kazesan3風の吹くままカメラマンの心の旅日記

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あはい

 

 今夜も蜜ろうのろうそくを灯して風呂に入った。湯煙にぼんやりと揺れる灯りをながめていると、電球や蛍光灯の明かりではけして味わえない、営んでいる、という気分になれる。営みという言葉が持っている響きが好きだ。経営なども営みにはちがいないのだろうが、もっと身近で切実な日々の暮らしのことだ。ようするに、生きているということ。蜜ろうは、もちろんミツバチが働きづめで集めて作り上げたものだから、営みの成果としてはこの上ないもののひとつだ。その灯りをいただいている、という気分が、暮らしの営み感を強くしてくれるのだろう。

 適当に身体も洗って、そろそろ上がろうかと思った瞬間、「あはい」という言葉が浮かんできた。浮かんできたというより、最近考えていたテーマの間(ま)を「あはい」と読ませる話を聞いたばかりで、それが気に入って忘れられないでいたのだった。「あはい」。何かと何かの「あはい」に、今も昔もこれからもいるのだろう。此岸と彼岸の「あはい」、あちらとこちらの「あはい」、などといろいろ思い浮かべていたら、そうじゃない、この身体じたいが「あはい」なのではと思い出した。この湯船に浸かっている身体こそが「あはい」なのだと。

 身体から通じている見えない世界が、きっとある。そして身体が感じている、この見える世界が目の前で展開している。身体は、そのふたつの世界の「あはい」なのだ。「あはい」に居るのではなく、「あはい」を生きているのだ、というこの気分は、まったくもって悪くない。いつも自分の中途半端を嘆いていたけれど、至極当たり前のことだった。「あはい」なのだから。しばらくでもこの気分を持続したいものだ。なかなかに好ましい。






























| 23:28 | 日々のカケラ | comments(2) | trackbacks(0) | posted by マスノマサヒロ |
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Comment








自分の内と外という分け方しか知らなくて、その境界がいつも頑然としてあるんですが、そんなに堅苦しくしないでふんわりしなやかな「あはい」がいいなと感じています。風通しがよくて、千変万化なもの。それでは主体性がなくなるでしょうか。とにかく今は「あはい」です。
posted by kazesan | 2010/03/07 7:02 PM |
いただきものの凍み大根を昨日から水につけ、また、干ししいたけを水でもどし下ごしらえした煮物を朝からことことたいていました。「営んで」いるというのはこうした時の豊かな気持かな、と想像しています。蜜ろうそくの光で心に浮かぶ「あはい」の感覚、kazesanのそれとはちょっと違うかもしれませんが、なんとなくわかるような気がしている今です。
posted by きよこ | 2010/03/07 8:33 AM |
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