kazesan3風の吹くままカメラマンの心の旅日記

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石川県中央公園にて
 




 金沢市内の中心部にあって憩いの場になっていた中央公園の改修工事をめぐり、庶民と県の間で押し問答が繰り返されている。園内の45本の木々が切り倒され、都会でよく見かけるようなイベント仕様の広場に様変わりしてしまう。たかが木だろうか、否、保守的でおとなしい石川の庶民がめずらしく立ち上がっている。二年前のあの三月以来、おそらく日本の多くの庶民が目覚めたのだ。絆だ復興だと声高に叫ぶばかりで相変わらず前例に囚われる政治や行政のお粗末な有り様を、庶民は痛いほどに知ってしまった。

 工事二日目の公園に出かけた。この手の現場は好みじゃない(好む人など滅多にいないだろうが)。有志で作る守る会の代表らと県の担当者が立入りを拒むフェンスの傍らで話し合っていた。表向き紳士的なやりとりだったが、こういう場合の話はいつも平行線をたどるばかりだ。計画を変えることなどあり得ない立場と、それを薄々感じながらも撤回を望む立場と。どれほど向き合っていたものか、解散した直後に工事は再開され、一時間あまりの間に数本が伐採された。

 現場にいて撮りながらただ様子を見守ることしかできなかった。チェンソーのうなり声が聞こえると、女が泣き叫び、数人から罵声が飛んだ。子どもを抱いたおかあさんが木への手紙だと言って担当官に手渡した。上の子が書いたものだそうだ。それぞれが思いの丈をぶつけている。無表情に立ち尽くしている県の職員は家に帰ればよき父親でもあるだろう。人間とは実に奇妙な生き物だ。組織に属している者は、個の意思を曲げてでも組織の論理でしか動けない。その暗黙のルールから外れることは自らの生活基盤を失うことでもある。

 知事をはじめ石川県は、この事態をどう見ているだろう。このまま押し切って済ませるに違いないが、将来に残る禍根は大きいかも知れない。一連の動きを地元の一紙だけが取り上げていない。庶民の知らない所にいったいどんな動きがあるのか、訝しむ声が上がっても仕方のないことだろう。北陸中日新聞の報道で明るみになって以来、知事の発言は一切ない。まるで城の中の殿様然としている。放射能汚染に苛まれる福島然り、沖縄の基地問題然り、行政は庶民とかけ離れたままだ。これが公園などでなく、たとえば戦争にまつわることだとしても、このままではお上からの一方的な押しつけがまたまかり通ってしまう。

 木にも目があるなら、見下ろす人の存在などどんなに小さなものだろう。人は触れるほどに向き合いながら、互いの声の中身は届かない。せめて木のように風をはらんで遠くの未来を見やる目を、戸惑っても迷っても、忘れない生き方が必要になる。 



 石川県中央公園にて






























| 13:11 | 日々のカケラ | comments(0) | trackbacks(0) | posted by マスノマサヒロ |
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