kazesan3風の吹くままカメラマンの心の旅日記

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母べえ
 「母べえ」を観た。

 映画は、治安維持法違反という嫌疑で逮捕投獄された男の家族の嘆きを細やかに綴っていた。ぼくが知らないだけで、こんな話がいくつもの家族の身の上にあったんだろうか。個人の意志など虫けらのように踏みつぶされて、戦争へまっしぐらな時代があった。ひとりひとりに、戦争がのしかかった。

 戦争、というものを、ぼくは知らない。悲惨な映像や話を見聞きしても、いつもどこか他人事のようなところが残ってしまう。どうしてあんな馬鹿げたことができるんだろうと。けれどもこの国は何度か戦争をした。今も、もしかすると、戦争に向っている。戦争にはもちろん反対するけれど、ほんとうには知らないことが、なんだかいつも心許ない。


 同じような状況に置かれたらと、いつも考えてしまう。ぼくならどうするのだ。「いやなご時世だねぇ」と言いながら、適当に自分をごまかすのか。体制に組する大衆になるのか。それとも、はっきりと意志を表して厳として生きるのか。

 昨日の日記に、「あと何10年生きようが、ここまでで、十分に生きた気がする」などと書いたことが、とても恥ずかしくなる。世の中も、人生も、なにもわかっていないぼくなのに、どうしてそんな馬鹿げたことが言えたんだろう。

 ぼくはサユリストではないけれど、もう10年以上も前に吉永小百合さんを取材する機会が何度かあり、その存在感に圧倒された。スクリーンに映る姿からも、同じものを感じてしまった。まるで、今もここに演じた主人公がいるような気さえする。

 ラストは年老いた母べえが死んでゆく場面だった。先立った人とあの世で再会できるのだと、人はよく言うけれど、母べえは観客には聞こえない必死の声で最後のひと言を遺した。「死んだあとでなんて、逢いたくない。生きて、逢いたかった」。

 ひとりの人生には、だれにも重たい歴史がある。悲しみの涙であふれてもいる。十分に生きた、などと、だれもそんなことを言うはずがない。十分に生きられない時代があったし、今ももしかすると、そうなのかもしれない。

         「母べえ」公式HPより





| 19:23 | 日々のカケラ | comments(2) | trackbacks(0) | posted by マスノマサヒロ |
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Comment








 わぁっ、れもんさん。お元気でしたか? そろそろお便りでもしうようかなと思っていました。いただいたイラストの葉書を見ながら、いつもニッコリしているkazesanなんですよ。

 人が生きる、ということに、決まりなんかないですよね。法律や道徳やルールはいろいろあったとしても、根っこはそんなところにはけしてない。愛する人、となりにいる人、信頼する人との関係の中で、自分を創って行くしかないなと、「母べえ」を観て思いました。父べいからの最後の手紙がラストシーンで朗読されていましたが、その中の、「人間であるとはどういうことなのか」という言葉が強烈に心に残りました。ぼくも時々でいいから、少しでも広い視野に立って、ぼくという人間を忘れないで見つめて行きたいと思います。
posted by kazesan | 2008/02/07 12:41 PM |
kazesan、ご無沙汰しています。
・・・とはいえ、こころはkazesanにおしゃべりしてるんですけど。

私も週末に母を誘って見に行きました。
戦争を知らないわたしと、戦争を体験した母。場面場面で流す涙に、その深さは違うのだろうと感じながら。
同じような状況に置かれたらと、私も考えます。適当に自分をごまかすのか。それとも、はっきりと意志を表して厳として生きるのか。。。たぶん私は流されてしまうだろう、と自分の弱さをおもいました。
父べえの意志に添う、母べえの強さと深い愛が、ただただ胸を突きました。

posted by れもん | 2008/02/07 12:26 PM |
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