kazesan3風の吹くままカメラマンの心の旅日記

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memo 全体像



全的かぁ、、、 RT @krishnamurtibot 我々自身が分裂し断片化すれば、我々と世界との関係もまた分裂するのである。だが、我々が行動する時に全的に行動するならば、我々と世界との関係は大きな革命をとげることになろう

全的。全的な行動かぁ。わかるようで、きっとよくわかっていない。自分の言葉に置き換えることもできないんだから。ちょうど『風の旅人』最新号が「生命の全体像」をテーマにしている。まずはゆっくりと向き合ってみる。

全的、全体像と大いに関連している。大きなヒントになりそうだ。 RT @hideomiso 食にかける時間が少ないと、比例して生業全てが雑になる感じ。育てられないなら、自炊できないなら、せめて食べる時だけでも味わおうと思う日々。味わうのは味だけではないよ

お昼は車で弁当。狭い空間での孤独な食事でも、蓮根一切れにまつわる数々の物語を想うだけで、スケールの大きなひとときになった。育った畑、農家の友人、調理したお袋、などなど。蓮根という野菜の生い立ちまで知りたくなる。小さな個々から全体へと広げる道が何本も絡まり伸びている。

いい年してまだ中高生の気分で勉強中。せめて英語でもとNHKを利用している。中でも「チャロ2」が面白い。年度末が近づくにつれストーリーが急転直下、登場する動物たちのそれぞれの世界を同時に描き出していて目が、いや耳が離せない。物語って、きっとこんなふうに、個々の集まりなんだろう。

この暮らしを細々と営みながらそれだけでも物語を感じるけれど、同じように誰もがそれぞれの物語を人は紡いでいる。それらが必要に応じてあちこちで絡み合っている。個を見つめながら、絡み合う全体像を感じていたい。むしろ全体像を想像しながら、個を感じていたい。

人類だ世界だと掲げてしまうとどうにも太刀打ちできない壁がある。ちっぽけな個とのスケールの差はいかんともし難い。それでも全体があっての個であることに間違いはなさそうだ。とりあえずきょうからは、奥まった目を力のかぎり見開いて、まなざしを意識するのだ。今お前はなにを見ているのかと。

森で銃を持った人は獲物しか見ていない。きっとなんでも獲物に見えてしまうんだろう。照準を定めた偏狭な目。 QT @todoguma ただでさえ、労災罹災率がずば抜けて高い林業従事者。ハンターに撃ち殺されては、たまったもんじゃない!もっともっと、社会問題化させなきゃダメだ!

大相撲の八百長を断じる立場になると、おそらくその一点しか見えてこないんだろう。大相撲という全体像を見ていない、大相撲が置かれているさらに広い全体像を想像できないんだろう。でもそれって、案外だれにもあることでは。自分の目に見える範囲の中でしか、考え行動することができないなら。

RT @kenichiromogi 人間は社会的な動物だと言うが、本当に真摯に話し合い、心が通じる瞬間というのはなかなか来ないものである。お互いに遠くから「言葉」を「砲撃」し、社会的な儀礼や配慮が交換される。その結果、「生」の精髄からどんどん離れ、漂流していく。

全体像を想像するとは、人間社会の仕組みを一段高い所から見つめることじゃない。繋がり? 茂木さんの言われる「心が通じ合う」こと? でも茂木さんはそれが叶わないのが人間社会だという。だとしたら、全体像を感じるってどうすることなんだろうか。『風の旅人』を開いて、それで済ませては行けない

見えないなにかで、きっとこの世界はすべてのことがつながっている。じゃなかったら、全体像なんて、考える必要がない。機能的な話じゃない。それぞれが機能するための力となるような、個や現象を結びつける存在があるにちがいない。そうか、それがエネルギーと言われるものなんだろうか。






























| 09:24 | 日々のカケラ | comments(0) | trackbacks(0) | posted by マスノマサヒロ |
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