kazesan3風の吹くままカメラマンの心の旅日記

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秋風
 




 この秋をなんでこんなにまで寂しく感じるのか。年のせいか、などと積極的に老け込んで行くつもりもないのに、つい言葉にしてしまう。婿殿が逝ってしまった二年前の夏、この義父の内側で大きく変わってしまったものがある。否、変わらざるを得なかった。哀しみに暮れる娘と、天国のパパと無邪気に遊ぶ孫娘のそばで撮り続けた写真が、今にして思えば大転換のはじまりだった。もはや自らの写真を趣味などとは思っていない。かと言って、稼ぐ仕事なんだろうか。それも明らかに違うことに気づいている。マスノマサヒロにとっての写真は、いったいどんな言葉に置き換えることができるだろう。最後には、せめてそれに気づいて終わりたい。

 この秋、爽やかな一日に、こうちゃんも逝ってしまった。今さらめそめそと泣ける年でもないせいか、心の中にも秋風が吹くことを痛いほどに感じる。死んだ人ともう二度とこの世で会えないことが、ただただ寂しい。時に顔を出す夜空の月を仰ぐたび、天上の友らの名前を呼んでなぐさめている。

 先日、大阪府立大学名誉教授山田邦男さんの「生きる意味と幸せ」という話を聴いた。ヴィクトール・E ・フランクルをもう40年に渡って読み解いているそうで、この頃ようやくわかってきましたと添えながら、幸せとは何かと提示してくださった。その中でとても共感したことがひとつある。

 「人生それ自身が人間に問いを立てているのである。人間が問うのではなく、むしろ人間は人生から問われているものであり、人生に答えねばならず、人生に責任を持たねばならないものなのである」(『人間とは何か』より)というのだ。

 人生からの問いに答えて行く過程にこそ幸せがある、などとひと言で片付けしてしまえるほど単純な話でもなかったが、聴きながら痛烈にそう感じた。人生とは、生きる意味とは、自分とはと、答えの出そうにない問いかけをここまでひたすら続けてきた日々の記憶が簡単に消え失せてしまったかのように、どこか懐かしい思いに包まれ、安らいだ。

 人生に問われそれに答えて行くのが人生そのものだとしたら、何をか悩もう。その問いはいつも、明らかな答えを伴ってはいないか。答えには、理由も意味も不要だ。それは価値をこそ求めている。この人生に生きる価値はあったかと、最後にまた問われるのかも知れない。

 そんな思いが手伝ってか、今ではこれ無くしてはやって行けないというまでになった仕事に対して、撮影料の大幅な増額を願い出た。お願いという形を取りながら、宣言したつもりでいる。叶わなければ、もう続けなくていいのだと覚悟もした。もう少し謙虚に少しでも長くとなぜ考えられないのか、妻はいぶかしがるけれど、そこにもう価値を見出すことができそうにない。そろそろ田舎の商業カメラマンとしての人生が終盤を迎えている。収入が途絶えれば生活はできない。けれども、一本しかない朽ちはじめた大黒柱は自らで取り壊してしまう必要がある。小さくても幾多の新しい柱を立てるスペースを取らねばならない。老いながら百の仕事を持つという百姓を真似てみるのだ。

 フランクルを通した興味深い話がもうひとつあった。「仕事とは、事に仕えること。金や出世や名声に仕えるのではない」。今この言葉がとてつもなく大きなものとなって、心に響いてくる。ここまで問い続けて来た“人生の意味”などは無限に多様でこれと言って確かなものもない。だが価値なら、事に仕えて見出せる。

 心に凍みる秋風は、嫌いではない。残された限りある人生の秋から冬へと、この季節だからこそ静かに打ち込んでみたい事がある。いつ途絶えてもかまわない。向き合う価値があればこそ。




































| 18:23 | 日々のカケラ | comments(0) | trackbacks(0) | posted by マスノマサヒロ |
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