kazesan3風の吹くままカメラマンの心の旅日記

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京都シネマ・スクリーン・ギャラリー




 写真という表現に出会い、撮ることが好きになり、この三十年ほどごはんを食べるのとおなじ感覚で毎日のように撮ってきた。その長い時代が終わり、いまようやく新しい段階に入ったのだと、自分では思っている。

 写真を撮り、展覧会やネットで公開し、それだけで表現と言えるだろうか、などと今さら考えている。表現にはちがいないだろうが、漫然とそれを繰り返していったいなんの意味があるのかと、どうしても突き当たってしまう。自分にとっての「撮るということ」の意味を知りたいと探りながらこの二三年を過ごした。結論など得られるものではないかもしれない。それでも考えないではいられない、否、考えないならもはや撮る必要はないのだ。だからだろうか、近頃は悲しみの家族ばかりを撮っている。ほかはちっとも撮る気になれない。

 けれども撮らなくなった今こそがとても大事な時期なんだと、なぜか本気で思える。変化のきっかけは『風の旅人』と編集長の佐伯剛さんとの出会いだった。今もその足あとがネット上の「風の旅人」に残っている。

 佐伯さんの言葉は、泣きたいほどに刺激的だった。そしてこの方は言葉どおりに生きていると、編集する雑誌を見て感じた。たとえば「世界の本質に肉薄する」姿勢がこれまでの自分にあっただろうか、と振り返らざるを得なくなった。答えはすぐに出た。肉薄する姿勢どころか、その気持ちの欠片さえ持ったことがなかった。これで迷わないはずがない。否、むしろ迷えてよかった。今もその迷いはつづいているけれど、とにもかくにも歩き出してはいるようだ。

 京都シネマ・スクリーン・ギャラリーに、「家族の時間」で参加することにした。これも、まるで「こっちだよ」と誘われているような出会いだと感じたから。来年1月29日と30日が担当の二日間。エントリーの名前はシンプルにカタカナにした。マ、ス、ノ、マ、サ、ヒ、ロ。漢字の意味より、音の波を大切にしたい。聖書でははじめに言葉があったといい、空海ははじめに音があったと遺しているそうだ。ならばはじまりにいま戻ろう。撮るということが、この世に生きたということになればいい。この世に生きるということは、そこに肉薄するということにちがいない。お仕着せでなく、足掻いて自ら獲得するものがあってこそ、生きた足あとが残り、写真もいくらかは写真に近くなるだろう。

 29日の上映後は、佐伯さんのトークのひとときが開かれる。本質を見極めようとする一流の方々との交流が多く多忙な方が、この凡夫の願いを快く引き受けてくださった。入場されるみなさんにはそれぞれ、マスノが応募した「のと」も掲載されている『風の旅人』40号が進呈される。出会いの輪、などという言葉を使うことにはいつもどこか気恥ずかしさを感じるけれど、振り返れば、たしかに好ましい変化の前には本当の出会いがあった。ひとりにとどまらず、そんな出会いの輪が広がればいい。そういう場に、なればいい。「のと」を撮ることが新しいはじまりだったなら、京都シネマ・スクリーン・ギャラリーのひとときはさらに前に出るたしかな一歩になりそうだ。





























| 11:44 | 写真 | comments(0) | trackbacks(0) | posted by マスノマサヒロ |
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