kazesan3風の吹くままカメラマンの心の旅日記

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八日の月夜に
  月夜
        大木実

 静かな けれどきっぱりと
 いさぎよいひとことだった
 立ちどまると立ちどまり 遅れて歩くのは
 涙を見せまいとするためらしかった

 「どんなことにも私はおどろきません」
 そのひとことがわたしを打った
 そのひとことが
 わたしの覚悟と生涯を決めた

 そしてはじまったふたりの生活
 それからの予期していた
 また 予期していなかった
 さまなざな苦労や悲哀――

 おぼえているだろうか
 忘れたろうか
 幼な子に添寝する妻よ
 あの夜も美しい月夜だったことを



 
 だらだらとした一日だった。こんな日は静かな時間を取って、詩を読むに限る。ヤギおじさんが贈ってくれた大木実『きみが好きだよ』がいつも目の前に並んでいて、手に取った。

 妻を想う夫の、読んでいるだけで恥ずかしくなるほどの心の内。ぼくもたしか、新鮮な気持ちでふたりの生活を始めたのだった。ことしは結婚して三十二年目になるのか。あのときの初々しさのカケラもいまは残ってはいないけれど、今だから感じている心もある。

 君をきっと幸せにする、などと、ぼくは言っただろうか。悪いけれど、覚えてはいない。人は誓うことができるだろうか。誓いが、決して破られることのない、絶対の約束なら、ぼくはおそらく誓ってはいない。代わりに言った言葉、いっしょに歩いて行こう。

 けれどもぼくは、とんでもない夫だった。酔って帰って、幼子に添寝する妻に大声でからんで、挙げ句の果てには、タンスから引っ張り出した引き出しを投げつけたりもした。よくも、我慢してくれたものだ。ほんとうに妻は、ぼくといっしょに歩いていてくれる。

 これからも誓うことはないだろうが、ただずっと、いっしょに歩いていたい。

 月の暦の八日の夜。





| 21:00 | 日々のカケラ | comments(0) | trackbacks(0) | posted by マスノマサヒロ |
あめつちのしづかなる日
 写真展の会場、高源院で、千晶さんとつづけている映像と竪琴ライアのしらべ「あめつちのしづかなる日」も開くことになりました。友人のるみ子さんが主宰するドームハウス・カシオペイアでの公演が先で、久しぶりの北陸での連続開催です。

 北海道ツアーを終えて、ふたりで話し合ったことのひとつは、これからはホームコンサートを中心に開こう、でした。特別な会場を設けてかしこまって集うのではなく、アットホームな雰囲気の中で、少しの親しい人が集う中で、誰もが心開いて打ち解けて、映像と音楽を楽しもうというわけです。

 ですから今回の北陸シリーズはコンサートスタイルとしては最後のものになりそうです。または、高源院の法堂は畳敷きで、カシオペイアはとてもアットホームなエネルギーに包まれているので、すでに新しいスタイルが始まっているとも言えそうですが。

 ご近所のみなさん。ご都合がよろしければ、ぜひお集りください。有料の会ではありますが、あめつちの狭間で出会う、心通う家族のように、静かに深く、自分を見つめるひとときをごいっしょしましょう。


○カシオペイア会場 福井県坂井市三国町崎64-10-2 
 7月3日(金) 19:00開場 19:30開演  申し込み・080-6355-1099 (半澤)
 
○高源院会場 石川県金沢市宝町7-16 電話 076-261-4957
 7月5日(日) 19:00開場 19:30開演  申し込み・高源院













| 07:29 | ひかりっ子 | comments(2) | trackbacks(0) | posted by マスノマサヒロ |
写真は人に帰する
 『風の旅人』 編集長、佐伯剛さんの「私の写真論」に、写真家を目指すなら決して忘れたくない話が掲載されている。写真に出会い、写真が好きで、死ぬまで撮っていたい愛好家のぼくもまた、同じように大切にしていたい言葉だ。ここに記して、残る生涯の指針としよう。



 「写真は人に帰する」

 戦後の偉大なる写真家、石元泰博さんは、「ツキのない写真家はダメだ」と言う。戦前の偉大なる写真家、安井仲治は、「写真は単純なものだから技術でごまかせず、人間に帰するものだ」と言う。二人の言葉は違うことを指しているようであるけれど、私の中で、一つに統合されている。けっきょく、写真は、「世界(他者)との出会い方」の、ごまかしようのない反映なのだ。その人の、世界(他者)との出会い方が、写真に明確に現れてしまう。ツキというのは単なる偶然ではなく、その人のなかに準備されているものの強度の外形化である。物事は必ず前後とつながっており、準備ができている人は、出会いに対する集中が強く、出会いの兆しを逃さない。また、そういう写真家は、自己を中心に物事が作られるのではなく、相手との関係性のなかで物事が生まれることがわかっている。だから、人との出会い方や関わり方を大事にする。




 

 人との出会い方、関わり方を大事にするとは、どうすることか。関係性とはけして一様ではないけれど、関係性に対する自分の心構えと立ち方にぶれがあったのでは、大事にしているとはとても言えないだろう。ぼくはどうだ。相手によってころころと態度を変えてしまう、このちっぽけな、虫けらにも劣る小さき者よ。お前はほんとうに、写真を撮りたいと思っているのか。

 けれど、思えば幸せなことだ。このちっぽけなぼくだからこそ、変容することへの憧れが持てる。それは目立つことではないのだ。ささやかに、こまやかに、ていねいに、人との関わり方を創作していくことなのだ。世界中のすべての生き物の中で、いちばん低い視線になって、いちばん気高く見つめるのだ。夢でもいいから一度でも、本物の写真を撮ってみたいなら、人との関わり方をまず、静かにジッと見つめてみるのだ。






| 22:25 | 写真 | comments(0) | trackbacks(0) | posted by マスノマサヒロ |
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