kazesan3風の吹くままカメラマンの心の旅日記

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雨の森





 雨の森の虜になった、というほどのものはまだ感じてはいないけれど、どうやら森は雨がいい。登り始めたころ、快晴の青空の下で気持ちも晴れやかに峰を歩くのが山の良さだと思っていた。いくらか慣れてくると悪天候の時でしか出会えないものに気づけるようになった。靄に包まれて身も心も真っ白になるようなひととき、冷たい雨は実はとってもあったかいし、どんよりとした灰色の雲を割いて差す輝く陽光に震えることもある。

 荒れた日の山の何がいいかというと、まずほとんどひとりぼっちでいられることだろうか。大きな山に抱かれているから、孤独を楽しむというのではもちろんない。普段は会えない親しい人に会いに行くという感覚に近いかもしれない。だから雨の森には求めて行く。会いたくなるのだから。

 十一月ともなると、雨が途中から雪に変わった。雰囲気のいいブナ林の辺りだった。夏には何人かが座ってにぎり飯を頬ばる場所でもある。今はだれひとりいない。森の木々は葉を落とし、幹の無骨にくねる姿ばかりがうっすらと白い中から飛び込んできた。静かな山が騒がしいほどに踊っていた。すると、それを見ている者の心はいっそう静まるのだった。黙って座り込む。身体は冷えているのに、晴れた日では感じられなかった微かな温もりが内で目覚めた。生み出したものでなく、与えられたものだと信じられた。

 自然界には人の知らない様々な営みがあるだろう。そのほんのひとつでも深く感じられた人は、おそらく自然の一部になってしまうのだろう。たとえば田畑を耕す、海に船を出す、牛を飼う。どこにでもありそうな一次産業に従事する人たちの深い日常を、街だけに住むいったいどれほどの人が理解できるだろうか。雨の森を歩きながら、原発や津波の被害で自然界から切り離されてしまった人たちのことが、急に浮かんできた。あの方々は単なる職を失ったという程度では済まされなかった。命を捥ぎ取られてしまったも同然だったのだ。それがわかるような気がした。そしてぼくは雨の森のこの温もりを信じることができる。































| 16:47 | 白山 | comments(0) | trackbacks(0) | posted by マスノマサヒロ |
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