kazesan3風の吹くままカメラマンの心の旅日記

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本気

 

 京都でのひとときに合わせ、佐伯剛さんがマスノマサヒロという写真家を『風の旅人』に取り上げてくださった。素直にうれしく、こんなときよく聞くような、襟を正すという気持ちにもなり、そしてなにより正直に言うと、まだまだ紹介していただくほどの存在ではないだろう、ということに気づかされる。またそして、佐伯さんの励ましほど支えになるものはない。

 『風の旅人』に出会い、出会った写真とはこんなにも深い世界を持っていたのだと、衝撃を受けた。その世界の中に、一歩でも足を踏み込みたくなった。今さら。けれども、本気で。

 本気がいまあるこの気持ちのことなのかほんとうにはわからないけれど、ここまでの日々の何度かにおなじ経験をしている。親のすねと言わず太ももまで齧りながら大学に入り、都会の雑踏にまぎれて感じたのがその最初だった。「このまま卒業し、就職して、それでお前は満足できるのか」。電車の中でまるで死んだように眠りこけしている人々を見ながら、生まれてきたことの意味を考え出した。生まれてはじめて、本気で。

 石垣島に行こうと決めたときもそうだった。東京はでかすぎる、と半分は逃げたかあきらめたか、そして半分は愛想をつかして。もっと自分に最適な環境があるのだと、本気で思ったものだ。

 本気だと、いつもなんらかの、それまであり得なかった行動が伴っている。否、その前に、その行動を産み出すきっかけとなる出会いがある。出会いはでも、本気で悩み出したときにだけ恵まれるものなのかもしれない。気がつけば、変化していく自分がいる。本気と変化はいつもセットになっている。

 変化とは、好ましいものだろうか。一般論で考えても仕方ないだろうが、個人的にはどんどん変わっていきたい。住む町や仕事の環境を変えるという意味でなく、生きている場所はおなじでも、こころばかりは同じ所に立ち続けることができない。体が自ずと大きくなるように、静かに宿る精神のようなものが声なき声をあげ熱く膨らんでいくのだ。体はついに老いへと向き始めている。生き物としての宿命だ。それが変化の最たるものなら、その体を持って生きている以上、変化はとても自然なことだ。できることならまっしぐらに、深みへと変化していきたい。

 佐伯さんの言葉に心が震えるのは、そこに本気の力があるからだと、書きながら思った。言葉のベクトルとは本気度のことだろう。言霊などともいうけれど、その力は本気を伴ってこそ生まれるものだ。本気で放った言葉には放った自分が棲んでいる。力を持った言葉は、単なる表現を越えて、棲んでいるその人自身を変えていくのだ、きっと。本気の言葉を発するとは、だから実は、とても勇気のいることかもしれない。変わらなければ、なんだ口ばかりかと、恥ずかしい思いもするだろう。本気と勇気もいつもセットになって、いくらか重なっている。

 その佐伯さんの「写真を撮る人間に関わってくる視覚情報の大半が、撮影行為を通じて、拾い上げられるのではなく、捨てられている」という言葉が妙に気になり、考えている。シャッターを切る瞬間にもやはり、本気が必要なのではないか。対象に向き合いながら、拾うのではなく、数々の情報を捨て去る者には、本気が、もっと言えば、自分自身をも捨て去る死ぬ気がなければ、ほんとうには撮れないのだ。「陰に隠れたもの」を見る写真家は、おそらくそれほどの覚悟を持っているのだろう。

 『風の旅人』に出会い、風の吹くままだったカメラマンは、いつかそんな写真家になりたいと思いはじめた。本気か、お前。マスノマサヒロという人間の胸に手を当ててみた。






























 
| 07:38 | 写真 | comments(0) | trackbacks(0) | posted by マスノマサヒロ |
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