kazesan3風の吹くままカメラマンの心の旅日記

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喪中はがき



 亡くなった婿の豊は、この義父の撮った写真を気に入ってくれて、娘との結婚前から部屋に飾っていたそうだ。「この写真、喪中はがきに使おうかな」と娘が言って差し出したのは、石垣島で撮った水中の写真だった。毎日眺めていたんだろうか、車に飾ってあったものだった。

 白山に登っては、高山病で途中で下りてきました、などと言う、体格に似合わずひ弱な豊かだったが、海の中にも憧れていたんだろうか。素潜りでほんの数メートル潜るだけで、重力から解き放たれ、体が自由を感じる。魚ではないのだから自由と言ってもかぎりはあるが、おそらく宇宙空間にも負けていない快を感じたものだ。

 天国の婿殿よ、今は自由か。解き放たれているか。

 部屋の片隅の祭壇がこのごろ乱雑になっている。下ろされた遺影の代わりにハネムーンのツーショットが置かれ、遺骨は馬車の置物かごの中。線香や鉦は好みじゃないからと外されている。これで喪に服していると言えるものか、とても自信はないけれど、娘の哀しみを感じながらいると、形などどうでもいいと思える。

 その祭壇に向って手を合わせると、このごろ豊の声かと思うような言葉が浮かんでくる。「おとうさん、あせらないでください。大丈夫ですから」。これと言って返す言葉もないから、そうか、ありがとう、と言っては目を開けると、素っ頓狂な祭壇がふしぎと愛らしく見えてくる。

 家族、という言葉をつぶやいてみる。この世の同じ屋根の下で暮らす者だけが家族なのではなさそうだ。死んで別れた家人が、残された家族の中でますます大きな存在になっていく。今はまだ喪った哀しみばかりに囚われているけれど、そうこうするうちに、いつの間にか近くなっているあの世の人こそがいちばん頼りになるのだろうと、祭壇を見ながら願ってみた。





























| 13:44 | 日々のカケラ | comments(2) | trackbacks(0) | posted by マスノマサヒロ |
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 ずっとそばにいると当たり前になってしまう人と人ですが、先に亡くなっていく大切な人が、その当たり前な関係に一石を投じてくれます。昔ならとっくに寿命を迎えているこの年になってしまうと、限りあるこの世であることがつねに感じられます。そして同時に、いつもかぎりない彼岸のことを想像しています。きよこさんとお父さま、永遠の仲ですね、うらやましいかぎりです。
posted by マサヒロ丸 | 2010/10/22 10:53 PM |
「近くなっているあの世の人こそがいちばん頼りになるのだろう」この言葉が不思議に心に響きました。この世にいる人でも、言葉を交わさなくても意識して、尊敬するその人ならどうするだろうか、と思うことがあるように、この世でない人のことも同じように言葉は交わさなくても、その人ならどうするだろうか、と思う、それが支えになることもあるのでは、と思いました。
うまく表現できていないけれど、私も亡き父のいいところ、ずっこけたところ、いろいろ思いだしながら今も一緒に過ごしていますし、「こんなことがあったけれど父が聞いたら喜ぶだろうな」と今も思うのです。
決して尊敬できるところばかりではなかった父だけれど、でも尊敬できるところもあり、そんな父のことを思うと知らないうちに、道を指し示してくれているようでもあるのです。
残された家族が今も平穏な生活を送らせてもらえているのもやはり父のおかげなのです。そんなことあんなことを思うと
「頼りになる」という一言が「そうだ」と思えてくるのです。
・・・kazesanの一文からついつい長文になりました。お許しください。
posted by きよこ | 2010/10/22 9:18 PM |
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