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2012.10.08 Monday
ニーチェ、またはコスモスのように
膝や腰が痛み出しすぐに治るだろうと高を括っていたのに、とんでもなかった。あと二年足らずで還暦を迎えることなどほとんど意識していなかったけれど、この体は十分に老い始めている。今朝はそれでも、弱るばかりではあまりに情けないだろうと、久しぶりの散歩に出た。まだ使い慣れない新しいカメラをぶら下げ、立ち止まっては撮りながら。代わり映えのしないこんな暮らしをもう何十年と繰り返している。
墓地へと続く坂の途中の土手一面に、思わず息を呑み込むほど鮮烈にコスモスが咲いていた。花に鮮烈などという形容は似合わないだろうが、そう感じたのは散歩が久しぶりのせいか。花は来る年も来る年も、同じ場所に同じように自生している。それでいて鮮やかさを失うことがない。痛みをこらえて膝を曲げ、一枚二枚と撮った。これも久しぶりだ。写真に打ち込もうと決めて以来、哀れなほどに撮らなくなった。日常には撮るほどの刺激がない。対象と写真家は、ならではの関係にあってこそ、はじめて撮るという行為が生まれる。決めつけることもないが、そう思うと、撮れなくなってしまった。
乱雑な本棚の隅に積まれていた『ツァラトゥストラはこう言った』(岩波文庫/氷上英廣訳)を見つけ、読み始めている。黄ばんだ文庫を手に取りながら、買い求めた随分前のあの日の気持ちが蘇ってきた。(この世に生まれてニーチェも読まずに死にたくはない)。何もニーチェに限ったことでもないか。古典や名作と呼ばれるような書物を恥ずかしながらほとんど何も読んでいない。せめて何か一冊ぐらい、せっかく生まれて来たのに…。大仰な気持ちでなく、その程度のことだった。
「だれでも読めるが、だれにも読めない書物」。上巻の扉に添えられたこの一文にまず出会い、そうか、読んでも理解できない内容なのか、ま、いいさ、読んでおくだけだ、などと言い訳をして、とにかく最後まで読むのだと念じながら、行きつ戻りつしては何度も同じページを繰り返している。本当に繰り返すことしか出来ない男だ。
ニーチェとはいったいどんな人だったんだろうとネット上の関連サイトを当たっているうち、「だれでも読めるが、だれにも読めない書物」という言葉の意味が気になり出した。哲学という学問から、否、世間からニーチェははみ出すしかなく、孤独に生きた人なんだろうか。自分ではない誰かに、または世間に理解されたいと人は願うものなのかも知れないが、哲学を誠実に生きるなら、ニーチェのように破綻してもおかしくはないだろう、などと凡夫は憧ればかりでものを言う。
つい最近までの読書は知識を得ようとしていたのか、いくらかは欲があった。それで何か残ったかと言えば、情けない話、何ひとつ覚えていない。まったく空っぽな人生だ。ところがこのニーチェ、時々染み込んでくるような一節に出会う。「読めない」はずの書物の何やらを感じているふうだ。年を取るのも悪くない。そう、これは確かに年を取ったおかげにちがいない。
同じような日々を繰り返してきただけの人生に、意味を見つけることは難しい。まったく年ばかり喰った。あと十年か二十年、そんなに長くはないかも知れない。これからは得るのではなく染み込んでくるものを味わうべきだろう。もしかすると、そのうち何かひとつぐらい染み出すものがあるかも知れない。静かに、鮮烈に、今朝のコスモスのように染み出すものが。また憧れだけでものを言う。
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