朝一番に行こうよ、というヨシエどんの誘いに乗って開門前の投票所についた。朝の空気にも秋の気配。気持ちがいい。このさわやかな風と共に新しい政治が始まるだろうか。深夜の結果が楽しみだ。
石川県入りした鳩山由紀夫さんの街頭演説に、新聞で読んだだけなのだが、興味深い話があった。「わたしが総理になったなら、総理を退いたあとは政治家も引退する」ということだ。元総理としていつまでも影響力を持とうとする今の自民党政治への批判をこめているわけだが、引退の慣例ができあがれば願ってもない話だ。総理の間になにをするかが本当は大切なのであって、元という経歴や派閥の力を利用した影の存在としていつまでも残ってもらったのでは、現役として働く人たちの立場が成り立たなくなってしまう。誰にもわかりやすい政治をこそ、望みたいものだ。
これまで真剣に考えたこともなかったけれど、主権者という立場に国民のひとりひとりがなり得るチャンスでもある、と思う。自民党の独裁ならだれが総理になっても同じじゃないか、とぼくはずっと思ってきたけれど、マニフェストなどと呼んで各党の政策や理念を身近に感じるようになってきている今、その実行力に欠陥が見られたらいくらでも異を唱え、それを聞く耳をこれからの政権を担う政治家は持たなければならなくなるのだ。それが政権交代の意味だ。交代とは、政権を担う政党のことばかりでなく、主権者は誰だったのかと本来あるべき形に戻ることでもあるのだ、などと、いつになく力が入ってしまう。
まずは国民の暮らしから、と言ったところで、自然に帰ることより経済発展を大切にしているのは民主党とて同じこと。憲法改正も念頭に置いているだろうし、アメリカの傘の下にあることからどこまで抜け出せるものか。だが面白いのは、民主党の候補者の中に政治の初心者が相当数見受けられることだ。それだけ、聞く耳を持っている、ということでもあるかもしれない。国民と政治の距離を縮めよう。それも庶民の仕事だ。などと、なんでこんなに力が入るんだろう。
すぐに何かが大きく変わるものでもないかもしれない。けれど、変化する可能性はこれまでになく大きい。どんな国になるといいだろうかとそれぞれの言葉で語る素人的発想の話でも、静かに耳を傾ける人たちが政治家になる、そんな日本になるといい。