kazesan3風の吹くままカメラマンの心の旅日記

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木のように
 





 気になる木を見かけると、ついつい撮って、気がつけば木ばかり撮っている。山でも町でも、巨木でもそこら辺りの植木でも、なんでこんなに木が気になるんだろう、などと木のように立ちながら考えた。

 站とう功は、樹林気功で立つといっそう気持ちがいい。その場でただただ立ち続ける。胸の前で気の玉を抱くように両腕を掲げていると肩へとかかる重みに耐えられなくなり、ついもうやめようかと思うものだが、実はその先にこそ站とう功の深い味わいが待っている。十年以上も前の練功にはまっていたころ、そのあまりの気持ちよさに酔いしれたものだ。復活したばかりの今はまだその辺りまで辿り着けないけれど、今また木のように立ってみて、その気持ちがいくらかわかる気がしてきた。木にも気持ちなどあるとして。

 何百何千年とじっと動かないでその場に立ち続ける木。身も心も動き回る人間に木の気持ちがわかるはずもないだろうが、しばらくでも立ち続けると、しばしばずっとそのままでもいいような気になる。小鳥のさえずり、雪が融けて落ちる音、肌を刺す冷気、そよぐ風など、里山の静寂に包まれて感じているわずかばかりの刺激があれば、立っていることの味わいに十分な魅力が生まれる。足下の地中へと根を広げているのかと、錯覚すら覚える。木は、立ち続けることで、そうでしか感じることのできない世界を、きっと味わっているのだ。木のように立つことを覚えると、だから木の何かがいつも気になるのかも知れない。

 樹林気功には木と気を交換する楽しみもある。見えない気だからイメージでその気になっているに過ぎないとも言えそうだが、その気になる、その気こそ気功が扱うものだ。細やかに脈々と流れる気をやりとりする時、人に木の気持ちが伝わるのか、だから共に立ち続けたい気持ちになるのか。もの言わぬ木が、とても気になる。

 木が存在し、空気の要素を交換しなければ、動く物たちの影も形もないのだろう。世界の営みとは、まったく畏れ多くて、気になるばかりだ。

































| 14:21 | 日々のカケラ | comments(0) | trackbacks(0) | posted by マスノマサヒロ |
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