kazesan3風の吹くままカメラマンの心の旅日記

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地球交響曲第七番を観て


地球交響曲第七番 予告





 二十年以上もかけて作られてきたガイアシンフォニーの七つの作品を、この何日かで一気に観てきた。チャリティ上映会を開こうなどと思わなければ、こんなふうに全編を見渡すことなど決してなかった。映画鑑賞なら誰もが何度もあるように、ぼくもそこそこには好きで出かけている。それなりに思い出深い映画もあるにはある。でも、ただ、観てきただけだった。そこから何か始まった試しがない。娯楽だから、それでいいのか、たかが映画だもん。

 ときどき『パパラギ』 という絵本の中にある、映画についてのエピソードを思い出す。絵本は、1915年ごろヨーロッパを旅したサモアの酋長ツイアビが見聞したパパラギ(白人)たちの様子を島の仲間に聞かせる物語だった。その中でツイアビは、映画のことを「にせものの暮らし」と表現した。わざわざ真っ暗な部屋に閉じこもり、引き込まれたスクリーン上の世界でヒーローやヒロインの人生を疑似体験する。それで涙し笑い楽しんでいる。まるでつまらない自分の人生をひととき忘れるためでもあるように、というようなものだった。今はどうなのかは知らないが、当時のサモアの人々は、室内でなくフィールドで、いきいきと息づいた人生を繰り広げたんだろう。それが人間というものだった。

 『地球交響曲』の第一作は完成後一年、上映する機会に恵まれずお蔵入りになっていたそうだ。「どこの映画館もこれを映画として認めてくれなかった」と龍村仁監督が述懐している。それが今では、各地の熱いファンたちの手で何度も自主上映されるようになった。少しでも多くの人に観てもらいたいと願いながら。そこにはどんな力がはたらいているんだろう。映画に登場する人たちが言葉こそちがえ口を揃えていう話がある。それは、自分ではない大いなる存在のはたらき。そのはたらきが作用してのことなのかも知れない。

 「ガイアシンフォニー・ウィーク in 金沢」は名前こそ立派だが、友人がDVDを貸してくれたことから始まったぼくの気ままな思いつき。周りの数人が心配して応援してくれるうちに少しずつやる気になってきた。まったく大いなる存在が聞いたら大笑いするにちがいない。

 それなのに、最新作になる『地球交響曲(ガイアシンフォニー)』第七番を観ながら、不思議と静かに納得するものがあった。生まれ落ちて以来、半世紀もかけたひとつの旅をぼくはしてきた。見終わった瞬間、その旅がひと廻りして一段落した気がした。カメラマンになろうと張り切って暮らした東京がどうにも合わなかった。気に入った八重山で暮らし珊瑚の海に魅せられた数年、ふるさとの霊峰白山を歩いて来たこの十年あまり、いつもただ気ままに遊んでばかりだったが、どの時期もそれで良かったのだと思える。今ようやく振り出しに戻ってきた。ただここからは、たとえ同じような道を歩いて行くとしても、歩き方は変えてみたい。七番に登場した高野孝子、グレッグ・レモン、アンドルー・ワイルの三人から、「受け入れる」ということを学んだ。愚か者で、いいじゃないか。静かな自分になって、受け入れる。ガイアを舞台に、新しい旅がはじまる。


ガイアシンフォニー・ウィーク in 金沢


































| 12:54 | 日々のカケラ | comments(0) | trackbacks(0) | posted by マスノマサヒロ |
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