kazesan3風の吹くままカメラマンの心の旅日記

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へそ曲がり

 どうして気になるんだろう。理由はわからないけれど、きょうもまた撮った。30メートルほどもある大きな木からこの1本の枝だけが横に伸びている。あとの枝は天に向かっているというのに、ほんとうにへそ曲がりなやつだ。きっとこいつ、他と同じではいやなんだ。いやなことに理由なんかいらない。いやなものはいやなんだ。へそがまがっているだけだ。



映像と竪琴ライアの調べ「あめつちのしづかなる日」





| 21:55 | 日々のカケラ | comments(0) | trackbacks(0) | posted by マスノマサヒロ |
詩的な写真
 いつのころからか、作意とか、作為のない写真を撮りたいと思うようになった。意図のない創作があってもいいだろうと思った。ずっと気功に親しんできたから、それを気功的写真と言ってきた。世間に認められたいとか、名を成したいとか、それがかなわないと知って諦めた代わりの、ぼくなりの撮り方なのかもしれない。そしてその撮り方は、欲がない分、肩の力が抜けて、とても気持ちのいいものだった。気功的写真だなと、自己満足してきた。


 かと言って、ぼくにはまなざしはなかったんだろうかと、今朝庭で撮りながら思った。なにかに惹かれてレンズを向けるとき、そこに自分が映っているような気がした。たとえば今日は、背の低い枯れた植物の無骨で醜い様が気になった。夜中に降った雪を頭に乗せているような姿が、ほほえましかった。無骨だけれど、惹かれた。そのとき、これはぼくだな、と思った。いつも心の中にぎくしゃくと醜い顔を持っているぼくだ。それを自分では十分に知り尽くしている。ただ表沙汰にはしないだけの話だ。心が醜い者でも、それなりに一生懸命生きている。無骨な植物の冬の姿は、まさに、ぼくだった。

 写真家のまなざしは、なにも外にばかり向ける必要ない。自分の内へ内へと、深く入り込んでもいいだろう、と気づいた。私小説から取ったのか、自らの作風を私写真などと言った著名な写真家がいるけれど、同じものなどまっぴらごめんだ。ぼくにはぼくのまなざしがある。写真はほんとうは、言葉にならない内面をこそ表すのだ。ああ、大風呂敷を広げて、これで少しさっぱりした。

 けれども、なんのために撮るんだろう。雑誌に載るわけでもなく、写真集のためでもなく、ただ撮ることがつづく理由はなんだろう。そうか、詩だ。poetとしての写真があってもいいのだ。写真集を出版してくれた龜鳴屋の主人がいつか言っていた。詩集なんて売れるもんではないんだと。売れない写真は、詩になろう。深く深く、詩になろう。





| 12:00 | 日々のカケラ | comments(3) | trackbacks(0) | posted by マスノマサヒロ |
写真家入門
 自分のことを写真家と自己紹介することがあるけれど、正直、そう言えるほどの者か、と思っている。ほんとうはそれに憧れているだけの、なんちゃって写真家にすぎない。そんな男の写真でも、感じてくれるほんのひと握りの人が広い世の中にはいるものだ。はずかしいやら、うれしいやらで、それが励みにもなる。

 ネットでぼくの写真に出会い、ポストカードを注文してくれた方から感想が届いた。それは、被写体が撮ってほしいと話しかけているような写真、撮影者がどんな気持ちで撮っているかなど付随的な情報がなく、伝わってくるのは被写体の光あふれる思いだけ、というものだった。どんな感想も、写真の何かとそれを感じている人の中にある何かが共鳴しているのだから、ぼくは写真そのものではないと思っている。けれど、この感想は少し気になった。


 撮るときのぼくは、ほとんど何も考えていない。この方の言う通りだ。撮影者の心の情報がくっついていないのかもしれない。大体が、ねらいというものがない。撮影意図という言葉を聞いたことがあるけれど、意図がない写真は写真ではないのかもしれない。ぼくは美しい風景を記録して出前するだけの、おか持ちに過ぎない。いや、過ぎなかった、と言い直そう。これからは少し、自分なりのまなざしで見て、撮ってみたいと思っている。ただ視点とは、自らの生きる姿でもあるだろう。そんなものをはたしてこのぼくは持ち合わせているだろうか。

 とりあえずどうなることやら。今度は、ぼくのよからぬ心の情報が入り込んでしまうかもしれない。考えていてもしようがない。動き出そう。変化しよう。いいも悪いもないのだ。大自然のふところはちっぽけな人間の比じゃない。その中に包み込んで、なんちゃって写真家を思う存分遊ばせてくれるに違いない。なんだか知らないけれど、初めてカメラを手にしたときのあの興奮がよみがえってくる。写真家入門編のはじまりだ。




| 18:50 | 日々のカケラ | comments(0) | trackbacks(0) | posted by マスノマサヒロ |
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