kazesan3風の吹くままカメラマンの心の旅日記

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肖像写真
 




 二日間を過ごした滋賀への小さな旅を簡単なひと言で表すことができないのは、若者たちが新居とする柏原宿の自宅でのひとときがあったからだろう。二人は夫の両親を見守りながら住んでいた。親を見守るなどと、人生の大先輩に対して使うにはいくらか躊躇するが、老いて行くばかりの姿は本当にそっと見守っているしか手がないだろう。

 その方の目に圧倒された。優しい、しかも深い、それでいて子どものように透明感がある。やんわりと知らないうちに突き指してくるような不思議なまなざしだ。半身不随でベッドから起き上がるか横になるだけでも大儀そうだが、前日のご子息らの結婚式では、支えられよぼよぼと移動する姿がまるでこの場の主役のような存在感を放っていた。大病を患ってもいるそうだ。淡々と身の周りの一日が過ぎて行くのだろうか。「昨日はお疲れだったでしょう」と問いかけると、「まあ、こんな身体じゃ、疲れたのかそうでもないのか、よくわからない」と、寂しげに、否、涼しげにだろうか、答えてくださった。

 何とお呼びしようかと一瞬迷ったが、「おとうさんの写真を撮らせていただけませんか」と尋ねてみた。昨夜若い二人と飲んで話し込んでいるうちに思いついたことだった。この頃、老いて行く人の重ねてきた時間に思いを寄せたくなる。自分もまた老い始めているからだろうか。生きて来た、歴史とも言える日々の味が意識せずとも滲み出している。目がそれを感じさせてくれる。

 不思議なことがあるものだ。レンズを見つめた老人に、内から立ち上がるような力を感じた。目に三代目としての職人の魂が宿っている、気がした。恐いくらいだ。一瞬たじろいだ。ファインダーから離れ、この目で向き合った。なぜだろう、力を感じない。レンズを通してしか見えないものがあるんだろうか。

 カメラを介して向き合ったのは、ほんの数分のことだった。撮らせて欲しいと申し出ながら、あまりに短い時間に自分で呆れた。けれども、どうしようもなかったのだ。人に向き合う器では、まだまだないのだろう。

 撮影を終えると、昔話を少し聞かせてくださった。船乗りになるために家出をしようとした晩、それを察した母親が玄関先に立ち、拝むように懇願して止めたという。人生最大の岐路だったのだ。おとうさんの目に涙が浮かび、急にまた力ない老人になってしまった。だが積み重ねてきたものは今も崩れずにここにある。人の生涯は、その晩年でこそ味わえるものがあるようだ。そのとき、傍で見守る次代の人へと、見えない宝物を差し出している。

 残された時間の枠を使って、これからは遺影写真を撮ろうと思う。死を背にした生、死と共にある生の、其処にしかない姿を、向き合う人との共同作業で遺してみたい。なるべくなら、生きている実感を互いに手にしながら。


































| 13:37 | 写真 | comments(0) | trackbacks(0) | posted by マスノマサヒロ |
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