kazesan3風の吹くままカメラマンの心の旅日記

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 撮りはじめた能登の写真に添えて、文章なども書いている。加賀に住んでいる者には能登は身近な土地ではあるけれど、半島を旅しようと思って出かけ、撮り、そして書いてみると、実は大した知識もなかったこと、いくらか思いはあってもそれが確かな言葉にならないことなど、およそ身近な土地ではなかったことがよくわかる。それでも書きながらもう一度旅を振り返ることは、どうやら無意味なことではなさそうだ。むしろ書いた方がいいかもしれない。人生を旅に喩えるなら、日常も旅ということになり、日記とはだから書いて大いに意味があるのだろう。

 旅するとは、どういうことだろう。観光旅行などに興味はないし、美味しいものを求めて食べたいとも思わない。遠くへ出かけガイドブックをなぞるなど、人の旅を真似たところでなんになる。これでは面白味のない人間になってしまいそうだが、自分では結構楽しんでいる。旅の何が面白いのかと言って、未知のものに出会うことだ。知らないものだらけのぼくには、だからどんな旅も好ましい。たとえば、家人の思わぬ面に出会うなら、それも旅にしてしまう。問題は、出会った未知のものから何を受け取ったかだ。受け取り、自分の刺激にならないなら、わざわざ出かけることはない。見聞を広げればいいじゃないか、と人は言う。馬鹿馬鹿しい。広げてどうするのだ。広げた記憶などいつかあいまいに消えて行く。

 広がりよりも、深さだろう。星野道夫さんも遺してくれたではないか。「浅き河も深く渡れ」。書くことは、その力に応じた深まりをもたらしてくれるだろう。今、能登に少しだけ近づけた気がする。でもまだほんの入口だ。はじめたばかりの旅だから、という意味でなく、能登という対象への見えない垂直の距離のことだ。小さな旅を繰り返し、視て撮りながら、考えて書きながら、それをこれからの残された時間に当てよう。おかしなものだ。中学時代のことだった。作文に、おとなになったらカメラを持ったジャーナリストになりたい、と書いた。気分だけなら、実現している。




























| 16:59 | 日々のカケラ | comments(0) | trackbacks(0) | posted by マスノマサヒロ |
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