kazesan3風の吹くままカメラマンの心の旅日記

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私はなりゆく
 
 菅啓次郎『本は読めないものだから心配するな』を読みはじめた。

 読書というものをはじめたのは、恥ずかしい話だが、大学に入ってからだった。神田の古本屋を覗いては雰囲気を楽しむだけのまったくバカな学生だったが、そのバカさ加減は今も変わらないけれど、とりあえず年だけ喰ってしまい、喰った分だけ物足りない自分を知っているし、残された人生の持ち時間をフルに使い少しは満ち足りて死んで行きたいと思うようにはなっている。その程度の思いしかない読者にも、この一冊は、大いなる励ましをくれるようだ。

 読みはじめたばかりのページに、こんな一文が引用されていた。

 「私はけっしているのではない、私はなりゆく」(Je ne suis jamais, je deviens)と、二十世紀フランス文学最大の巨人のひとりアンドレ・ジッドはいった。



 そう言えば第二外国語はフランス語だった。などとまるで学んだような気分でいるが、これも恥ずかしい話、フランスのフの字も知らない。ましてやアンドレ・ジッドという巨人さえも知らないで、ああ、これで大学を出た、などと履歴書には書いていた。恥ずかしい。生きて、この駄文をのうのうと書いていることも。

 「私はけっしているのではない、私はなりゆく」。

 だが、この一文にいくらの愚者も救われる。人ははじめから人である必要はない、とでも言われているようだ。私は生まれてから死ぬまでの間、たゆまず変化を繰り返す。行く先はどの程度でもいいのだ。いずれ何度でも生まれ変われば、そこそこのところまでならなりゆくにちがいない。なりゆくものが私であり、人間というものだ、ということにしようではないか。

 写真に出会い、三十年も経った今になって、本当に撮りたいと思い出した。それは自分でも好ましいことだと思ってはいるけれど、それでは本当に撮るとはどういうことだろうか。よくわからない。人間として愚かでも本物でありたいと願うけれど、本物がどんなものか、それもよくわからない。ただわかったことがひとつだけある。世の中で騒がれているものは、どうやらこの人生で求める本物ではなさそうだ、ということだ。騒ぐ世間も含めて。

 なりゆくものは、騒がれることはない。なぜなら、それは騒ぐ世間に作られたものではないからだ。世間とかけはなれ、かけはなれたなりゆくものとぶつかり合い、だからまたなりゆくことができる。なりゆくものは自らの足で立ち、立っているからこそ、成り、行けるのだ。

 愚か者も、その程度を越えることはないだろうが、飽かずになりゆく。飽かずに。





























| 22:21 | 日々のカケラ | comments(0) | trackbacks(0) | posted by マスノマサヒロ |
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