kazesan3風の吹くままカメラマンの心の旅日記

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問いつづける
 




 命とは、何か。家族や友人を喪いながら、年のせいもあるのか、この数年、毎日のように自分自身に投げかける問い。何か手応えを感じる答えに辿りついた試しはなく、いつも、そんなこと誰にもわからないものなのだと、とりあえず横に置いてはまた問いかける。あと数年で還暦とかいうものを迎えるというのに、何もわからないままに生きてきたのかと思うと、情けなくて涙も出ない。出るのはため息ばかりなり、か。毎日息をついて生きているということは、当たり前のようで、またなんとも不可思議なものでもある。静かに息を吸い込み、身体中の何もかもを吐き出すように吐き出すと、自分という何らかの存在を感じているような、けれども本当は何も無いのかもしれないような、不思議さが増す。なんで生まれてきたんだろう、老いながらこの先も同じように問いかけ生きて行くんだろうか。気の重い話だが、まんざら悪い気もしない。今はそれしか興味がわかないのだから、仕方ない、この日々。

 読んで見るに値する雑誌はこれしかないと思っている『風の旅人』は、十五号で「人間の命」をテーマにしている。巻頭には同じタイトルの、白川静さんの自筆の一文が掲載されている。

 命は「いのち」とよみ、「生(い)の霊(ち)」の意であろうとされている。「い」には「生き、息吹き」の意があって、絶えず燃焼して自らを充足し、発展し、変化し、創造する働きのあるものをいう。漢字では、命ははじめ天の命ずるところを意味した。天の命ずるところは、人にとっては全く所与的なものであり、絶対的なものであった。人の生命も、もとより天命による。

 天の命ずるところ、という天は、人にはどうしようもなく届かないところのものだが、気がついたら生まれて生きていたのだから、なにものかに命じられていても不思議ではない。『風の旅人』のそのテーマは、「人間の命、死を超える生」とある。生と死はどちらも人間が編み出した言葉に過ぎないけれど、言葉として認識される以前から、決して目覚めることのない眠りについた家族や隣人を見送る度、その死体を前に、畏れ、祈りというものが見えない世界へと捧げられたのだろうか。その畏るべき対象を言葉にしてしまったために、生と死という現象を離れた、思考するという“行為”が始まったのだろうか。そうだ、人もまた自然界の現象として生きている、あるいは日々死んでゆく、現象そのものだ。「死を超える生」とは、死と共にある生をどう生きるのかと問うことでもあるだろうが、答えは決して簡単ではない。その生とは何か、ということじたいがわからないのだから。だから、天与、なのか。

 命が天与の「生の霊」であるなら、その「生の霊」ならすべてのことを知っているのかもしれない、と想像したくなる。日々生きているだけの愚かな自分の意識では届かない領域が、自分の奥深くにか秘められていて、その領域のことを「生の霊」と呼びたくなる。つまり、本当は知っているのだ、と思いたくなる。

 本当はすべてを知っている、ただ生きている間は思い出せない、というような生と死なら、いくらか、否、かなり愉快だ。今は思い出せないとしても、わかっていることがひとつだけだが、ある。それは、生が死を超えるためには、生が死そのものに近づかなければならない、ということ。死は積極的に近づくべきものであり、忌み嫌うものではないのだろう。日々死んでいることを思わないで、生を思えるはずがない。少しずつ肉の身体は衰えていくけれど、その中で、少しずつでも熟していく精神の持ち主でありたい。命とは何か、と問いつづけることを通して。

 生涯を、命とは何か、と問いつづけた人に、池田晶子さんがいる。この方のひと言にも立ち止まることが多い。「死のない生を、生とは言わない」。平易な言葉でさらりと言ってのけるひと言に、なんとも凄まじいまでの迫力を感じる。「死を超える生」というときの生は、死を超えて、死の果てにあるとも言えるのかもしれない。となると、もはや、生も死も、死も生もないではないか。

 よって、ここに、さらに悩ましい問いの地平が開けることになる。生でも死でもないこの存在、すなわち、「存在とは何か」。(池田晶子)

 ああ、感動にも似たため息が出る。この生きている存在とは何か。この死んでいく存在とは、何か。そんなふうに問うことができることじたい、どうにもこうにも、ここに生きて在ることの奇蹟だと思える。存在とは何か、と問いながら、いつまでも答えの出ないこの未知への畏怖を失わないでいられることを、幸せという。































| 22:47 | 日々のカケラ | comments(0) | trackbacks(0) | posted by マスノマサヒロ |
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