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2011.01.29 Saturday
memo 視点
これまで何度か個展を開いて、素敵な写真ですね、なんて言われて、自分の写真ってこんなものだろうと思っていたのに、いよいよこれから人生の終盤に向かって行こうという時になって、ガラリと視点が変わってきた。これまでは、視点という言葉の意味さえわからなかったのに。
白山の峰峰を歩いていると、当然のように大自然が作り出す壮大で繊細な美に出会う。でも、それを写真に撮りこれが作品だ、などという気持ちはひとつもなかった。自然じたいが作家で、ぼくはそれをコピーし町に出前するおか持ちだ、ぐらいに思い公言していた。写真が美しいのではなく、自然が美しい。
よく「撮らされている」などと自分の存在を形容する人がいるが、とてもそんな気にはなれない。ふるさとの霊峰白山で遊ばせてもらっている、という程度の自分だと知っているから。無限に広がる宇宙空間は想像するしかないけれど、目の前の山並みを見ているだけでも、十分に無限を感じることができた。
白山を歩き数々の美に出会い撮りながら、遊ばせてもらっている者は、だから視点というものは持ち合わせていなかった。それを十年以上も続けていれば、誰だって飽きがくるかもしれない。そんな時に出会った『風の旅人』。「世界には多彩な見え方がある」なら、己の見方、見え方を持ちたいと思った。
視点は、押せば写る写真を撮っているからと言って、持ち合わせているとは限らない。否、ほとんどの撮影者には視点などないのではと思うくらいだ。その筆頭に自分がいる。視点は、単なる小さな点ではないだろう。広大無辺な世界を見渡しながら、それを捕らえ切れないもどかしさに足掻きもし、その上で、
初めて視点が欲しくなる。世界全体はあまりにどでかくて、ちっともわからないからこそ視点が必要になる。小さな自分が関わる小さな世界だとしても、深く関わるなら見えてくるものがないだろうか。それがひとつの視点に育たないだろうか。育てば世界が見えてこないだろうか、などと考えている。
白山には、冬は登ったことがない。山登りの素人を簡単には受け付けてはくれない。視点を育てたいと思いながら、決定的に欠落している部分がそこにある。欠けているのだ、この目は、この感受性は。せめてそのことだけは忘れないでいたい。自分には欠陥がある。
欠けていることを知っているから、自信など当然ない。自信がないからいつも不安で、だからせめてもと写真を撮り続けてきたんだろうが、今は欠けているから少しでもその溝を埋めて行きたいと思う。ありがたいことに世界には豊かな人が大勢いる。そのだれかひとりにでも出会えたとき、視点が育ちはじめる
世界をいま自分はどんなふうに見ているんだろう。見えているんだろう。豊かに人に出会い刺激を受け学んだからといって、それに伴う自分なりの体験がいるだろう。体験を言葉にする努力も必要だろう。それをしないで視点など持てるはずがない。恥をかくことも自分を蔑むことも、みんな体験にしてしまえ。
『風の旅人』と編集長の佐伯さんに出会い、打ちのめされ、数年もかけてようやく立ち上がり、歩きはじめた。今はまだそんなところだ。今日の京都でのトークは、歩きはじめたばかりの記念すべきひとときになる。また打ちのめされるだろう。それでいいじゃないか、世界が少しずつでも見えてくるなら。
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2011.01.26 Wednesday
memo 蛹
気は、昇降開合を繰り返す。開閉との違いは大きいけれど、どちらも流れ動いていると考えれば、閉じた心の状態さえ一時的なものだと知ることができる。むしろ閉じているからこそ、開くというサイクルを経験することになる。閉じ籠っているということは、もしかするととても大事なことかもしれない。
幼虫からいきなり成虫にならず、間に蛹という時期があることにも、きっと大きな意味があるにちがいない。固く閉じた殻の中に閉じ籠っている間に、いったいどんな大切なことが営まれているんだろう。閉じている時代の自分をよくよく見つめれば、蛹のこともわかるかもしれない。
自然体験活動のリーダーになろうと学んでいたころ、「さなぎキャンプ」なるものを開こうと思った。参加者は学校嫌いな子どもたち。音楽家や陶芸家、画家や写真家など、とにかくこの世で開閉を繰り返しているおとなたちといっしょになっての、なんにもしないキャンプ。まだ実現していないけれど、、、
「さなぎキャンプ」をまだ開かないのは、子どもらにはなんだか余計なお世話だと思ったから。自然体験活動などと言っても、教育の場を学校という建物からフィールドに移しただけのものが多い。決めたプログラムに則り、決めた方向へと導こうとしているのがわかると、途端にやる気が失せてしまった。
蛹の過程は、きっと閉じ籠っていることにこそ価値がある。限られたエネルギーを無駄にせず、やがてやってくる開く過程のために、すべての力を注ぎ込んでいる。それが凝縮されて、熱く、または静かに燃える生命エネルギーへと形を変える。そんな子どもらの大切な蛹の時代を邪魔してはいけない。
昆虫などの蛹の時期は一定の長さを保っているだろうが、人間はどうなんだろう。子どもばかりじゃない、おとなも閉じ篭る時代。人間の殻は見えないばかりに、外から気づいてもらうことはなかなかかなわない。昆虫ならそっとしといてあげられるのに、人間だというだけで、とんでもない扱いをされる。
雑多なものが複雑に絡まっている社会で生きて行く難易度は、昆虫の比じゃない。人間がうまく生きて行けないから、昆虫もほかの生き物もそのとばっちりを受けている。もしかするとそんな全体も、開閉、開合を繰り返しているのか。今は蛹社会なんだろうか、爆発するためのエネルギーを蓄えている。
京都シネマ・スクリーン・ギャラリー マスノマサヒロの部「家族の時間」
1月29日(土)18:00~20:00 ◆ゲストトーク/『風の旅人』編集長・佐伯剛
29日のみ参加費1,000円。入場者には「風の旅人」40号(マスノの「のと」掲載誌)を進呈いたします。
1月30日(日)10:00~12:00 ◆トーク/野寺夕子×マスノマサヒロ
京都シネマ
京都市下京区烏丸通四条下る西側 COCON 烏丸 3F TEL : 075 (353) 4723
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2011.01.26 Wednesday
memo 共同作業
今大黒柱を喪った娘と孫娘を撮り続けながら感じていることは、まさに生きている彼らの生々しい姿を記録しておきたいということに尽きる。けれどこの頃、それだけではなにか大切なものが抜け落ちているような気がしている。本物の写真家にはかなうはずもないけれど、本気で写真に取り組もうと決めたから
撮ることは、個人的には決して目的ではないし、もちろん表現の手段などと簡単に片付けてしまうつもりもない。なぜ撮るのかと突き詰めたことが何度もあるけれど、これだという答えが出た試しがない。それでもなぜ?と問い続けなければ、もはや撮る原動力がなくなってしまう。
家族を撮ると決めると、家族の中にこれまでなかったような新鮮なつながり、と言うか、新しい雰囲気が生まれ出た。撮る者と撮られる者がお互いにその関係を了解すると、なにかを共に作っているという気持ちが芽生えているのかもしれない。大切な家族を喪うという哀しみは深く重いけれど、、、
哀しみこそが、家族の絆を強めた。それがそのまま写真になっていく。ただそれだけのことなんだろうが、それだけのことを三十年あまりも撮り続けながら、いま初めて経験している。写真はシャッターを押せば写ってしまうけれど、カメラを挟んで互いに認め合う関係がなければ写真にはならないだろう。
写真は本当に撮るものか。今はすこし違うものを感じる。撮る撮られるという間(あはい)から生れ出るものなんじゃないだろうか。被写体が人でない場合でも、無機質な物体であったとしても、自然の造形、風景、生物だとしても、まずは関係を築くことが大事なのだ。出会い頭の決定的瞬間など、ウソクサイ
なぜ写真を撮るのかはきっとずっとわからないだろう。でもそんな写真が今を生きる力になっている。撮る者も撮られる者も、家族の今を支えるひとつの力になっている。共同作業なんだ、これは。写真を撮っていると、対象ばかりでなく撮る自分も生きてるんだな、と思うことがある。生もまた共同作業なんだ
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