kazesan3風の吹くままカメラマンの心の旅日記

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memo 共同作業



今大黒柱を喪った娘と孫娘を撮り続けながら感じていることは、まさに生きている彼らの生々しい姿を記録しておきたいということに尽きる。けれどこの頃、それだけではなにか大切なものが抜け落ちているような気がしている。本物の写真家にはかなうはずもないけれど、本気で写真に取り組もうと決めたから

撮ることは、個人的には決して目的ではないし、もちろん表現の手段などと簡単に片付けてしまうつもりもない。なぜ撮るのかと突き詰めたことが何度もあるけれど、これだという答えが出た試しがない。それでもなぜ?と問い続けなければ、もはや撮る原動力がなくなってしまう。

家族を撮ると決めると、家族の中にこれまでなかったような新鮮なつながり、と言うか、新しい雰囲気が生まれ出た。撮る者と撮られる者がお互いにその関係を了解すると、なにかを共に作っているという気持ちが芽生えているのかもしれない。大切な家族を喪うという哀しみは深く重いけれど、、、

哀しみこそが、家族の絆を強めた。それがそのまま写真になっていく。ただそれだけのことなんだろうが、それだけのことを三十年あまりも撮り続けながら、いま初めて経験している。写真はシャッターを押せば写ってしまうけれど、カメラを挟んで互いに認め合う関係がなければ写真にはならないだろう。

写真は本当に撮るものか。今はすこし違うものを感じる。撮る撮られるという間(あはい)から生れ出るものなんじゃないだろうか。被写体が人でない場合でも、無機質な物体であったとしても、自然の造形、風景、生物だとしても、まずは関係を築くことが大事なのだ。出会い頭の決定的瞬間など、ウソクサイ

なぜ写真を撮るのかはきっとずっとわからないだろう。でもそんな写真が今を生きる力になっている。撮る者も撮られる者も、家族の今を支えるひとつの力になっている。共同作業なんだ、これは。写真を撮っていると、対象ばかりでなく撮る自分も生きてるんだな、と思うことがある。生もまた共同作業なんだ





























| 09:27 | 写真 | comments(0) | trackbacks(0) | posted by マスノマサヒロ |
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