仕事休みのヨシエどんと過ごす一日は、映画を観てきた。『ブルー・ゴールド 狙われた水の真実』。原油に代わり水の戦争が起こりつつあるという内容のセンセーショナルなドキュメンタリーだったが、入れ替わり立ち代わりまくしたてる英語の連続で、字幕を追うのが精一杯。結局この映画はなにが言いたかったんだろうかと、よくつかめないままに終わってしまった。やがて地球は水不足になるのだと警告していた。国々は面倒な水道事業を手放し、大企業が民営化の名の下に参入してくる。そして国民の貧困層には水が行き渡らないという世界の何カ所かの実情を取り上げていた。
映画館を出ると、青空が広がっていた。滞っている畑仕事をしたいからと早めの帰宅。暗くなるまでゆっくりと土にまみれた。半農半ミュージシャンの千晶さんからもらった春菊や小松菜の種を蒔いた。こちらは半農半写真だ。終わって長靴や鍬を洗う。蛇口からふんだんな水が流れ出る。この水が飲めなくて苦しんでいる人がいるのか。世界には飢餓もある。三秒に一人、そんな子どもたちが世界中で死んでいる。なのに、ぼくには実感がない。どこかよその星の話だとさえ思えてしまう。
なんとなく悶々としてパソコンを開くと、普天間飛行場移設にまつわるニュースや、それに対するコメントなどが目についた。沖縄に基地はいらないと県外移設が叫ばれ、突然まな板に乗せられた徳之島でももちろん反対。賛成派もいるにはいるんだろうが、報道はいつものように偏っている。どこかの自治体が、たとえば能登半島に基地を移設してはどうかと石川県が考えることなどどうもあり得そうもないのだから、つまるところ日本のどこにも賛同する土地はないわけで、そんな状態で決断できない政権が批判されても割に合わない話ではある。この際、日本に米軍基地はもういりませんからと、同盟とやらの破棄を覚悟で言ったらどうなるんだろうか。そんな政権なら投票した甲斐があるのにと、思ってしまう。
水にしても基地にしても、報道されている話はおそらく一部に過ぎないのだろうと、知りもしないで想像している。基地の移転ならそれに伴う工事の受注が絡んでいるだろうし、基地で潤う生活も決して少ないわけじゃない。どんな問題も、それぞれができるかぎり高所からの視点で見ないと解決策は見出せないだろうが、とりあえず誰もが自分の立場を最優先している。当たり前か。ぼくもそのひとりだし。
畑に出ると、始めたばかりのせいか、面白くて次々と仕事を思いつく。一日中でも野良仕事をしているおばあさんを見かけては、よくやるよなあと感心するばかりだったが、やってみると気持ちがわかる。その時ばかりは忘れている、この悶々としたものを。