kazesan3風の吹くままカメラマンの心の旅日記

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いのちの ささやかな ふれあい





保養プログラムと呼ばれる福島の子どもたちと過ごすキャンプを実際に開いてみて感じるのは、保養という冠などすぐに外していることです。大した言葉を交わすでもなく体をぶつけ合って戯れていると、どんなに生意気なやつでも孫ほどの世代になる子らが愛おしくてしようがなくなるのです。そろそろ還暦を迎えようかというジジイの中に散乱している子どもの頃のカケラが目を覚ますんでしょうか。保養なのだとしたら、半分はかかわるおとなのためのものだったりするのかもしれません。

このコラムの最後で鷲田清一さんは「東日本の大津波と原発事故からもうすぐ二年。震災後しばらくは、多くの人たちが被災地の人たちを思いを、その体感ごと必死で想像しようとした。ありふれた当たり前の日常を、ひとつの僥倖として受けとめなおした。幼いいのちの未来をつよく感じた」と書きながら、今はどうかと暗に問いかけています。でもこの一文を読んだからといって、それではまた思い出しましょうとは行かないでしょう。どんなに大きな出来事があったとしても、思うだけでは決して続かないのです。それが人間なのではと思います。忘れるからまた生きて行けもします。

でもここに登場する言葉少ない女子高生と幼子の体ごとのふれあいを読みながら、もうこれで彼女は決して忘れないだろうと思いました。体で感じたものは、その感触ぬくもり、寝息や吐息まで、なんとなれば意識的に蘇らせることもできます。

やっぱりこれは保養プログラムではないのです。福島の子どもたちの笑顔と元気を応援しよう、などと声を掛けてみたところで思ったほどに広がらなかったわけです。スタッフとして集まった仲間たちはおおむね自然や子どもが大好きで、それに福島や東北の応援がしたかったという思いが重なったようです。そして実際に出会ってしまったのです。出会うと、忘れることができなくなりました。

出会い、感じるという経験を現代人はいったいどれほど自分のものとしているでしょうか。毎日のように人は出会いながら、出会った人になにを感じているでしょうか。感じたものをその後も忘れずにいるでしょうか。それはいつまでも大事に心に留めておきたくなるものでしょうか。

ここまでの人生を振り返ると、本当に出会ったと思える人の数など片手ほどしかありません。それが多いのか少ないのかわかりませんが、もしかすると人間は、出会いという関係でより人間らしく生きて行ける生き物なんだろうと、福島や地元石川の子らと過ごすキャンプを経験しながら感じています。

応援してくださいとの願いは今も変わりません。そしてそれ以上に願うのは、みなさんにも出会って欲しいということです。出会いは何も人間同士とは限りませんが、そんな出会いも、自分ではない人に出会い伝えることでより豊かに互いを深めるでしょうから。


北陸中日新聞夕刊より


































| 07:54 | 日々のカケラ | comments(0) | trackbacks(0) | posted by マスノマサヒロ |
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