久しぶりに白山を歩いた。霊山にいるだけでも中味は濃いのに、『風の旅人』編集長の佐伯剛さんをご案内しての三日間は、まさに筆舌に尽くしがたいものになった。目覚めようとしている。自分のことだから、そればかりは確かな感覚として携えているけれど、実際の行動にはまだなにひとつ表れていない。白山と佐伯さんからいただいた種をまずは大事にあっためておこう。ずっと雨模様かと思っていたら、ふたりだけが歩いた北面の空が開け、まぶしいばかりの光が大地に降り注いだ。これがあるから、山はやめられない。生涯が青空ばかりで埋めつくされたなら味気ないというものだろう。雨風に翻弄され、ずぶ濡れにもなり、だからそれが乾いた瞬間のよろこびを知ることもできる。そんなわかり切ったことを、改めて、自分のこととして感じた。雨もいい、晴れもいい、山がいい。いつも流れている、昨日も今日も、そしておそらく明日も。流れの中で出合い拾い上げた原石を、はあはあと息を吹きかけ丁寧に磨き上げてみたい。