kazesan32021-01-15T03:11:57+09:00風の吹くままカメラマンの心の旅日記JUGEM「kazesan3」のお引っ越しhttp://kazesan3.jugem.jp/?eid=9932013-10-06T09:49:00+09:002013-10-06T00:52:44Z2013-10-06T00:49:00Z
この「kazesan3」を下記のサービスに引っ越しました。ブログオタクのようにあちこちに書き散らかしてきましが、散乱する気持ちをまとめる意味でも一つに統合しようと思います。移転先は広告の掲載もなくシンプルで気持ちのいいサイトです。これで種々雑多な日常も...マスノマサヒロ日々のカケラ
この「kazesan3」を下記のサービスに引っ越しました。ブログオタクのようにあちこちに書き散らかしてきましが、散乱する気持ちをまとめる意味でも一つに統合しようと思います。移転先は広告の掲載もなくシンプルで気持ちのいいサイトです。これで種々雑多な日常もいくらかシンプルになるといいんですが。引き続きご愛読くださるとうれしいです。
kazesan
]]>鴻の里 #003 囲炉裏http://kazesan3.jugem.jp/?eid=9922013-10-05T10:31:00+09:002013-10-05T01:47:26Z2013-10-05T01:31:00Z
火を囲むだけで和んでしまうのに、大きな囲炉裏を切ったこの空間に入った途端、思わずため息が出た。足下の板がいくらか軋む音を聞いてぞくっときた。なんという贅沢。その時代の人々がどんな思いで暮らしていたものか知る由もないけれど、この囲炉裏の傍に佇...マスノマサヒロ能登
火を囲むだけで和んでしまうのに、大きな囲炉裏を切ったこの空間に入った途端、思わずため息が出た。足下の板がいくらか軋む音を聞いてぞくっときた。なんという贅沢。その時代の人々がどんな思いで暮らしていたものか知る由もないけれど、この囲炉裏の傍に佇み話し込む人と人を見ながら感じたのは、日本の美しさだったかもしれない。向き合って話すだけならいつだってどこでだってできるだろう。だがその場に、自ずと生まれる静寂はあるだろうか。その静寂を慈しむように味わう瞬間はあるだろうか。人と人が交わる全うな環境が、古い日本には揃っていた。そして今も残している家がある。
]]>鴻の里 #002 家http://kazesan3.jugem.jp/?eid=9912013-10-04T12:12:00+09:002013-10-04T03:40:38Z2013-10-04T03:12:00Z
鴻の里について案内された家屋敷に、まず驚いた。豪邸や洒落た建物を見てもほとんど無感動で終わるのが常で建築などには知識もないから興味がわかないんだろうと自分では思っていた。それはこれまでにない不思議な感覚だった。住んでいるのはおそらく鴻さんた...マスノマサヒロ能登
鴻の里について案内された家屋敷に、まず驚いた。豪邸や洒落た建物を見てもほとんど無感動で終わるのが常で建築などには知識もないから興味がわかないんだろうと自分では思っていた。それはこれまでにない不思議な感覚だった。住んでいるのはおそらく鴻さんたちだけではないのだろうと思わずにいられなかった。霊感とかオカルト的なものでなく、感じていたのはおそらく歴史というその場に堆積している時間のことだった。薄汚れて崩れかけた土壁にさえ風格が漂っている。痛んでいるというより、持ちこたえているのだ。聞けば築百三十年という。見ず知らずの何世代ものご先祖の方々を思い浮かべたくなった。生まれてこの世で生きていくことは決して自分ひとりの力では叶わないことを多少なりとも人なら誰もが感じていることだろうが、古い家の前に立つとその意味がいくらかわかったような気がした。代々生命を受け継いできたというだけでなく、人は古より今も脈々と息づいている力に守られているのだろう。鴻さんの家がその表れのひとつなんだと思った。
]]>鴻の里 #001 夫婦http://kazesan3.jugem.jp/?eid=9902013-10-03T12:09:00+09:002013-10-05T01:22:22Z2013-10-03T03:09:00Z
鴻さんに出会ってそろそろ三年ほども経つだろうか。はじめは奥さんの章子さんの方だった。「これ、なんて読むんですか?」とおそらく誰もが尋ねるにちがいない、鴻さんたちにとってはお決まりの質問をして、返ってきたのが、びしゃごです、だった。何度も会う...マスノマサヒロ能登
鴻さんに出会ってそろそろ三年ほども経つだろうか。はじめは奥さんの章子さんの方だった。「これ、なんて読むんですか?」とおそらく誰もが尋ねるにちがいない、鴻さんたちにとってはお決まりの質問をして、返ってきたのが、びしゃごです、だった。何度も会うことはないだろうと、問い返すのを躊躇い覚えたような顔をしてしまった。せっかく教えてもらったのにその後もなかなか覚えられず、なんとも情けないかぎりだ。それが今では、鴻の里と呼んで何度か訪ねるほどにまでなっている。
この春に出会ったご主人の豊彦さんとは同い年だった。三年前に豊彦さんの生家に住み始めたおふたりは今、自然農に取り組んでいる。「この棚田の風景を残したいんです」との思いを聞いて、同世代として、さらには半農半写真的な暮らしを夢見ている者として、なんとも羨ましい気持ちになった。田舎暮らしは決して生易しいものではないようだが、何が羨ましいと言って、同じ目的に向ってふたりで歩いていることだった。結婚して三十年あまりにもなる今頃になってときどき考えるのは、夫婦について。好いた惚れたの時代などあっと言う間に過ぎ去った。長く連れ添った夫婦にとっての晩年の日々をもしもちがう先を見て暮らすなら、いったいなんのための夫婦なんだろう。などという思いもめぐらしながら、鴻の里通いを続けてみようかと…。
自然農とは、耕さず、肥料や農薬を一切使わず、草や虫を敵としないというもの。とても興味がある。
]]>変わらぬものhttp://kazesan3.jugem.jp/?eid=9892013-09-24T12:06:22+09:002013-09-24T03:06:22Z2013-09-24T03:06:22Z
旧中山道の宿場町柏原の街道を歩くと、その時が昼でも夜でも往時が偲ばれる気がするから面白い。まるでその時代を懐かしんでいる気分にさえなれる。「変わらぬもの」と題した対談の会場に相応しい環境がこの田舎町にはあった。町に好感を持てるのは、おそらく...マスノマサヒロ日々のカケラ
旧中山道の宿場町柏原の街道を歩くと、その時が昼でも夜でも往時が偲ばれる気がするから面白い。まるでその時代を懐かしんでいる気分にさえなれる。「変わらぬもの」と題した対談の会場に相応しい環境がこの田舎町にはあった。町に好感を持てるのは、おそらくそこに住む人に好感を持っているからだろう。行きずりの旅では決して味わえないこの感覚をこれからも大事に抱えて歩くとしよう。
対談そのものにも感じることは多かったが、その前に思うことがある。話し手の存在ばかりか、その対談の場を主催した若者の存在だ。どこか公的なお仕着せの集いなら珍しくもない。年配者の暇つぶし程度の催しなら興味さえ持てない。それは、今と未来を憂う若者が真剣なまなざしで見つめた日常から生まれたものだった。自分のことで精一杯の世の中だからこそ、自分のことばかりではなく世の中そのものを相手に暮らすのだと、そしてそのひとときを己の懐に抱き込む努力の積み重ねが人生を創造して行く肥やしになるのだと、どうやら無言で教えてくれた。おそらく人は、いくつになっても師に囲まれているようだ。
対談の中で何度か出た「放浪」や「振り子」という言葉が今も妙に心に残っている。若い頃宙ぶらりんな放浪の旅に出た対談のおふたりに共通するものがあるなら、源はその旅じたいにあるのだと思った。根無し草、寄る辺なき立場をいやというほど体験した人から感じたものは、自我とは無縁の自意識、とでもいうような不思議な魅力だった。だれもが自分の生活は自分で守らなければならないと思っている。当然だ。最後には国が助けてくれるなどともはやだれひとり思っていないだろう。だからと言って、戦々恐々と、あるいは意気軒昂に、などと偏った生き方もしたくない、という程度の良き人ばかりが世の中の大勢を占めている。それが今の日本の状況なのではないだろうか。
対談を聞きながら、この凡夫は今も宙ぶらりんな日々を暮らしているのだと感じた。しかも振り子の揺れ幅はとても小さい。ドラマチックな人生を望んではいても、生きる時代そのものとは意識的には無縁の人だった。定まるものが足下にないのだから、ふらふらと彷徨っている感覚が常にある。これでは生きる自信のあろうはずがない。本当の放浪の旅に出なかったことを今さら後悔してもはじまらない。けれどこの先もお茶を濁した程度で満足する気にもなれない。変わらずに懐に抱えていたものの芽がようやく出たきたのか。あまりに遅い目覚めだ。
歴史も個々の人生も振り子のように反転し揺り返すだろうと対談者の佐伯さんは言った。解き放たれた弓矢では決してあり得ないなら、小さくてもいい、その揺れ幅の中で思い切りの覚悟を決めて生きればいい、などと若い頃なら意気も上がっただろうが、今はその言葉が静かに沁みるように聞こえてきた。沁み入るこの自分という穴の大小に悩んでいる時間はもう残されていない。穴を掘り下げるしかないのだろう。それにしても振り子の支点にあるものはいったい何だろうか。この日々をだれがゆらゆらと揺らしているのだろう…。
「対談の間」ー変わらぬものー
]]>青空キャンプ記録ビデオhttp://kazesan3.jugem.jp/?eid=9882013-09-14T17:51:00+09:002013-09-14T08:54:53Z2013-09-14T08:51:00Z
ふくしま・かなざわキッズ交流キャンプがこの夏に催した「青空キャンプ」の記録ビデオを公開しました。海篇などは一時間を越える“大作”になってしまいました。参加した子どもたちが何年か先になって改めて見直す機会があるかもしれない、そのときキャンプの思い出...マスノマサヒロひかりっ子
ふくしま・かなざわキッズ交流キャンプがこの夏に催した「青空キャンプ」の記録ビデオを公開しました。海篇などは一時間を越える“大作”になってしまいました。参加した子どもたちが何年か先になって改めて見直す機会があるかもしれない、そのときキャンプの思い出が迷いや悩みから立ち上がる力を与えてくれるかもしれないと、ふと思い立ったからでもあります。いつも遠くから応援してくれるみなさんへのお礼も兼ねています。どうぞお時間のあるときにご覧ください。
]]>青空キャンプ(7) 男と女、おとなと子どもhttp://kazesan3.jugem.jp/?eid=9872013-09-14T17:40:10+09:002013-09-14T08:40:10Z2013-09-14T08:40:10Z
珍しい話でもありませんが、男にとって年頃の女の子を相手にするのはとても難しいものです。今夏のキャンプには女子中学生をはじめ女の子も半数近くを占めていました。長いテント生活を共にして何度も顔を合わせながら、結局その距離が縮まったとはとても言...マスノマサヒロひかりっ子
珍しい話でもありませんが、男にとって年頃の女の子を相手にするのはとても難しいものです。今夏のキャンプには女子中学生をはじめ女の子も半数近くを占めていました。長いテント生活を共にして何度も顔を合わせながら、結局その距離が縮まったとはとても言えませんでした。世の中には男と女しかいないのに、思えば不思議なものです。その間にある見えない壁はいつも厳然としてそびえ立っているように感じます。女の子にしてみれば女性のスタッフがいなければ保養プログラムの居心地はとんでもなく悪いものになってしまいそうです。
キャンプでの救いは、小さな人間たちをすっぽりと包み込んでくれる海や山があることです。青空キャンプは去年につづいて目の前に海が広がる能登島の勝尾崎キャンプ場を会場にしました。その気になればすぐにでも海に飛び込める環境は、公共施設を利用しての宿泊ではなかなか味わえない醍醐味があります。大きな海に浮かんで透明な水中を覗き込むとき、男とか女とか、おとなとか子どもとか、さして気に留めることもなさそうです。まったく今年も年甲斐もなく子どもたちといっしょに遊び呆けてしまいました。
女の子の間でときどき問題になるのが人間関係です。だれとだれが仲良くなってわたしはいやだ、みたいなことでしょうか。仲良しを限定しないと落ち着かないようです。人間ですから気が合う合わないの相性というものは当然ありますが、それとは別の感覚がそこには働いているような気がします。おとなの世界にもありそうな話ですが、この種の問題に男が、それもこんなジジイが割って入ってもなんの解決にもなりません。女は女同士、細やかな気配りが必要なようです。
今回のキャンプには女子大生や社会人になったばかりの女性に加え、福島のおかあさんが三人もスタッフとして加わってくれました。ほかにも子育て真っ最中の若いおかあさんが子どもをキャンプに参加させながら応援してくれ、さらには子育てを終えた経験豊かな女性や遠方から自腹を切ってでも参加した有志など、小規模な保養プログラムとは言えスタッフの陣容はしっかりと固まっていたようです。ただそれをまとめる力がちょっぴり不足していました(この代表のことでもありますが、苦笑)。そしてだからこそ、だれもが自分で考えながら自由意志でキャンプの日々を過ごせるのだと思います。決まりきったルールなどなく、それでいてまとまろうと努力するスタッフが揃っている、これはFKキッズならではのことでしょうか、それともどこの保養プログラムでも同じなんしょうか。
男の女がいて、おとなと子どもがいる。保養プログラムはまるで、社会の一歩先を行く未来の姿を映し出した縮図のような気がします。
]]>青空キャンプ(6) 交流http://kazesan3.jugem.jp/?eid=9862013-08-27T12:15:09+09:002013-08-27T03:15:09Z2013-08-27T03:15:09Z
ふくしま・かなざわキッズ交流キャンプは、発足当初に外からの働きかけもあって自ずと「交流」を打ち出すことになりました。今では「遠くのきみと今日から一番の友だち」ではじまるテーマソングまでできました。原発事故がなければ出会うことがなかった友と...マスノマサヒロ
ふくしま・かなざわキッズ交流キャンプは、発足当初に外からの働きかけもあって自ずと「交流」を打ち出すことになりました。今では「遠くのきみと今日から一番の友だち」ではじまるテーマソングまでできました。原発事故がなければ出会うことがなかった友として、未来までつづく深い仲になってくれればとの願いを込めています。
でも、交流するとはどうすることでしょうか。単に交流するだけで、そこから未来への力となるような何物かが果たして生まれるんでしょうか。
キャンプの間のひとときに「交流するってどうすることだ」と子どもたちに問いかけてみました。遊ぶ、いっしょに生活する、けんかする、助け合う、話し合うなどすぐにいくつか出てきました。交流って案外簡単にできそうです。海や山のフィールドにテントを張っていっしょに生活していれば、子どもたちがあげたような交流はすぐに実現可能です。ただそうして一年が経過して五回のキャンプを開いてみると、交流にはもっと深い世界があるのだと思うようになりました。
たとえば子どもたちにこんなふうに投げかけてみました。「交流とは相手の話をよく聴くことだと思う」。聞くこと、聞こえることなら意識せずともだれでもしているでしょうが、聴くのはとても難しい技です。静かに耳を傾けているようでも心の中ではちがうことを考えていたり、次はどんな言葉を返そうかと探っていたり、要するにいったい何を言わんとしているのかと相手の言葉に耳をそばだてることをいったいどれほどの人が心がけているでしょうか。相手の気持ちを知ろうともしないで、果たして交流など本当に成立するんでしょうか。
子どもたちに難しいことを言ったってしようがない、と言われれば、それではいつそれを心がければいいのかと問い返したと思います。おとなでさえ聴ける人が少ないからこんな日本になっているのだと、3.11以来痛感するようになりました。もちろんそういう自分をも含めてです。だからこの夏、せめてこのキャンプでは聴くことを大事にしたいと思ったのかも知れません。
交流が上辺だけを滑って行かないように、その場かぎりの歓声で終わらないように、これからまだまだ考えてみたいことがあるはずです。考えて試して、試行錯誤を繰り返しながらの保養プログラムなら、それもまたいくらかでも深まる交流なのではないでしょうか。子どもは未来、などと言葉では簡単に言えますが、その未来からの約束としての今なのだと、その笑顔や泣き顔やふくれっ面を見て痛感しています。
]]>青空キャンプ(5) 忍耐http://kazesan3.jugem.jp/?eid=9852013-08-26T14:59:26+09:002013-08-26T05:59:26Z2013-08-26T05:59:26Z
青空キャンプ前半の森篇をひと言で表すなら、「耐える」という言葉にします。キャンプの間毎日のように降りつづいた雨に耐え、スタッフは子どもたちに任せようと設定した態勢を大事にするために耐え、子どもたちは気ままに遊びながらもおとなの叱咤激励に応え...マスノマサヒロ日々のカケラ
青空キャンプ前半の森篇をひと言で表すなら、「耐える」という言葉にします。キャンプの間毎日のように降りつづいた雨に耐え、スタッフは子どもたちに任せようと設定した態勢を大事にするために耐え、子どもたちは気ままに遊びながらもおとなの叱咤激励に応えようと耐えていたように思います。何か事が始まる時、一番先に求められる態度がこの忍耐であるなら、青空キャンプのスタートは本当に素晴らしいものでした。
後半に差し掛かったある日、希望者を募って山歩きをしました。目的地は小一時間ほどの距離にある石切り場。参加した四人の子どもたちの中に、おそらく内容を理解しないまま希望した6歳のユウタもいました。案の定、歩き始めてすぐに「喉が渇いた」「疲れた」などと言い出しなかなかペースがあがりません。メンバーで入れ替わり立ち代わりしながらなだめすかしての山行となりました。目的地に辿り着きその景観の素晴らしさに感動した子どもたちが大きな歓声をあげて探検を始める中、ひとりユウタだけは「恐い」と言って一定の線から決して中に入ろうとしませんでした。せっかく我慢して歩いてきたのに残念、と思いましたが、恐いという経験もまた現代では得難く大切なもの。多いに満足して帰路につきました。
その帰り道、何度も立ち止まっては「もう動けない」と泣きつくユウタ。おんぶして欲しかったのでしょうが、自分からそれを求めることだけはしませんでした。目を腫らし大粒の涙を流す姿を見ながら、「がんばれ」とひと言声を掛けるしかありません。あとは黙ってじっと待っているとまた歩き出し、すぐにまた座り込んで泣き叫ぶ繰り返し。まさに耐えるユウタと、その姿に耐えるスタッフでした。おかあさんがこの姿を見たらなんと思ったことでしょうか。野生になる!ことは、だれにも決して生易しいものではありません。そのあとユウタは熱を出し寝込んでしまいました。
忍耐を冬に喩えるなら、やがてやって来る春に芽吹くものは、その忍耐の中から生まれるのかも知れません。忍耐は、種。生命の営みの中で一番先に宿る大事な大事なものだということを、今ふりかえって思います。
]]>青空キャンプ(4) キャンプという生活http://kazesan3.jugem.jp/?eid=9842013-08-25T14:57:00+09:002013-08-26T05:57:48Z2013-08-25T05:57:00Z
青空キャンプと名づけた今夏の保養プログラムは前期の森篇と後期の海篇を合わせて20日間ぶっ通しのテント生活でした。お風呂は数日に一度近所の温泉に行く以外はドラム缶風呂(あまりに非効率で一度で断念しましたが)や施設の担当者が用意してくれた巨大な行...マスノマサヒロひかりっ子
青空キャンプと名づけた今夏の保養プログラムは前期の森篇と後期の海篇を合わせて20日間ぶっ通しのテント生活でした。お風呂は数日に一度近所の温泉に行く以外はドラム缶風呂(あまりに非効率で一度で断念しましたが)や施設の担当者が用意してくれた巨大な行水用のプールで代用し、洗濯も調理も基本的には子どもたち自らが率先してすることにしていました。ところが子どもたちの予期せぬ実態に、当初の思惑が大きく外れました。まず当たり前だと思っていた毎日の歯磨きを、キャンプ6日目にして尋ねてみると、なんとまだ一度も磨いていないという子が数人もいてびっくり。毎日励行した子はひとりもいませんでした。食事も自分たちで準備しなければ食べられないことを一度経験すればいいと傍観していましたが、粗食でもなんの不満もなく淡々と終わってしまったのでした。自分を時々の状況に合わせるというより、もしかすると現代っ子は感覚が鈍っているのではないかと思ったほどです。野生になる!というテーマを掲げてはみたものの、野生的な欲求はほとんどその場かぎりの遊びに限定され、あとはあなた任せの指示待ちが多かったように思います。その指示にさえ敏感に反応してくれることは稀でした。
でも森篇の間は毎日のように雨にたたられ、中まで濡れたテントを乾かしたり、夜半は管理棟に避難したり、立て直して心機一転で臨めばまた大雨という具合で、悪条件の中でキャンプをやり通したというだけでも子どもたちを褒めてあげたいと思います。乗り越えるという経験を少しずつでも重ねて行くとき、それこそが大切な思い出ともなり、明日への自信にもなるでしょう。とは言いながら、その場を準備したスタッフのおとな自身もほとんどが自然からほど遠い生活をしています。子どもたちといっしょに経験を積み重ねるキャンプになりました。
屋外で生活するためには、たとえば薪割りが必要になります。鉈を手にする機会などおとなでも少ない今、子どもたちがぎこちなく振り上げる様にはらはらしては声を掛け、それでも小さなケガが絶えませんでした。目を離していては危険な環境だとわかっていても、四六時中見ていることはまず不可能です。子どももおとなも自ら経験して学んで行くしかありませんでした。一番ケガしたタケゾウの、最後には火起こしのための細い薪を手際よく切り分けていた姿を忘れられません。
キャンプが始まって早々に、最年少の6歳のユウタがくるぶしの辺りにぱっくり傷口が開くケガをしました。抱きかかえて救急セットまで走り寄り応急措置をするスタッフのごんちゃんが、「これは医者ですね」と即決断。横でほとんど傍観していたぼくはその声を聞いてハッとしました。(そうか、これは決断しなければならない状況だったのか)、などと書くとなんとも信用できない代表になってしまいますが、まさに生活の場でも同じように決断しなければならない瞬間が数多くあるはずで、それに気づけないでいたのでは、子どもたちに感覚が鈍いとか麻痺しているなどと言えたものではありません。刻々と変化する時の流れに敏感であることが、キャンプという生活の場では特に大事だったような気がします。
]]>青空キャンプ(3) 会いたいhttp://kazesan3.jugem.jp/?eid=9832013-08-25T13:33:00+09:002013-08-25T04:38:59Z2013-08-25T04:33:00Z
青空キャンプの様子が香川と岡山のプログラムといっしょに毎日新聞の全国版に紹介されました。「思い切り夏休み」というタイトル通りの催しが今も全国各地で繰り広げられていることと思います。全国的な横の連携などほとんどありませんが、同じような気持ちを...マスノマサヒロひかりっ子
青空キャンプの様子が香川と岡山のプログラムといっしょに毎日新聞の全国版に紹介されました。「思い切り夏休み」というタイトル通りの催しが今も全国各地で繰り広げられていることと思います。全国的な横の連携などほとんどありませんが、同じような気持ちを抱いて活動している人たちの存在はとても心強いものです。未だ会ったことのない同志に負けないで、という気持ちは、資金もスタッフも足りない状況ではとても有効に働いてくれます。
記事の中で参加者の共通した思いが紹介されています。「放射能から逃れたい」というはじめのころの思いから、今は「保養先の人に会いたい」というのです。一度参加して気に入ってくれた福島の子どもたちや保護者のみなさんが、我らがFKキッズ交流キャンプにも何人かいます。これをご縁と言わないでなんと表現すればいいでしょうか。この関係は、おそらくプログラムの中身に寄ってではなく、出会った人と人の相性とでも言えそうなものが生み出すのではないでしょうか。参加者ばかりでなく、開催するスタッフもまた福島のみんなが忘れられずいつも会いたいと思っているんですから。
あってはならなかった原発事故が、福島に残ることを選択した人たちに全国の心ある人たちとの出会いをもたらしています。放射能汚染はさして軽減されることもなく広がるばかりかもしれませんが、だからこその人と人の出会いをもまた深め広げています。これからの日本を生きて行くことは決して生易しいものではないでしょう。どんな苦難をも乗り越えるたくましさのいくらかでも、保養プログラムの出会いで培って行きたいものです。
]]>青空キャンプ(2) ケンカしたいhttp://kazesan3.jugem.jp/?eid=9822013-08-22T15:49:48+09:002013-08-22T06:49:48Z2013-08-22T06:49:48Z
ようやく疲れが取れてきました。年を取ると回復が遅れることはよく耳にしてきましたが、いよいよ自分のこととして感じられるようになると、もっともっと老いることの味わいを大切にして生きたいものだと思います。サヤタの絵日記を添えて届いたおかあさんからメ...マスノマサヒロひかりっ子
ようやく疲れが取れてきました。年を取ると回復が遅れることはよく耳にしてきましたが、いよいよ自分のこととして感じられるようになると、もっともっと老いることの味わいを大切にして生きたいものだと思います。サヤタの絵日記を添えて届いたおかあさんからメールを読みながら、キャンプ中の自分の視点がなんとも年寄り臭かったと、今ごろになって苦笑いと共に感じています。
一見おとなしそうなサヤタが絵日記に書いている言葉がとても印象的です。「この中でいちばんいいのはケンカです。ケンカをするとやってしまったことをもうやらないからです。つぎこのキャンプがでたら行ってケンカしてもっとなかよくなりたいです」。実際には何度も同じケンカを繰り返し、おとながいくら言って聞かせても言葉が通じないもどかしさが残りましたが、子どもたちには決して日々同じではなかったようです。ケンカも後片付けも物の扱いも、さらには調理の手伝いも、まったくどれもこれもうまく行かないキャンプだったと一方的に決めつけることだけはしないでおこうと思います。
おかあさんからの報告を二、三。
うちの子達は、興奮覚めず3人で争うようにキャンプの話をしてくれました。どの話も日常から離れイキイキしてこちらまでウキウキしたりハラハラしたり、生きた話をしてくれました。
リクトは、キャンプがそうとう楽しかったようで、かなりこうふんして帰って来ました。「楽しすぎる、好き嫌い多くてご飯あんまり食べられなかったけど、ご飯食べれなくてもいい、また行くよ。ますやんが冬もやるって、1人でも行く」と言い、主人と私はびっくり。リクトは外遊びがあまり好きでない子です。びっくり。
保養に行かせる親の気持ちもそれぞれ、子供の気持ちもそれぞれですね。保養に行きたくないと母親にしがみついてバスに乗れない子、保養先でホームシックで泣き出す子、不安やイライラで意地悪する子、親がいなくて眠れず夜がこわくてしゃべりまくる子、でもどの子も一生懸命です、子供の気持ちとして当たり前なのかもしれません。
保養先で子供が言いたいこと言ってケンカできて、受け止めてくれるスタッフさんがいて、こんなキャンプなかなかないですよ。子供達がここまで仲良くなるキャンプはないです。
会として二年目を迎え五回目のキャンプだったこの夏は、主催者として少し気合いが入り過ぎていたのかもしれません。テーマは野生になる!子どもたちにはサポートするスタッフが少ないこともあって自主的な生活を望みました。言わば理想を掲げてしまったわけで、その線から外れると気持ちよくないと連日感じてしまいました。
でもこれは、あくまでも保養キャンプでした。福島を離れたくないのに保養に出なければならない子もいるでしょうし、逆に出たいのに条件が揃わない場合もあると聞いています。原発事故という犯罪と、いつまで続くとも知れない放射能汚染が、保養プログラムという枠組みを生み出したのです。「原発事故子ども被災者支援法」を制定しながら一向に具体策を講じない国ですから、庶民による保養プログラムを今は止めるわけには行きません。たとえ力不足でどんなに中身の薄いプログラムだとしても、庶民と庶民が寄り添い開催することじたいに意味があるのだと思えます。
サヤタのおかあさんからはこんな言葉も届きました。
郡山に着いた子供達は別れがたいようで「また会おう、冬のキャンプで」「ありがとう」などと一人一人に声をかけ合っていました。
20日間ものテント生活を共にした彼らは、それだけでもう一番の友だちなのかも知れません。またおいでよね、心置きなくケンカもすればいいさ。言うこと聞かない奴は心置きなく叱りつけるから(笑)。
]]>青空キャンプ(1) ちゃんとhttp://kazesan3.jugem.jp/?eid=9812013-08-16T15:45:00+09:002013-08-22T06:46:36Z2013-08-16T06:45:00Z
このじじいのいったい何が気に入ったものか、小学校2年生のスズが家に帰ってすぐ描いたと思われる絵を送ってきました。一年を通して開催しつづけてきた保養プログラムの中でも夏休みのキャンプは規模も長さも最大で、参加した子どもたちにとってもきっと山ほ...マスノマサヒロひかりっ子
このじじいのいったい何が気に入ったものか、小学校2年生のスズが家に帰ってすぐ描いたと思われる絵を送ってきました。一年を通して開催しつづけてきた保養プログラムの中でも夏休みのキャンプは規模も長さも最大で、参加した子どもたちにとってもきっと山ほどの思い出が出来たことと思いますが、実際には世話するおとなたちの言葉が届かないもどかしさが残りました。この絵を見ながら、そうでもなかったのかなと、いくらか穏やかな気持ちが蘇ってきます。
発足して2年目に入ったFKキッズ交流キャンプのこの夏は、森と海の2会場で20日間にもわたるテント泊の「青空キャンプ」を開きました。テーマは野生になる!自然からすっかり離れてしまった生活しか知らないのでは、たぶんこれからの時代を生きるには力不足なのではないかと思います。このキャンプを通していつもとちがう力強い自分を感じて欲しかったのかも知れません。ところがどうでしょうか。これが今どきの子どもなのか、と言いたくなるほどになにもかもが歯がゆいばかりで、前向きに自ら動き出すことがほとんどなく、言葉をかけて促しても聞こえないふりをする始末、いっそのことキャンプなど止めてしまえと何度思ったことでしょうか。
口を開ければ他人への文句ばかり、遊びも食べることもいつも自分中心。共同生活をしているという意識などおそらく皆無だったのではないでしょうか。子どもたちの声に耳を傾けるリーダー役のスタッフが揃わなかったことが大きく影響していたことは否めませんが、それにしても公共性に欠けた参加者が多いキャンプでした。
放射能汚染から少しでも遠く、少しでも長く離れて思いっきり羽を伸ばして遊んでもらうのが保養プログラムの目的ですから、その点については文句なく成功です。でもそれだけではもう収まらない気持ちが芽生えています。常連になった子どもたちは今では親戚のようにも思えるし、彼らのおかげで初めての参加者もすぐに場に馴染んでくれます。だから望む気持ちが生まれるんでしょうか。「ますやんのそれは押しつけですよ」と助言してくれたスタッフもいました。そうかも知れないと、ふりかえって今も思います。
最後の19日目は、特別な夜だというのにテントサイトでじゃれ合ったまま何事もなく過ぎ去って行きました。なんだかばかばかしくなってひとりで敷地内の桟橋に向いました。終盤になって急になついてきたスズがまた後をついてきました。ふたり並んで座り海ほたるの青い光を見つめ、キャンプの思い出を話し合いました。「スズはねえ、もっとちゃんとしたかった」。「なにをちゃんとしたかったん?」。「ミーティングのときのますやんの話がもっと短くなるように、ちゃんとしたかったの」。なんということでしょう。中学生もいるキャンプの中で、ほとんど最年少の部類に入る幼い子がもっとも深く全体を見ていたのかもしれません。言葉が通じないと嘆いて終わるのかと半ば諦めていましたが、通じたパイプもあったようです。
ちゃんとする。まさにこれこそ、このキャンプに求めたい態度だったのかも知れません。初めて参加するスタッフの中には夜遅くまで話し込んで昼間テントの中で寝ている学生もいました。何をしていいのかわからないのは仕方ないとしても、これではちゃんとしているとはとても言えません。子どもばかりでなくおとなもちゃんとしていない世の中だから、こんな保養プログラムが必要な事態に陥ったのでしょう。
さて、このじじいはちゃんと役目を果たしたのでしょうか。思いばかりが先行して配慮の足りない押しつけが目立ったこと、言葉にぬくもりが足りないこと、決断力に欠けること、安全管理を怠ることなどなど、反省すれば数え切れないほどの項目が並びます。子どもとおとなが一緒に創り上げるちゃんとしたFKキャンプは、まだまだ先のことかもしれません。常に高みを目指してはいるものの。
]]>石川県中央公園にてhttp://kazesan3.jugem.jp/?eid=9802013-05-22T13:11:00+09:002013-05-22T04:13:09Z2013-05-22T04:11:00Z
金沢市内の中心部にあって憩いの場になっていた中央公園の改修工事をめぐり、庶民と県の間で押し問答が繰り返されている。園内の45本の木々が切り倒され、都会でよく見かけるようなイベント仕様の広場に様変わりしてしまう。たかが木だろうか、否、保守的...マスノマサヒロ日々のカケラ
金沢市内の中心部にあって憩いの場になっていた中央公園の改修工事をめぐり、庶民と県の間で押し問答が繰り返されている。園内の45本の木々が切り倒され、都会でよく見かけるようなイベント仕様の広場に様変わりしてしまう。たかが木だろうか、否、保守的でおとなしい石川の庶民がめずらしく立ち上がっている。二年前のあの三月以来、おそらく日本の多くの庶民が目覚めたのだ。絆だ復興だと声高に叫ぶばかりで相変わらず前例に囚われる政治や行政のお粗末な有り様を、庶民は痛いほどに知ってしまった。
工事二日目の公園に出かけた。この手の現場は好みじゃない(好む人など滅多にいないだろうが)。有志で作る守る会の代表らと県の担当者が立入りを拒むフェンスの傍らで話し合っていた。表向き紳士的なやりとりだったが、こういう場合の話はいつも平行線をたどるばかりだ。計画を変えることなどあり得ない立場と、それを薄々感じながらも撤回を望む立場と。どれほど向き合っていたものか、解散した直後に工事は再開され、一時間あまりの間に数本が伐採された。
現場にいて撮りながらただ様子を見守ることしかできなかった。チェンソーのうなり声が聞こえると、女が泣き叫び、数人から罵声が飛んだ。子どもを抱いたおかあさんが木への手紙だと言って担当官に手渡した。上の子が書いたものだそうだ。それぞれが思いの丈をぶつけている。無表情に立ち尽くしている県の職員は家に帰ればよき父親でもあるだろう。人間とは実に奇妙な生き物だ。組織に属している者は、個の意思を曲げてでも組織の論理でしか動けない。その暗黙のルールから外れることは自らの生活基盤を失うことでもある。
知事をはじめ石川県は、この事態をどう見ているだろう。このまま押し切って済ませるに違いないが、将来に残る禍根は大きいかも知れない。一連の動きを地元の一紙だけが取り上げていない。庶民の知らない所にいったいどんな動きがあるのか、訝しむ声が上がっても仕方のないことだろう。北陸中日新聞の報道で明るみになって以来、知事の発言は一切ない。まるで城の中の殿様然としている。放射能汚染に苛まれる福島然り、沖縄の基地問題然り、行政は庶民とかけ離れたままだ。これが公園などでなく、たとえば戦争にまつわることだとしても、このままではお上からの一方的な押しつけがまたまかり通ってしまう。
木にも目があるなら、見下ろす人の存在などどんなに小さなものだろう。人は触れるほどに向き合いながら、互いの声の中身は届かない。せめて木のように風をはらんで遠くの未来を見やる目を、戸惑っても迷っても、忘れない生き方が必要になる。
石川県中央公園にて
]]>「場」http://kazesan3.jugem.jp/?eid=9792013-05-18T10:00:00+09:002013-05-18T01:18:10Z2013-05-18T01:00:00Z
佐伯さんが書いていた「場」の話を読んで、これまでもやもやとたれ込めていた心の中の有毒ガスのようなものがついに晴れて行くのかも知れないと感じている。気功に親しんでちょうど二十年、「場」については練功を通していくらかでも自分の感覚として捉えてい...マスノマサヒロ日々のカケラ
佐伯さんが書いていた「場」の話を読んで、これまでもやもやとたれ込めていた心の中の有毒ガスのようなものがついに晴れて行くのかも知れないと感じている。気功に親しんでちょうど二十年、「場」については練功を通していくらかでも自分の感覚として捉えているつもりだったが、こうして理論として、さらには理念にまで発展することができることに、静かに深い感動を覚える。
福島の子どもたちを応援するキャンプは、唐突に思い立って始めた。すっかりご無沙汰していた知人に声を掛け、あっという間に当時の仲間が集まり任意団体として組織化、一年も経たないうちに市民ばかりか遠方からもスタッフとして有志が駆けつけるひとつの「場」に育っている。
日本の緊急事態だからその気持ちのある人が集まり場を創るのは当然の流れだろうと、取り立てて不思議とは思わないけれど、育つ力はその「場」にこそあることを痛感している。誰かひとりの存在が際立つこともなく、かと言って誰ひとり力なくその場に佇んでいるわけでもない。強制されることも教え込まれることもないのに、個が自ずと動いて場を創り、その場がさらに場を生み続けている。まさに有志の有機的な連携プレーだろうか。
同じ福島を応援する動きにも様々な形態がある。たとえば脱原発なりのデモ、国などに要望を提出することなどもそのひとつで、その必要性は十分に感じているつもりなのに、自分のこととして参加する気持ちにはなぜかいつもなれなかったし、たぶんこれからもならないだろう。凝り固まったベクトルを感じる場や、個が埋没して息が詰まるような場には体が拒否反応を起こしてしまう。息が詰まれば大声を上げて発散する必要がある。それはそれで体験してみたい気もするが、生き物としての人間が個を大切にするとしたら、同じ方向に向け闇雲に直線的な反発の規模を拡大して行く場より、様々な個が活かされ四方八方に波紋のように広がる場こそ必要なのではないだろうか。生きることは闘いではなく創造だと、こればかりは思い込んでいたい。
これまで個人的な好みでしかないだろうと思っていたこの思いは、「場」を感じる固有の野生または本能が成すものではなかったのか。そう思えるなら、感じた「場」でこそ己を活かすことができるだろう。活かすために個に執着するのではない。活かさなければ個の存在価値を全うしているとは言えないからだ。
そして思う。夫婦などの関係も、場として捉える方が非常にわかりやすい。出会った頃は愛だと思っている熱い思いに酔いしれて、これが結ばれていることだと思い込み、年月と共にそれらのすべてが色あせて行く。お前が愛してくれるなら俺も愛する、みたいなタイプのこの夫は、三十五年にもなる結婚生活にこの頃あまり気が向かないで戸惑っている。この関係を維持するだけなら、とてもじゃないが魅力を感じない。だが、これは妻と夫が老いながらも創り続けることができる「場」として、当初から変わらずにあるものだった。
条件付きの愛でなく無条件の愛こそ愛なのだ、というような生を感じない言葉で心を整理整頓したところで、生きている実感が伴わなければ決して長続きはしない。心を無理矢理一定方向に差し向けることなど、人には至難の技だ。縮んだり広がったりする心を持った人間は、愛などという曖昧なものではなく、かかわる「場」こそ意識すべきかもしれない。関係を維持する努力ではなく、「場」が創る関係を味わう程度が心地よいのかも知れない。
どの「場」にかかわり、その「場」にどうかかわるのかという選択が、いつも個に任されている。これは考えて選ぶというより、感じる野生の力を必要としている。生き物として鈍化してしまった感覚を取り戻さないかぎり、個としての己を活かすことなど到底叶わないだろう。むしろ「場」を選ぶより、呼んでいる「場」を認める。場もまた常に変容し続けている。動かなければ個としての己など埋もれて行くばかりだ。埋もれることもまた、この個の好みではあるけれど。
生命学ではなく、生命関係学
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