kazesan3風の吹くままカメラマンの心の旅日記

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紅水晶
 生と死のこと、家族のこと、いくら考えてもわからないことが、頭の中をぐるぐるとかけめぐっている、この数日。

 たとえば、人生や真理について明確な答えを提示しているような書物に出会うと軽い目眩がして、すぐに読む気がしなくなる、のはそれを知りたいと思いながら、そんなもの、だれも知っているはずないじゃないかと、信じて疑わないからだろうか。

 蜂飼耳『紅水晶』を読んでいる。ぼくの分際で出版できたのはほとんど奇跡に近い写真集だったが、それに詩を寄せてくださった詩人の、短編小説集。詩はきっと、ぼくにはむずかしいから、ときどきエッセイや小説を読む。蜂飼耳というペンネームが好きだし、文体がまた、鐘のようにカラコロと響いてくるようで、好きだ。このブログに今書いている感じも、実はそれを真似ている。それほどに好きだ。

 そして、もっとも好きなのは、話の行きつく先が見えるようで、見えないこと。この小説はなにを言いたいのだろうと、それがわからないこと、だと、その中の「くらげの庭」を読んで思った。それでも登場人物の心模様が、まるで手に取るようにまるで自分のことのように感じられるときもある。ただ、これまで一度も出会ったことのない文章なものだから、滲みるようにハッとする。



 苦難を乗り越え一線を越え、到達した境地を持っている様子の先人の人生訓だと、どうにも太刀打ちできなくて、はいさようでございますか、と頭を垂れ頷くしかないけれど、ほとんどの人は『紅水晶』のように生きているのかもしれない。心の中を整理し切れないままに、混沌という言葉がぴたりと当てはまるような日常を、暮らしている。蜂飼耳を読んでいると、庶民としてのこの人生が、とても味わい深いものに感じられる。それがいちばん好きなところかもしれない。

 ぼくの今日はどんなだろう。昨日とさして変わらないだろう。昨日も一昨日のようだった。そして、それでいいような気がする。それがいい。乗り越えるとか努力するとか、心を開くとか手放すとか、暮らしをそういう言葉で飾りたくはない。よくわからないことが暮らすことだと思ったりしながら、普通でいよう。普通のぼくだから。

 べにすいしょう、と読むんだろうか。次に読むのが、それ。






| 07:11 | 日々のカケラ | comments(0) | trackbacks(0) | posted by マスノマサヒロ |
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