夜中に目覚めた。いくらなんでも起きるには早いだろう。そうだ、小説を読もう。机の上に置いた『アンテナ』を手に、もう一度ふとんにもぐり込んだ。どうせすぐに眠くなるだろうと思ったわけだ。ところがだ。またしても田口ランディの世界に引き込まれてしまった。まったく、ほんとうに、どうしよう、この作家。予定が大幅に狂ってしまう。まぁ、狂っても大したことにはならないぼくの予定だけれど。
コンセントの次は、アンテナだ。見えるものと、見えないものが、この世界にはある。限界のある視覚でほとんどのことを判断してしまうのが人間だとしたら、見えないものを感じることがどんなに大きな意味を持っているだろうかと、想像した。
たとえば、こうしてひとりでパソコンに向かっているけれど、となりに見えない存在が本当はいるのかもしれない。ぼくには幼くして死んだふたりの弟がいた。お兄ちゃん、ぼくたちの分まで楽しんで生きて、と言われたようなイメージを以前抱いたことがある。大好きな友だって、ずっととなりにいるかもしれない。けれど残念ながら、ぼくにはアンテナが立っていない。いるかもしれない、としか言えないのが少し悲しい。物語の登場人物のようなわけに行かないものだろうか。ああ、アンテナが欲しい。
最後の方で登場する、京都からの風水師が言った。
「ええですか。この世界で怪しいことは全部、人間の意識が作ってます。人間が存在しなかったら霊も天国もありません。この世はすべて人間の都合でできています。だから、そこにいる人間にとって必要なものがその場所に現れる」。
なんとも痛快なセリフだ。ぼくは風水のことも知らないし、見えないものは見えないし、これがそれだと感じることもまったくないけれど、いつもこういう言葉に大いに勇気づけられる。近ごろは引き寄せの法則だとか言って賑やかなことだが、そんな法則だって、あると思えばあるし、ない者にはないのだろう。すべてはあなた次第だと、最後には誰もが言っているじゃないか。自分を信じて生きるのみだ。
コンセントを読みながら歯が痛かった。なんとなく治るような気もしたが、夕方歯医者へ。銀をかぶせた奥歯の神経が炎症を起こしているかもしれない、一度外して薬を注しておきましょうとの診断だったが、虫歯じゃないならとお断りして、様子を見ることにした。痛くていまは満足に噛めないけれど、こんなことも意識に関わっているだろうか、などと思いながら、しばらくは痛みと暮らそう。噛めることはあたり前じゃなかった。見えることも聞こえることも、なにひとつあたり前じゃない。痛いという感覚さえも、ここにこうして生きているからだ。それにしても、アンテナが立つと、どんな気分になるんだろう。きっと痛みを忘れるほどに、刺激的だろうな。
そうだ、練習してみよう。何かが触れるかもしれない。ほら。
わかったよ、お前たちの分まで、楽しんでいるよ。
どうということもないぼくのありきたりな人生だけれど、見えない豊かな世界ともつながっているのだ。そんなのも自分の都合でいいのだろう。