kazesan3風の吹くままカメラマンの心の旅日記

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福島の子どもたち


     ユースケ
 

 福島の子どもたち。そんな括りで考えなければならない事態になった今、個人的なつながりを持ってしまったほんの一握りの彼らのことがますます忘れられなくなっている。少しずつ家族の関係に近づいている、と言ったら大袈裟だろうか。孫の世代の子どもたちと共に、未来へと歩き出した実感がある。

 まさかこんなふうに福島の子どもたちとふれあうことになろうとは夢ならまだしも、現実になるとは思っていなかった。まだ夏と冬のたかだか二回の保養プログラムを開いたに過ぎないけれど、大勢の心ある仲間が寄り添い一緒に生活するキャンプは、本当にそうする心がなければ決して実現しないものだった。被ばくを逃れて一時的な保養に出る事にどれほどの効果があるのか、本当には誰もわかってはいないだろう。しかも将来に何事もないことが効果だとしたら、それは決して見える形では表れないのだ。その場に集う仲間たちは、効果というより、共に生きることを望んでいるのだ、きっと。

 福島の子どもたちの瞳に見つめられると、おかしな話だがこのジジイの胸はキュンとなる。初対面だと恥ずかしくて声を掛けるのにもいくらか勇気がいるほどだ。出会うはずのなかった彼らとの出会いに、不思議な縁を感じている。その縁は、仲間と立ち上げた「ふくしま・かなざわキッズ交流実行委員会」の代表としてのものであり、あともうひとつ、一写真家として見つめる機会にも育っている。

 婿が逝ってしまったあのときの、遺された娘と孫娘を撮った半年あまりの経験が、写真家としてのまなざしを持っていることに気づかせてくれた。撮らねばならない、撮ること以外に自分に出来ることはないのだと、あの日々の片時も忘れることはなかった。マスノマサヒロ以外では撮れない場があることを知った。撮るということは、個人的な表現に向けての衝動などでは決してなかった。大いなる刺激を受けた『風の旅人』編集長の佐伯剛さんが言われる“ならではの関係”が生まれそれを感じたときに、はじめて撮るという意思が生まれる。もはやそれは必然としか言いようがない。その必然を経験してみると、もう二度と、同じような場でこのまなざしを活かす機会は訪れないかも知れない、と感じていた。

 なのに、出会ってしまった福島の子どもたちの未来の声が聞こえる。彼らの未来の姿が浮かんでくる。それは具体的なものではないけれど、感じられる。この先何度出会う機会が訪れるだろう。その度ごとに近寄り寄り添い見つめたい、未来を。撮り残そう、未来へ。



































| 09:11 | 写真 | comments(0) | trackbacks(0) | posted by マスノマサヒロ |
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