゆく人工的な日本の都会、どこもかしこも同じ顔をした殺風景な郊外。たかだか何十年で、こんなになってしまったとは。
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2011.04.27 Wednesday
memo 大切にしたいもの
おやじ。病院の待合室にて
ある方の日記に「人間の本心を見抜くには、テレビの音を消して表情を読め」という一文を見つけた。確かに見極めるにはかなり有効な方法かもしれない。言葉に惑わされず目や表情に注目していると、内から滲み出て隠せないもので、外が覆われていたりするかもしれない。
人を撮るときは、その方の目を見ることが多い。目は口ほどにものを言うだろうが、それ以上の力を持っているかもしれない。意志を感じる目、気弱そうな目、戸惑い、恥じらい、、ウソ、ホント、いろんなものが目に表れるだろうが、一番の極め手は、澄んでいるかどうか、だと思っている。
目の澄み具合を表す計測器でもあるといいけれど、そんなものなくても、まなざしって、見つめ合うと、すぐに感じるものがある。相手によって感じない人ももちろんいるけれど、それはまだその人が自分に気づいていなからかもしれない。保安院とか東電とか、記者会見する人、自分に気づいているだろうか。
自分に気づいているなら、なにか後ろめたいものがあるなら、そんなものもすぐ出てくる。だから音を消してテレビを見ると、わかるかもしれない。もしもわからないとしたら、本当のことを言っているのか、ウソをつく自分を押し殺し気づかないようにしているか、そのどちらかだと思う。
やばいことでも隠さずに言えるとき、それは肚を括ったときだ。名誉も富もすべて失ってもいいと思うことだ。名誉も富もない者は、だから案外肚を括りやすい。括りやすいから、括れない人の苦悩や哀しみや、ウソが見えて来たりする。そして括れないときは、自分にもまだ守りたいものがあるのだと気づく。
本当に守りたいというものが、果たして本当にあるだろうか。どんなものもあの世になんか持って行けないなら、いつ手放したって大して変わらないとも思えて来た。そうか、持っているものではなく、携えているものこそ一番に守ればいいのかもしれない。なんだろう、言葉、仕草、行動、思い、思い遣り、、
富や名誉はいらないけれど、携え、携わるものなら、ずっと大切に守っていたい。仕事しかり、家族しかり。食べ物、環境、身近な自然、大事なものは、みんな自分だけの所有物じゃなく、みんなが関わるもの。それらはすべて持ち物じゃない、この世を生きる力にもなる、携えるものばかりだ。
福島原発の職員が「爆発するからすぐ逃げろ」と家族に連絡したとか、ネット上に流れていた。真偽のほどはわからないけれど、だれにも家族はもっとも大切なものだ。だったら、だれの家族も大切にちがいない。だれが考えてもわかることだから、言葉ばかりでそれを行動していない人がいると、すぐにわかる
いつも最後にたどり着く問い。「お前自身はどうなんだ?」。
自分の目の澄み具合が、自分でもわかればいいのに。でもわかると、その濁りにショックを受けて、立ち上がれなくなるかもしれない。
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日々のカケラ
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