釈迦岳の山頂に近づいたころ、雪道に疲れて一息入れようとリュックを下ろした。その時だ。ガサガサっと凄まじい音を立てて開いている穴から飛び出してきたものがある。ウサギだ。もう速い速い。目にも止まらぬスピードだった。あいつならどんなハンターにも撃たれないだろう。冬毛なんだろうか、白くなりはじめた体毛がいくぶん逆立っているようにも見えた。
雪道に残っていた足跡はあいつのものだったのか。まるで後をつけるように登ってきた。それが途切れて、ここからはひとりぼっちの山道になるのかと小さな緊張感が生まれたときだったのだ。鈍感な人間だから、安心してやり過ごそうとでもしていたんだろうか。まさか隠れている穴の前で立ち止まるなんて思いをよらなかったに違いない。本当にびっくりしたんだろうなあ。ぼくだって無茶苦茶びっくりしたんだから。
山にはいろんな動物がいるだろうに、滅多に会うことがない。会っていても、ぼくにはわからないだけかもしれない。でも会うと、なんとなくうれしい。動物には迷惑な話だろうが、こっちの気分は友だちだ。クマもほんとうはとても優しい生き物だという。ただ人間が恐い。恐いからはちあわせると自衛のために襲ってくる。ウサギなら逃げる、クマなら襲う。その違いがあるだけだ。あとは人間がどうするかを考えるしかない。山は彼らのすみかなんだから。
山頂についた。一面の雪。気がつくと灰色の空からちらほらと舞い降りていた。寒い。ここはもう冬なんだなあ、なんて悠長に構えている余裕もなくなってきた。サッサとおにぎりを腹に詰め込んだ。コーヒーはどうしよう。せっかく持ってきたんだからと、カップを出して湯を注いだ。
そのとき、ふんわりと目の前を過ぎてゆく小さな虫がいた。なんだ? あれ、クモじゃないか。なんでお前、飛べるんだ。まっ白な背景で見えなかったが、目いっぱい長く出した糸にぶら下がってでもいたんだろうか。とにかく愉快なやつだ。ここは標高2000mだぞ。冬だぞ。いったいなにしてるんだ、と聞かないうちに、ふわふわふんわり、別山方面に向かって飛んで行った。笑うとコーヒーがとてもうまかった。
ぼくが山にひとりで住めるとは思わないけれど、山に隠っている聖者たちのことを想像した。生きとし生けるものを彼らはどういうふうに見ているんだろう。命というものをどんなふうに捉えているんだろう。人の言葉ではなく、自分でそういうことを感じてみたくなる。
ウサギとクモ、それにほら、小枝にとまって鳴いている一羽の小鳥。有象無象という言葉がいきなり浮かんできた。どんな意味かも知らないのに、不思議な話だ。調べた。「宇宙にある有形無形の一切の物。森羅万象」と「世にいくらでもある種々雑多なつまらない人々」(広辞苑)だそうだ。。困った。つまらない者なんて言われたくはないが、ウサギやクモや小鳥たちから見ると、つまらない人間に見えたりするかもしれない。それでもぼくも、森羅万象の一員だ。あいつ、きょうも跳ね回っているんだろうなあ。クモ、どこにたどりついたかなあ。