kazesan3風の吹くままカメラマンの心の旅日記

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宇宙の消失
 なぜこの本のタイトルを『神の使者』にしたんだろうか。原題は、『The Disappearance of the Universe』だ。直訳すれば、宇宙の消失、とでもなるんだろうか。宇宙が消えるとはどういうことかと、その方がとても興味深いではないか。『神の使者』としたばかりに、どれほどの読者を失ったことだろう。まったくどうでもいいけれど、珍しくおせっかいな気持ちが生まれてしまう。つまりは、ぼくにはとても興味深い話が盛り込まれている。半分ほど読んだところだが、これが本当の話なら、それを自分の真実として生きて行くなら、ちょっと大変なことになりそうだと予感がする。


 朝目覚めて、きょうはたしか世の中は大晦日だったなと、本当にそんなふうに感じている自分が面白い。静かに呼吸しながら静かに座っていると、瞼の中の闇がぼくの現実になる。ほかにはもうなにもないのだと感じてしまう。実際には横にヨシエどんが眠り、うっすらとカビが浮いた塗り壁に囲まれ、階下にはおやじとおふくろがいる。どこにでもある郊外の家にぼくは住んでいる。それでもあるのは闇だけだ、と感じていることがなんとも自然だ。

 やさしい闇だ。安定している。揺れがない。わざわざひとりになって暗い瞑想室に入る必要もなければ(そんなものはもちろんないけれど)、どこかのお寺で座禅三昧に耽る必要もない。どこにいても、同じ闇に生きている。

 そんな朝を過ごして、また読み始めるか。それにしても、もったいない本だ。これではスピリチュアルな世界が大好き、という人にしか読まれないではないか。この宇宙に住んでいるすべての人が必要としている話かも知れないというのに。



| 06:31 | 日々のカケラ | comments(2) | trackbacks(0) | posted by マスノマサヒロ |
木霊
 ふたりの写真展「なないろ」の会場で、八木倫明さんがアイリッシュフルートを奏でてくれた。倫明さんはケーナ奏者だが、聴かせてもらうのがこれで二度目になるこのフルートの音色の方がぼくは好きだった。曲目は「木霊」。木にも霊があるのだろうかと、タイトルの逸話を聞いただけで心が騒ぎ出した。会場のギャラリーは天井の低い鉄筋の小さなスペースだから、どんなに小さな音でも心地よく響いてくる。それがプロの音楽家の、しかも心を込めた演奏なのだ。細胞にまで染みてきてもなんの不思議もなかった。

 倫明さんが、ご自身と曲とのつながりを簡単に話してくれた。キース・ジャレットのピアノが一切入らないアルバムの中の一曲だそうだ。音楽にも馴染みが薄いぼくはその名前しか知らないのだったが、即興で奏でるというキース・ジャレットの「木霊」が倫明さんに乗り移って、今ここに復活しているのだと思うと、味わいがいっそう深くなる。

 優しいと言うだけでは深まりがない。深いと言うだけならあまりにあいまいだ。もう言葉を紡ぐ必要を感じなかった。アイリッシュフルートの音が静かな波となって、まぶたの中に広がる闇の世界を満たしていった。写真愛好家だからか目を閉じると普段はビジュアルが浮かんでくることも多いが、音楽につつまれていると、不思議と闇だ。それも安心と安らぎの闇。ここに生きているということが安心なら、このまま死んでもいいというような、そんな絶対的な安心だ。闇はだから、好きな世界だ。


 倫明さんの人柄も手伝うのか、奏でる音楽に強制的に迫ってくるものがなにひとつ感じられない。自己主張は、それが好ましいものかどうかは場合に寄るだろうが、ぼくが音楽を聴く時はご免こうむりたいと思う。けれど演奏者がその音楽に溶け込んでいることは必要だろう。ぼくが撮るとき、被写体の中に溶け込みたいと思うのと、同じことかもしれない。

 倫明さんを通して、木霊が聞こえてきたんだろうか。時間が一気に短縮されたような不思議な感覚になった。時代を遡ると言うと、すこし大袈裟な感じもするが、気分はまさにそうだった。大体が、時間などというものがほんとうに存在するのだろうか。今ここが大切だ、などと、スピリチュアルな旅をする人たちが口を揃えて言うけれど、今という瞬間を切り取ってしまうことこそ、自分と世界を分離することにならないだろうか。音楽家は、素敵だ。時を越えている。空間さえ必要ない。空間そのものなんだろう。ぼくは倫明さんやキース・ジャレットの世界をどれほども知らないけれど、たった数分のこの曲に酔いしれた。漂った。遡った時の中で、不確かな記憶の中で、いつまでもいつまでも漂っていたかった。



| 10:06 | 日々のカケラ | comments(2) | trackbacks(0) | posted by マスノマサヒロ |
『神の使者』
 不思議だが、まったく疲れが出ない。明日から出るのかも知れないが、今はとにかく元気で、部屋の中は寒いからまずは足湯をして読んでいる本を手に取った。五百ページを越える分厚い一冊は、読み応え十分だ。まだ三分の一ほどしか読んでいないのに、これまでの感覚とずいぶん違うものを感じている。読書の感覚というのもおかしな言い方だが、確かに身体感覚が出てくる。読みたい本がある時に早朝から目覚めることはしばしばあることだが、そういうことではなく、頭にぽっかりと穴が開いてそこから何かを吸収したがっている、というような今まで感じたことのない感覚がページを開くと出てくる。

 本は、ゲイリー・R・レナード『神の使者』(河出書房新社)。原題は、The Disappearance of the Universe 。朋が勧めてくれたもので、いずれ読みたくなるだろうとしばらく枕元に置き放していた。暇な写真展の会場で読もうかと持ち込んだら、その時間がないほどにいつもどなたかと話ができて、だから今読んでいる。年の瀬は、ぼくにはたっぷりと時間がある。

 まだ読み終えてもいない本をこのkazesanで取り上げたくなった。訪れてくれる人の数はけして多くはないけれど、ぼくの他愛もない話からなにかを感じてくださる方が何人かいらっしゃることを今回の写真展で知った。言わば、ぼくの朋だ。その方たちにぼくも、朋にならって紹介したくなった。この本からはこれまでに聞いたことのない話が飛び出てくる。ぼくと同じタイミングできっと必要な方がいるにちがいない。気になる方は、まずは枕元に置いてはいかがなものだろう。「ほんとうに救済が見出せるのは心だよ」という自学自習を薦める一文は、まさに我が意を得たりだ。自分以外の外に求めることも多かった旅の歩き方も、そろそろ完全に変える時が来た。





| 04:53 | ひかりっ子 | comments(4) | trackbacks(0) | posted by マスノマサヒロ |
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