kazesan3風の吹くままカメラマンの心の旅日記

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粒子

 今さら改めて言うことでもないけれど、写真は粒子の集まりだった。およそ世の中に存在する物体のすべても粒子で構成されているんだから、特別不思議なことではないだろう。でも、きょう昔の写真をスキャニングしながら、ほんとうにしみじみと、粒状性のある写真はやっぱりちがうなあと何度も思い返した。

 高価なスキャナーは今はとても買えないし、意に反して何度もオークションをのぞいてはようやく中古のフィルムスキャナーを手に入れた。今ではどこのメーカーも生産していなくて、そのせいか結構高い値段で取り引きされている。紙のマウントに包まれたコダクロームをていねいに差し込む。モーターの振動音だろうか、小さなうなり声をあげてスキャンを開始、わずか三十秒ほどでモニターに高解像度の画像が表れた。等倍にして見ると、若干ピントが甘いような気もしたがなんとも味わい深い写真のつぶつぶが見てとれた。粒子こそがなめらかなグラデーションを作り出し像を立体的に見せている。規則正しくピクセルが並んだデジタルを見馴れてしまった目には、平手打ちを食らったように目眩がした。

1990年 宇出津にて


 撮る瞬間に、身体のどこかを走るような電撃的な衝動があるなら、その波動がフィルムの粒子になんらかの働きかけをするのかもしれない。などと、化学的な知識もない者は勝手な想像をふくらませた。取り込んだ写真に写っている人は二十年前の姿のままに定着されていたが、古くはなくて、むしろ生々しく生きているような気がした。面白い、と言うより、愉快だ。粒子が踊りつづけているのだと思った。それを見ている、かって撮った人だけがその分老け込んでしまったが、もはや時間などというとらえどころのないものから離れた、絶対とも言えるような確かな足跡が、それも生きて震えながら、静かな顔をして残っている。

 そんな想像がもしもいくらかでも当たっているなら、デジタルカメラのピクセルの集まりに衝撃波は生きて残っているだろうか、と考えないわけにはいかない。見た目は銀塩写真となにひとつ変わらないだろう。否、本物の写真家なら、感光する仕組みや素材がどんなものであろうとおかまいなしに、凄まじいばかりに作品化してしまうことはいくらのぼくも知っている。問題にするならそんな比較ではなく、撮る者の対象への向き合い方や、思いの比重だろう。ピクセルを蹴散らしてしまうほどの重さがあれば、光の粒子が飛び交うふくよかな像が結ばれるにちがいない。一枚一枚取り込みながら、これからの残された日々をどんなふうに撮るのだろうと、他人事のように想像をめぐらしている。





























| 22:40 | 写真 | comments(0) | trackbacks(0) | posted by マスノマサヒロ |
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