整理していると、身の回りに隠れていた過去がよみがえってくる。30年近くも前の石垣島の友からの便りには、幼い長男の病気に戸惑う近況が病床での写真を同封して詳しくしたためられていた。当時それを読んでどれほどの心を寄せたものだろうか、すっかり忘れていた。あのころ島からふるさとに戻り環境が大きく変化したのだけど、それにしても、いつも自分のことばかりかまっていたのかもしれない。
夫を喪った娘はいま、自分のことばかりで、周りで気遣ってくれる親しい人のことにさえ気持ちが向いていない。まるでこのおやじの生き写しのようだ。だれもが自分のことを大事にするのは自然なことだろうが、それと同じかそれ以上に、またはその半分でも他者のことを大切に思えたら、どれほど大きな幸せを感じられることだろうと想像してしまう。
整理にばかり時間を割いていると、今ふれあっている人たちへの心がついおろそかになっている。何人かの友から、我家の今を心配してくれた便りや品が届いているのに、そのほとんどにお礼どころか返事もしていない。まったくどうしてこうも自分のことばかりに明け暮れているんだろうか。ゆるゆると、でも絶え間なく進めている仕事場の引っ越しはこれでふた月ほどもかかってしまったのに、まだ先が見えてこない。娘が生まれたその日、フリーランスとして初めての仕事をした。あれから二十七年か。その間にたまった物に埋もれた日々を少しずつ清算しているのだろう。一段落したら、変わって欲しいことがある。もう自分のことばかりにかまけているのはやめたい、と思っている。