kazesan3風の吹くままカメラマンの心の旅日記

| CALENDAR | RECOMMEND | ENTRY | COMMENT | TRACKBACK | CATEGORY | ARCHIVE | LINK | PROFILE | OTHERS |
スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

| | - | - | - | posted by スポンサードリンク |
負荷


      翠ヶ池 2008



 冬の白山に登るなんてもうこの人生では無理だろうと、決めつけ、あきらめていたけれど、先日不意に、登りたい、と思った。あと三年で迎える還暦の冬を目標にした。老いの入口に立っているのが感じられる。でも、いいじゃないか、いくつになったって。一度きりの人生だ、死ぬまで何度でも挑戦してやる。

 さっそく毎朝の里山歩きに、負荷をかけている。ザックに詰める米や酒の紙パックが増えてきた。急に重く感じて計ってみると、今朝は二十キロを越えていた。山岳ガイドの同世代の友人は四十キロも担ぐというから、まったく信じられない。ここにもプロフェッショナルな境地があることを肌で感じる。せめて三十キロまで。

 負荷をかけると、自ずと一歩ずつに意識が向き出す。いい加減な気持ちで歩くわけには行かない。重心が足裏のどこにあるのか、歩幅は適当か、斜面のどのあたりが滑りそうか、などとバランスを崩さないように常に気にかかる。緩慢になるしかない膝や足首、腰の関節の動きに注目すると、体が全体を使って歩いているのがわかる。骨も肉も絶妙に動いている。そう感じた分だけ、これまでの山歩きのなんと中途半端だったことかとため息が出た。

 写真もおそらく同じなのにちがいない。己に負荷をかけないで、なんのためらいもなく撮れるものなど、いずれ大したものじゃない。そこらへんにごろごろ転がっている。三十年以上も関わりながら、世の中でもてはやされている写真のつまらなさが、ようやくはっきりと見えてきた。

 数年前に言われた、『風の旅人』編集長の佐伯剛さんのひと言を忘れたことがない。綺麗なだけの写真。その意味が、今ならわかる。安らぎとか癒しとか、健やかに穏やかにとか、それが望むべきものだと煽てられた世の中に安穏としていられるうちはいいけれど、いつ何時でも、不意の負荷がかかって崩壊する世の中に立ち向かう力などそこにはあるはずもない。美しいという形容詞を決まり切った定型のものとしてしか感じられないなら、おぞましいまでのぞっとするような美は見えないだろうが、美こそは、動いている、激しく、動かしてもくれる。美しいとは、それだけで決して終わらない負荷を感じる力のことだ。原動力、生命力だと、今ならそう思う。

 たとえ四十キロを背負って歩けたところでこの日常のなにひとつ変わらないだろうが、感じはじめたこの一歩ずつの重みを重ねた先にまだ見ぬ世界があるだろうか。負荷をかけてこそ見えて来るものがあるにちがいない、きっとどこまで行っても届かない、果てしないのだろうが。




































| 18:24 | 日々のカケラ | comments(0) | trackbacks(0) | posted by マスノマサヒロ |
スポンサーサイト
| 18:24 | - | - | - | posted by スポンサードリンク |
Comment








Trackback
この記事のトラックバックURL: http://kazesan3.jugem.jp/trackback/932
<< NEW | TOP | OLD>>