kazesan3風の吹くままカメラマンの心の旅日記

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虫の残り物



 Twitterに自然農に関するアカウントがあって、半農半写真を暮らし始めたこのごろ興味深く読んでいる。たとえば、「@shizen_no: ウンカはヒエのほうを好みます。それに、ウンカだけが異常に増えることは決してない。ここではウンカはお米の害虫ではないんです。栽培のしかたで害虫にしてしまうんですね」を読んで、ウンカの顔さえ見たこともないくせに、仲間の一員にしてやろうという気持ちになる。なにかひとつを邪魔者にしてそれを排除してしまうと、きっとそこにあるにちがいない全体の環というものが崩れてしまうのだろう。持ち出さず、持ち込まずということを自然農は説いている。それを、世界を閉じるという偏狭な意味で捉えるのでなく、小さな完成した世界が構成メンバーとなって、その外にはもう一回り大きな世界がある、という像を描いてみると、まったくこれこそ人間社会の理想像にも思えてくる。

 人という文字を書いて、支え合っている姿だと解釈する人もいるようだが、よく見るとどうもそうでもない。右側の短い一本だけが汗をかいている。長い左の一本は気持ち良さそうに寄りかかっているだけで、けして支え合っている気がしない。けれど、これでバランスは取れているのかもしれない。ひとりひとりに、支える礎があるように。

 たとえば、「卒」という文字は、十人ごとが一隊になり引率される雑兵や小者を表している。小さくまとめて引き締め、さらには締めくくる意となり、「おわり」の意へと派生した、とある(漢字源)。さらに人べんを加えれば「倅」となって、閉じたはずの世界が息子に引き継がれていく。などと漢字遊びをしているだけで、バランスの取れたひとりひとりが少しずつ集まり世界を広げ、受け継がれて行くイメージが広がる。人の中にも自然農の知恵があるのだと、喰われてほとんど茎しか残っていない虫の残り物をつまみながら思ったりする。

 それにしても、穫れたてがこんなに旨いものだとは知らなかった。味がいいというより、まさに実った味だ。半農半ミュージシャンの千晶さんが分けてくれた種が遠いこの地で芽を出した。アッという間に葉っぱになって、この身体の中の力になっていく。大袈裟な話だが、こんなことで世界とつながっている気がする。スーパーで買っているだけではけして味わえない味だもの。





























| 13:00 | 日々のカケラ | comments(0) | trackbacks(0) | posted by マスノマサヒロ |
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