ミクシィ内で管理人をしていたコミュニティの「ひかりっ子くらぶ」を解散した。と言っても、相棒のユコタンが天国へ引っ越してからというものは開店休業の状態でほとんど名前ばかりのものだった。ひかりっ子とは、この地上に生まれ落ちた人間はみんなひかりのふるさとを持っている、というような意味合いでつけた呼び名だ。だから本当は、地上であくせく暮らそうが、天上でゆったり漂っていようが、だれもがみんなひかりっ子なのだ。
解散はかねてから考えていたけれど、その朝、きょう実行しようとなぜか思った。コミュニティの削除ボタンをクリックする前にユコタンにたずねてみた。「ほんとうに削除するよ。これでいいね」。もちろん返事などないけれど、目を閉じて感じている身体の中に熱く燃えるようなエネルギーが満ちた、気がした。友を失い、友とつながる形にずっとこだわってきたけれど、もうこれからはその必要はないのだと思った。
解散の前にもう一度、寄せられたコメントを読んだ。ユコタンのなつかしい話がいっぱいだ。まるで読んで聞かせてくれているような気がした。ユコタンの仲間たちからのも、そのまま残っていた。ほとんどが退会せずに籍を置いたままにしてくれていた。そんな中でぼくが気に入っている言葉に改めて出会った。
Dance your way to God.
Sheelさんが紹介してくれたものだ。「おまえの好きなように踊りなよ。いずれはみんな、神さまに抱かれるのさ」。こんな調子でぼく流に意訳して、ずっと大切にしてきた言葉だ。
家は浄土真宗でも、ぼくは無宗教みたいなものだ。けれど、宗教心ならいくらか持っているつもりだ。この世は、人間の振りかざすちっぽけで、あいまいで、自分勝手な物差しばかりで測っていても、なにひとつ本当のところは見えてこない。だから神の物差しが必要になるのだ。だが、神の物差しとはなんだろう。そういうものがあったとして、果たしてそれを人が扱えるのか。そんなことさえよくわからない。なにもかもは、人には簡単にはわからないほど壮大なものなのだ、ということが、神の物差しにふれてわかることなんじゃないだろうか。人にできること、好きなように踊ればいい。
天上では神に抱かれて友らが踊り、地上でもまた思い思いに人が踊る。たったそれだけのことが世界だとしたら、なんとも小気味よくないだろうか。